2-6.婚約話なんて無いはず
一瞬、周囲の時間が止まったかと思えた。僕だけではない。ティナたちも、公爵家の皆さんもそうだった。全員が呆気に取られていた。
最初に我に返ったのはアンリだった。
「ちょっとちょっとちょっと!? なんなのこの女!? 急にヨナと結婚とか何言い出すのかしら!?」
「あら。あなたは?」
「わたしはアンリ! 先祖はあのアンリーシャよ!」
「違うけどね」
「でも! ヨナと旅をするのだから似たようなものよ!」
「ふふっ。そうなのですね。ヨナウス様を助けていただき、ありがとうございます」
「どういたしまして! じゃなくて! なんか余裕そうに返事されるの、変な感じなんだけど! 結婚ってどういうことよ!? わたしは許さないんだからー!」
「アンリ。落ち着いて。シャルロットも、いきなりそんなこと言われても、みんな困ってるみたいだよ?」
実際、この場の誰もシャルロットの言動に戸惑っている様子だった。特に彼女の両親は狼狽えてると言っていい。いきなり何を言い出すんだ。相手は王子だぞ、と。
僕の地位に関しては、別にどうでもいいんだけどね。
「とりあえずみんな、お城の中に入りましょうか。そこで落ち着いて話すべきだと思うわよ?」
ゾーラが、微笑ましいげな表情を見せながら提案した。そうだよね。表で長々話すことじゃないよね。
使用人に案内されて城に入る。
もふもふは、城の裏手にある馬小屋に繋がれた。
僕は城の中にある、来客を泊める用の豪華な個室に通された。ティナたち四人はさすがに個室は与えられなかったけれど、僕の部屋の隣で寝泊まりできるらしい。その上、ふたつの部屋は扉で直接行き来できる。
男女で同じ部屋で寝るわけにもいかないし、これで良かったのだと思う。
ティナの家族にも部屋は与えられた。彼らには、後で新しいパン屋となる物件が見つかればそっちに移り住むことになると説明された。
屋敷のメイドがお茶を用意して、ごゆっくりと言って頭を下げて部屋から出ていく。同時にみんなが僕に迫った。
「そ、それでヨナ様。さっきのあの女の子と、け、け、結婚するというのは本当でしょうか!?」
「そうよヨナ! いきなりそんなの言われても認められないわ!」
「まあでも、お金持ちじゃありがちって聞くけどな。子供同士で小さい頃から結婚の約束してるって話。村の連中も、見たこともない金持ちのそういう噂話好きだったぜ」
「け、けけけ結婚!?」
「みんな落ち着きなさい。ヨナくんも、あの子の家族も、みんな驚いていたでしょう? つまり初耳ってことよ」
ゾーラは冷静だった。そして正しい。
「慌てても意味ないのよ。こういうのは、事態をよく見極めないと。見極めて……熱っ!」
座って優雅にティーカップを手に取ったゾーラは、手がガタガタ震えていて、お茶がこぼれてかかってしまう。こっちも冷静じゃなかったか。
「シャルロットとは、婚約とかは無いよ。というか、仲はいいけれど別の場所に住んでたから。そういう話が出てくるほどの間柄ではない」
師匠とはかなりの期間、顔合わせしてるけれど、孫娘を嫁にしろとは言われてない。というか、僕の微妙な立場を考えれば、そんな話が出てくるとも思えない。
僕の存在を面倒がった父上が、後継ぎのいないどこかの貴族に養子に出して追い払うとかは考えたかもしれないけれど。でも本気で探す様子はなかった。僕にそんな手間をかける人ではない。
そして公爵家には、後継ぎの問題はない。次の当主はシャルロットの父親であり、彼女には兄もいるから、さらに次の当主も決まっている。
気が早い話ではあるけれど、シャルロットはどこかの貴族の子に嫁に出されるみたいなのが、将来の役目となるはず。
そんな説明をすれば、ティナやアンリは安堵した顔になって。
「良かったです。ヨナ様が急に結婚となれば、大変だなと思いまして。……なにが大変なのか、自分でもよくわからないですけれど」
「わかってなかったのかよ」
「とにかく、ヨナ様には気が早いと思ったので。あ、お茶のおかわりどうぞ」
僕のカップが空なのを見て、ポットを持つティナ。アンリも落ち着いたのか、お茶菓子として用意されていたクッキーを見て目を輝かせた。
「見て見て! こんな綺麗なお菓子、初めて見たわ!」
「おおー。アタシも」
「ふたりはこういうの、知らずに生きてきたのね。美味しいわよ。食べてみなさい」
「ええ!」
僕からすると普通のクッキーだけど、アンリは一口食べて満面の笑みになった。
「こんな美味しいもの初めて食べたわ!」
「だな。トカゲを焼いたのと同じくらいうめえ」
「ちょっと! 変な例えしないでよ! 全然違うものでしょ!? こっちは甘いし!」
「トカゲを殺して少し寝かせると、甘みが出てくるんだよ」
「いやそんなの知らないから!」
怒りながらも幸せそうにクッキーを頬張るアンリ。心配事から解放されたって感じだ。
けど、ゾーラはまだ心配しているようで。
「じゃあ、あのシャルロットちゃんはどうして、急にヨナくんに求婚したのかしら。……好きだったとか?」
「え」
僕のカップにお茶を注いでいたティナが動きを止める。溢れてる溢れてる。
それが見えていないらしいゾーラは続けて。
「好きな男の子が死んだと聞いて、大きな喪失感に見舞われた彼女は、奇跡的に再会して喜びを噛み締めた。そして、もう二度と自分の近くから逃さず、家の力で庇護するために婚約を申し出た」
「そ、そそそそんなこと! あるんですか!?」
「ティナ、震えすぎ」
「あ! 申し訳ございません! それよりゾーラさん」
「可能性の話よ。けど、そうとしか見えなかった」
「実際どうなんだ? 前々から、あの子はヨナのこと好きっぽかったか?」
「そんなこと言われても……」
「よく思い出しなさい!」
「なんでみんなに問い詰められてるんだろ」
困惑しながらも思い出す。こんな僕にも、きちんと王族として接してくれた女の子。
「確かに思い起こせば、僕に特別優しくしてくれてたかも?」
「あああああ!」
「やっぱりー!」
ティナが机に突っ伏して、アンリは天を仰いだ。なんなんだ。
「……あくまで、僕の主観に過ぎないけれど。僕以外にも同じように優しくしてくれてたのに、気づいてないだけかもしれない」
「でも実際、さっきのシャルロットちゃんの様子を見るに、ヨナくんのことは好きなように見えたわ」
「あー」
「うあー」
「ゾーラ。ふたりがショックを深めてるから、あんまりそういうことは言わないで」
「でも、必要なことだろ? あの子は本気でヨナに求婚してる。貴族と王族の結婚ならば、庶民のアタシらには口出しできない」
「あがー」
「うみゃー」
どんな悲鳴なんだろう。




