10話 ハッピーエンド
「ようやく魔王の間の前にやってきたね」
勇者シオンは、目の前の巨大な扉を見て呟いた。
漆黒に塗り固められた扉は、見るだけでおぞましさを感じさせる禍々しい意匠だった。
この扉を抜けた先に、魔王が待っている。
「私達もようやくここまで来たってことね」
勇者シオンの呟きに聖女セイラが答える。
戦士アンセルは城を見上げながら、静かに呟いた。
「長かった旅もこれで終わりということか」
「まだ魔王が残ってるのよ、気を引き締めなさい」
魔術師ダフネは気を引き締めるように言う。
「ああ、そうだね。僕たちでやり遂げるんだ」
シオンはそう言うと、扉を見つめて小さく声を漏らした。
「……本当はリヒトさんもいたらよかったのに」
「やめなさいよ、あんな奴のこと」
セイラは冷たく言い放つ。
「私達にしたことを忘れたの? アイツのせいで私達は死にかけたし、実際にアイツは街に魔族を連れてきたのよ」
「そうだね。けどぼくは……リヒトさんにも理由が合ったような気がするんだ」
「まだそんなことを言ってるの? シオン」
「そうだな。理由がどうあれ、やろうとしたことは許されないことだ」
「……そうだね。ごめん」
「謝らないでよ。シオンがリヒトのことを大切に思ってるのは知ってるわ。私たちだって全員リヒトに恩があるし」
「……うん」
「だからここから戻ったら、リヒトの顔をぶん殴って、もう一度話をしましょう。もしまだ納得言ってないならね」
「……ああ、そのとおりだ」
勇者シオンは顔を上げる。
その瞳には光が宿っていた。
「……シオン、変わったわね」
「そうかな?」
「うん、最初の頃は臆病な泣き虫だったのに、今は勇者みたい」
「そう言うなら、俺が入った頃からセイラも変わってるぞ」
アンセルが言う。
「はあ? そう言うならあんただって……」
「ダフネも変わったよね」
「ちょっとシオン、やめてよ。巻き込まれたくないから黙ってたのに」
四人は顔を見合わせて……笑った。
「みんな──行こう」
シオンは扉に手を掛け、開いた。
重い音とともに扉が開かれる。
そこに広がっていたのは巨大な大広間。
そして勇者たちの視線の先、大広間の奥には玉座が設置されており、そこにはひとりの人物が座っていた。
怒っているようにも泣いているようにも見える仮面をつけた、黒いローブを身にまとっている一人の男。
「あれが魔王……」
勇者シオンが呟いた。
玉座に座っている人物こそ、勇者シオンたちが旅をしてきた目的にほかならなかった。
玉座に座っている魔王が立ち上がる。
『よく、ここまで来た』
「お前が、魔王か」
勇者シオンが問いかける。
『そうだ、俺が魔王だ』
魔王は短く答えた。
「どうしてぼくたち人類に攻撃する。なぜお前は人を殺める」
『それはお前たちも同じことだ。お前も魔族を屠り、殺してきた』
「それはお前達魔族が、人間の街を襲ったからだろ! お前達魔族のせいで、これまで一体何人の人間が犠牲になったと思っているんだ!」
魔王の言葉に勇者シオンが声を荒げる。
「よせ、シオン。話すだけ無駄だ」
「そうよ。相手は魔族。話が通じる相手じゃないわ」
シオンの両肩を戦士アンセルと聖女セイラが掴む。
それでシオンは冷静さを取り戻した。
「そうだね。説得は無理だ、なら……」
勇者シオンの手の中に光とともに剣が生まれた。
聖剣。
勇者の役職に内包された能力。
これまで数多の魔族を屠ってきた人類が保有する中で最強の剣だった。
『お前達を殺し、今まで死んだ魔族へのはなむけとしよう』
魔王の手の中に、黒い炎が生まれる。
その炎は燃え盛りながら剣の形へと変化した。
勇者シオンは剣を構え、仲間へと言った。
「みんな──行こう!」
戦闘が始まった。
勇者シオンが駆け出し、同時に戦士アンセルも盾を構えて突撃する。
聖女セイラは両腕を掲げて聖術による支援をシオンとアンセルへとかける。
魔術師ダフネは杖を握りしめ、攻撃魔術である炎と水の柱を挟撃するように両横方向から仕掛け、同時に魔王へと身体能力を下げる阻害魔術をかけた。
これまで何度も魔族戦を通して培ってきた戦術。
これが勇者シオン達にとっての必勝の型だった。
『温いな』
しかし魔王には通用しなかった。
魔王は力を解放する。
禍々しいオーラが魔王の身を包み、まずは自身にかけられた阻害魔術を弾く。
続いて両横方向から迫る炎と水の柱が禍々しいオーラに激突するも、一切のダメージを与えることはできなかった。
「なっ!?」
魔術師ダフネは声を上げる。
