【その36:ぬこウォッシュ(3)】
ぬこの足がお湯に触れると、ぬこはわずかに足をばたつかせた。
もうここまででやめておこうかとも考えたが、我は心を鬼にして、もう少しだけ湯船に浸からせると決めた。
鳴き声が嫌そうであったらそこまでにする。
ところがである。
当初こそばたつかせた足も、湯船に浸かる頃にはおとなしくなり、ぬこの身体はすっかり湯船の中だ。
やや緊張しているのか、その目はいつもよりもまんまるであるが、特段暴れるようなそぶりもない。
「……」
我は状況が把握できず、ぬこから手を離して良いかもわからず、中腰のままルラを見た。
「……うわぁ」
「うわぁ、とはなんだ? 何が起きているのだ? まさか!? ぬこに何か異変が!」
「あ、ちょっと、急に動いたらぬこさんが驚きます。ゆっくり、ゆっくり手を離してみてください」
「ゆっくり? こうであるか?」
慎重に手を離し、湯から手を出すも、ぬこはそのままの湯船で泰然としておる。さらには時折ペロペロと湯を飲む仕草を見せていた。
「うわぁ……」
再びルラがなんともいえぬ声を出した。
「ルラよ、状況を説明せよ。直ちにである」
我の苛立ちが伝わったのか、ルラはようやくぬこから目を離した。
「ああ、すみません。すごく珍しいものを見たので。噂には聞いたことがあったんですけど、本当にこんな子、いるんですね」
「どう言うことか説明せよともうしておるのだ」
「えっとですね。普通猫って水がとても苦手なんです。それこそ、こんなふうに湯船に入れると暴れて飛び出して駆け回っても、むしろそれが普通の反応と言えるくらい」
「うむ。それはすでに聞いた」
「なので猫を洗うのは大変なんですけど、たまにいるらしいのです。水を怖がらない子が」
「ほほう、つまり、うちのぬこがそれだと?」
「はい。最初は少し緊張気味でしたけれど、見てください、この表情。平気そうでしょう?」
「すなわち、我ぬこは天才である、と?」
「そこまでは言っていません。ですが、本当に珍しいです。先ほども言いましたが、私もこんなお利口さん初めて見ました」
「うむ。ぬこはお利口さんであろう。もっと褒めるがいい」
「いえ。ぬこさんがおとなしくしているうちに、早々にシャンプーしてしまいましょう。ほら、早く準備してください」
「む。仕方ない」
ルラに従ってシャンプーを泡立て、ぬこを優しく洗ってやる。
ぬこは落ち着いたもので、「なー」と軽く鳴いただけでされるがまま。
「ぬこさんは本当にすごいですね。何か、特別な子なのかしら?」
「我の眷属であるので特別に決まっておろう」
「そういうの今、いいんで。さ、しっかり泡も落ちましたし、バスタオルを」
「用意はまかせよ」
「……一枚でいいですよ?」
何か心を見透かされた気持ちになったが、まあいい。ぬこを早く拭いてあげなければ。
お湯は平気そうなぬこであったが、湯船から出すとぶるぶると体を振るって水滴を飛ばす。
「ぬはは、こやつめ」
我はバスタオルで優しく包み、ぬこについた水滴をしっかりと拭ってやる。
「しかしこのバスタオル、非常に繊細な手触りであるな」
人間の特性がよく出た仕事である。こういうタオルを集落で作れないものか。今度確認してみよう。
あらかた水気を拭き取ると、残るは自慢の毛がぺたんこになったぬこの姿。
「……意外に細いのであるな」
「そうなんですよね。初めて見るとびっくりしますよね。さ、それよりも」
急かされた我は、自らの指を鳴らす。そうしてぬこから見えぬ場所に小さな炎の塊を生み出した。
炎の前に移動したルラが詠唱を始めると、光に包まれた柔らかな風が我が方に流れてくる。
聖魔法なので我にはちょっとこそばゆいものの、熱で温められた風は、ぬこの毛を乾かすにはちょうど良い。
「どうですか? 温度は良さそうですか?」
少し離れた場所から加減を確認するルラ。
「うむ。悪くなさそうだ」
バスタオルに包まれたぬこを風に当て、速やかな乾燥を促す。
「それにしても、やっぱり不思議です」
「何がだ?」
「ぬこさんが水を全然気にしないことがです。もしかして、そういう種類の猫がいるのかも?」
「いるのか?」
「いえ。私は知りませんが。ただ、改めて観察すると、毛色なんかも私の街ではあまり見ないタイプなんですよね」
やや首を傾げるルラ。
「ふん。ぬこは特別であるからな。それだけの話である」
「……そもそもどうやって魔法陣に迷い込んだのか……いえ、これは考えても全くわからないですね」
「うむ。理由などどうでも良い。ぬこの可愛さには関係ないからな」
「はいはい。そうですね。乾いたら爪切りしますよ」
こうしてぬこの意外な特性がわかったところで、ぬこの毛並みはより艶々になったのである。
◇◇◇
魔王城の一室。水晶に映った映像を眺めるのはダークベット。
「これはこれは……」
その水晶の中に見えた意外な魔王の姿を見て、ダークベットは口元に小さな笑みを浮かべたのだった。




