【その29:あさかつまおう(下)】
「今日は何なんですか! 一体!」
流石に呆れ気味の私に対して、びっくりするほどオロオロした魔王は、「緊急事態である! ぬこが! ぬこが!」と要領をえない言葉を繰り返す。
まさか、ぬこさんが病気か何かになったのだろうか? ならば早めに対処したほうが良い。
「……よく分かりませんが、とにかく私も魔王城に行きます。良いですね?」
「無論だ! 急げ!」
魔王の返事を聞くと同時に、私は手に魔法を発動させる。そうして魔王の私室へ移動してみれば、
「……これが緊急事態?」
いつもと変わらず、念入りな洗顔中のぬこさんの姿。
「そうだ! 見るが良い!」
言いながらぬこさんに近づく魔王。途端に鼻をひくつかせ、毛を逆撫で、「ふー」と威嚇するぬこさん。
「ぬこよ!? 我が一体何をしたのとうのだ!? お主のために首輪を買ってきたのが気に入らなかったのであるか!?」
悲痛な声を上げる魔王だったけれど、ぬこさんの行動で、理由はだいたいわかった。
「……マオさん、というか魔族って身を清めたりするのですか?」
「何だ唐突に? 今はそれどころではなかろう!」
「いえ、重要な話なんですって。どうなのですか?」
「当然湯浴みはするぞ。我が魔王城自慢の浴場がある。我専用の浴室もな。他にも様々な魔族が過不足なく使えるように、色々と工夫を凝らした……」
「浴場の詳細な話は興味ないです。ともかく、マオさんは身体を清めて、服も着替えてください。多分それで、解決します」
「……なぜだ?」
「これも個体差のある話ですが、猫によっては他の猫の匂いを嫌がったり、警戒したりするんですよ。結構縄張り意識が強いので。まあ、中には全く気にしない子もいますし、慣れの部分も大きんですけどね。多分今回は、マオさんの身体に残った、ファムさんの匂いに反応したんでしょう」
「何だと!? ではやはりぬこは我が浮気したと!?」
「そこまで大袈裟な話ではないです。嗅ぎ慣れない匂いだから警戒しているだけですよ。危険でないと分かれば、反応も緩くなると思います」
「そ、そうか。では我は早速湯浴みをしてくる。ではな!」
「えっ! ちょっ!」
早々に窓から飛び出してゆく魔王。なぜ窓から?
それよりも帰るタイミングを完全に逃してしまった。このまま黙って帰っても良いのだけど、流石に今日はこれ以上の襲来はごめん被りたい。
仕方がない。このまま魔王が戻ってくるのを待って、問題ないかだけ確認しよう。
方針を決めてぬこさんを見れば、洗顔を終えて、慌てた魔王がばら撒いたままであろう、首輪の数々の匂いを確認している最中だ。
「ぬこさん、おいで」
私が招くと、素直にこちらに駆け寄ってくる。私のことは割と気に入ってくれているようだ。
軽く頭を撫でてから、膝の上に乗せる。ぬこさんはされるがままに、私の膝で丸くなった。
「……全く、貴方はとんでもない飼い主と巡り合ったものです」
それにしても、この猫はどこからきたのだろうか。
転移魔法に紛れ込んだということは、王都の猫だと思うのだけど。元の飼い主などがいたら大変だ。魔王は決してこの子を手放そうとはしないだろう。
ぬこさんに軽く手を触れれば、毛並みは良いけれど手入れが少し……。洗ってあげたり、爪切りはしていないっぽい。
うーん。せっかくだから手入れしてあげたいけれど、この部屋で水浴びは難しそうだ。そもそも水は嫌がるだろうし。
一度教会に連れて行ってはどうだろうか? もちろん魔王同伴でなければ許可は降りないだろうけれど、一緒なら首を縦に振るかもしれない。
そんなことを考えていたら、魔王が戻ってきた。窓から。
「……どうして窓から?」
「浴場には飛んで行ったほうが早いのである。それよりも! なぜ! ぬこがお主の膝に!?」
「ああ、はいはい。ぬこさん、マオさんきましたよ? ほら、今度は大丈夫ですよ」
私に促されたぬこさんは、ややめんどくさそうに魔王の方を見て、何度か鼻をひくつかせる。
その場で固まる魔王。とりあえずファムの匂いは落ちたようで、ぬこさんは毛を逆立てたりしない。
「おお、ぬこよ!」
手を広げ、ぬこさんを受け入れんとする魔王。それを無視して、私の膝で再び丸くなるぬこさん。
「ぐうう!」
悔しがる魔王。このままダラダラと茶番を見ているのもあれである。これでも私も忙しいのだ。
「ぬこさん、私の膝で大人しくしているうちに、首輪の色わせをしてみてはどうですか?」
「ぬ。それは良い提案である」
いそいそと散らばった首輪を拾い集めた魔王は、ぬこさんに添えるようにしてどれが似合うか真剣に検討を始めた。
そんな様子を見て、私は思わずため息を吐く。
「何だ? この色は微妙か?」
「いえ、違いますよ。戻ったら調べ物の続きをしないと、と思っただけです」
「ほお。忙しいのだな」
誰かさんのせいで全く進められていないんですけどね。
そうだ。魔王城まで到達していないとはいえ、オレックも魔族領に入った勇者パーティーの一人だ。もしかして、魔王も名前くらい知っていないだろうか?
「あの、マオさん。10年ほど前の勇者パーティーの中に、オレックという聖職者がいたのですけど、その名前に聞き覚えはありませんか?」
私の問いにきょとんとする魔王。
流石に知っているわけないか。
でも、魔王の答えは意外なものだった。
「オレック? あやつに何の用だ?」
と。