これまで自身の阻害魔術が弾かれたことも、攻撃魔術がダメージを与えられないことはなかった。
続いて魔王は漆黒の炎を纏った剣を振り上げ、肉薄する勇者の聖剣へと叩きつけた。
硬い金属同士がぶつかる透き通った音と衝撃波がが大広間に響き渡る。
聖剣が纏っている聖なる光と、禍々しい黒炎が散った。
少しの間の拮抗……しかし競り合いに勝ったのは魔王だった。
魔王は勇者の聖剣を弾く。
勇者シオンの身体に大きな隙が生まれた。
魔王はそこへ剣を横薙ぎに叩き込もうとしたが……その瞬間、勇者シオンと魔王との間に割って入る影があった。
盾を抱えた戦士アンセルだ。
アンセルは盾で魔王の剣を受ける。
しかしアンセルの顔が歪んだ。
「ぐっ……!?」
しかし強烈な力に盾ごと弾かれ、勇者シオンを巻き込んで後方のセイラとダフネの近くへと吹き飛んだ。
地面に倒れた勇者シオンと戦士アンセルに、魔王が手のひらを向ける。
黒炎が生まれた。
攻撃が来る! と判断した戦士アンセルは盾を掲げて防御しようとした。
「だめっ!」
しかし聖女セイラが両腕をシオンとアンセルへと向け、聖術を使用する。
すると聖なる光の半透明の壁が戦士アンセルと勇者シオン、そして背後のセイラとダフネを囲んだ。
次の瞬間、魔王の手のひらから大広間を埋め尽くすほどの禍々しい黒炎の波が放たれた。
黒炎の波が光の壁に激突し、激しく振動する。
炎の波が収まった後、視界がひらけた先には仮面をつけた魔王が玉座の前で佇んでいた。
「これが魔王の力……」
圧倒的な力を見て、勇者シオンが呆然と呟いた。
『諦める気になったか、人間?』
魔王が勇者シオンを見て、問いかける。
「いや」
勇者シオンは聖剣を持って立ち上がった。
「ぼくたちは……諦めない!」
そこからは、熾烈な戦いが繰り広げられることとなった。
勇者シオンと戦士アンセルは剣で攻撃し、聖女セイラと魔術師ダフネはそれをサポートした。
まともに当たれば死ぬような魔王の攻撃にさらされている味方を救いながら、あるいはあえて受けて攻撃に転じながら、勇者たちは魔王へと攻撃をしかけた。
一歩間違えば誰かが死ぬ。
そんな綱渡りのような戦いだった。
その戦いの中、ついにチャンスが訪れた。
シオンたちの攻撃の末、ついに魔王が姿勢を崩したのだ。
(ここしかない……!)
シオンは聖剣を強く握りしめて、魔王の懐へと飛び込んだ。
自分が相打ちになったとしても魔王を討ち取る、そういう覚悟だった。
魔王の顔へと聖剣をななめ下から振り上げる。
しかし、長時間かつギリギリの戦いで疲弊した身体は言うことを聞かなかった。
あと少しの距離で、魔王へとその剣は届かなかった。
勇者シオンの聖剣は、その切っ先が魔王の仮面を撫でていっただけだった。
『ッ!』
流石に焦ったのか、身を引く魔王。
今までで一番手応えのある攻撃だったが、致命打にはならなかった。
「くそっ……!」
後方へと跳躍した勇者シオンは悪態をつく。
千載一遇のチャンスだったのに、魔王を倒すことができなかった。
「あと少しで倒せるところだったのに……!」
「いや、まだよシオン! もう一度押せば勝てるわ!」
「俺達がサポートする! 立てシオン!」
仲間がシオンへとそう声を掛ける。
そうだ、まだ戦いは終わっていない。
シオンは立ち上がり、もう一度魔王へと攻撃を仕掛けようと聖剣を構え直した。
しかしその時、切っ先でなぞった魔王の仮面が真っ二つに割れて、地面に落ちた。
乾いた音が大広間に響いた。
露わになった顔を見たシオンは──。
「…………え?」
顔を驚愕に染め、動きが固まった。
「うそ……」
「そんな……あり得ない」
露わになった顔を見て、セイラたちは幽霊を見たような顔になった。
四人の表情は、魔王の顔に釘付けになっていた。
勇者シオンたちは、目の前の光景を疑った。
なぜなら、露わになった顔は──。
「なんで、どうしてあなたが……リヒトさん!」
「……参ったな。最後まで隠しておくつもりだったんだが」
魔王が諦めたように呟く。
仮面の下、魔王の正体は紛れもなく──選定者リヒトだった。
***
「あーあ、折角いろいろ小細工までして、殺されるつもりだったのに。最後の最後で運が悪いぜ」
「リ、リヒトさん? これは一体どういうことですか……? どうしてあなたが魔王の力を……」
勇者シオンがリヒトへと問いかける。
「そ、そうよ! なんであんたがここにいるのよ、リヒト!」
「リヒトさん。説明してくれ」
「……」
聖女セイラが訊ね、戦士アンセルはそれに追随する。
魔術師ダフネは未だに目の前の光景が信じられないのか、絶句してリヒトを見つめていた。
それに対して、リヒトは「ハッ」と鼻で笑った。
「どうもこうもねぇだろ。見ての通りだよ」
「見ての通りって、どういうことですか」
「ハッキリ言わないと分かんねぇのか? ──俺が魔王だ」
「そんなはずはない!」
リヒトの言葉を、シオンは素早く否定した。
「あなたが魔王なんてありえない! だってぼくに勇者の役職を与えたのはあなたのはずだ!」
リヒトはシオンに選定者として勇者の役職を与えた。
だから選定者であり、魔王であるはずがないとシオンは否定する。
シオンの言葉にリヒトは頭をかきながら答える。
「確かにそのとおりだな。俺はお前に選定者として勇者の役職を与えた。それは確かだ」
「なら、魔王なんて──」
「単純な話だよ。俺が選定者であり、魔王でもあった、っていうだけだ」
静寂が場を支配する。
「ね、ねえ」
沈黙を破ったのはセイラだった。
「これはなにかの冗談、なのよね? いつもみたいにたちが悪いおふざけなんでしょ……?」
セイラは顔を引き攣らせながらも、いつものような軽い口調で話しかけようとした。
彼女の言葉に、他の三人は希望を見出した。
「魔王は、どこか別の場所にいるんでしょ? それかリヒトが倒しちゃったったんでしょ? ねえ、そうでしょ……?」
掠れた声でセイラはリヒトに訊ねる。
もしこれがいつものような冗談なら、リヒトはここでおどけた口調でネタばらしをするはず。
四人は息を呑んでリヒトの答えを待った。
だが、リヒトは答えない。
「リヒトさん、答えてくれ」
アンセルが訊ねる。
「セイラ、アンセル。わかるだろ? 俺が魔王なんだよ」
いつものリヒトとは違う、不気味なほど静かな口調。
それが一見ありえない言葉に、説得力を産んでいた。
四人は言葉を発することができなかった。
リヒトが決して冗談でも嘘でもなく、真実からそう言っていることがわかった。
「……いつから」
シオンが口を開く。
「いつから、あなたは魔王だったんだ」
「最初からさ。お前を勇者にしたときからずっと、俺は魔王だった」
リヒトはシオンの言葉に答えると、一歩前に踏み出した。
リヒトは階段を降りて、シオンたちの前に立った。
「少し話をしよう。知りたいことがたくさんあるだろ?」
***
「今からは質問の時間だ。知りたいことはなんでも聞いてくれ」
「これは一体どういうことなんですか」
勇者シオンが訊ねた。
「どういうことって? 意味が広すぎるよ」
「全部です。この状況、リヒトさんが魔王な理由。全然わかりません。説明してください、全部」
「そ、そうよ。なんでリヒトが魔王なの」
「人間のあなたが、どうして魔族側に立っているんだ。俺にもわかるように説明してくれ。あなたは人類の味方じゃなかったのか?」
「アンセル、お前は勘違いをしてる。俺は別に魔族側に立ったわけじゃない」
「……?」
リヒトの言葉にアンセルを始め、四人は眉を寄せる。
「《《そもそもの話》》、《《魔王はずっと人間だったんだ》》」
「……は?」
「魔王なんてものは存在しないし、魔族なんてものもいないんだよ」
「ちょっと待って。どういうこと? 魔族が存在しない訳がないでしょう?」
ダフネがリヒトの言葉を否定する。
それにシオンもアンセルも頷いた。
「そうですよ、リヒトさん。それは矛盾しています。ぼくたちは魔族を倒しているんです。この目で倒すところだって見ました」
「魔王も魔族もいないなら俺達が今まで戦ってきた魔族たちは、一体なんだったんだ」
二人は矢継ぎ早にリヒトへと問い詰める。
「魔族はという種族は、実際には存在しない。人の手によって作られたものだ」
「作られた……もの?」
「ああ、全部、作り物なんだ。魔王も勇者も。それ自体が全部」
「魔王も、って……まさか」
声を上げたのはダフネだ。
「そんな……リヒト、それならあなたは千年以上も前から続く勇者と魔王の戦いが、全部作り物だったと言いたいの?」
「!」
ダフネ以外の三人は、彼女の言葉に目を見開く。
「そうだ」
「あ、あり得ない……そんなのあり得ない!」
ダフネの質問に淡白に答えるシオン。
彼女は取り乱しながらリヒトの言葉を否定した。いや、せざるを得なかった。
その言葉が、あまりにも突拍子がなさすぎたからだ。
「信じられないって言うなら、思い出してみろよ。倒した魔族はその後どうなった? 《《黒い塵になって消えていったんじゃないか》》? ダフネ、お前ならわかるよな? 魔力のみで作られた土や植物は、魔術の効果が切れるとどうなる?」
「……黒い塵になって、消えていくわ」
「正解だ。流石は魔術師、頭がいいな」
「でも、そういう種族なんじゃないの? 身体が魔力で構成された生物ってだけなんじゃ」
セイラがリヒトへと指摘する。
「精霊とかは実体がないだろ? けど魔族は実体がある。それこそが作られたって証なんだよ」
場を沈黙が支配する。
「そんなの、嘘よ。信じられるわけがない。第一、突拍子がなさすぎる」
「じゃあ、俺が魔王の力を使ってるのはどう説明する? これでもまだ信じられないか?」
リヒトが手から黒い炎を出す。
それは紛れもなく伝承と同じ魔王の力であり、リヒトが魔王であることはもう疑いようがなかった。
「そんな……ぼくたち勇者が倒してきた魔王は、全員人間だったっていうのか……」
シオンがふらついた。
今ままで自分たちが信じていたものが、作り上げられた虚構だったということを理解し、今まで足の裏をつけていた地面が急になくなったような感覚に襲われたからだ。
「そんなことなんのために……」
シオンの誰に対して言ったわけでもない言葉を、リヒトが拾った。
「世界の平和を守るためだよ」
「世界の平和を守るため……?」
「そうだな。じゃあ全ての始まりから話そうか。魔王が生まれる前、初代勇者が現れる少し前の話だ」
そう言ってリヒトは語り始めた。
「最初の魔王が生まれる前、この大陸はいくつもの国に分かれて、戦争をしていた」
「戦争って、誰とですか」
シオンが問いかける。
「人間同士でだよ。人間の国同士で戦争をしていたんだ」
「人間同士でって……《《なんでそんなことをする必要があるんですか》》? 平和に暮らせばいいじゃないですか」
「そうだな、俺もそう思うさ。けど人間はそういう生き物なんだ。隣国同士でも争い合う、そういう生物なんだ」
リヒトは肩をすくめて続ける。
「戦争は大勢の死人を出した。短時間で沢山の命が消えていった。そんな光景を見て、大魔法使いアストラムは辟易した。だから世界に対して魔法をかけることにした」
「その魔法というのは……?」
「シオン、ずっと戦争をしてきた人間が戦争をやめて、平和になるのってどういう時だと思う?」
「え? それは……」
「自分たち以外の共通の敵が生まれたときだ。人類以外の強力な敵が出てきたときに、初めて人類は団結するんだ」
「まさか……」
「そう、魔王だ」
静寂が場を満たす。
「だから大魔法使いアストラムは”仕組み”を作った。100年ごとに魔王が生まれ、選定者が勇者を選定し、旅の末に倒す。平和を保つための装置として、魔王と勇者の物語を。大魔法使いアストラムは世界へと魔法をかけ、100年ごとに人間の中から無作為に魔王と選定者が選ばれるように設定した。魔王と勇者の周期を繰り返すことで、恒久的な平和を維持しようとしたんだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。魔王は人間から選ばれるんですか?」
シオンがリヒトに訊ねる。
「そうだよ。だから言っただろ、魔王は全員人間だった、って。魔王も魔族もそんな種族は存在しない。アストラムが作り出した架空の存在だ。だから魔王を務める人間を人類の中から選ばなきゃいけない」
「では、魔族も人間から選ばれているのか」
「魔王の役職の能力で作り出した存在だ。魔王ひとりじゃ大して人類の脅威にならないからな」
アンセルの問いにリヒトは肩をすくめて答えた。
「どうして人間の中から魔王なんて選ばなきゃいけないんですか」
「この世界に生きて、勇者と魔王の装置の中で平和を享受してるんだ。全員が恨まれ役を買って出る義務がある。だから公平にランダムに選んでるってだけだ」
「じゃあ、選定者のリヒトさんが魔王に選ばれたのはなぜですか」
「運だよ。魔王と選定者の役職が被ったのは、本当にただの偶然。たまたまだ」
リヒトの言葉を聞いた四人は、次の言葉が紡げずにいた。
まさか勇者と魔王の真実が、そんなものだとは到底考えたことがなかったからだ。
自分たちが信じていた歴史そのものがハリボテだったなんて、誰が考えるだろう。
「初代の魔王が現れて以降、実際に人類は魔王という共通の敵にまとまった。魔王は勇者の力によってしか倒せない。お前達も魔王のオーラの強さは理解しただろ? 魔王は、勇者とその仲間のちからによってしか倒せない。それは大魔法使いアストラムがそう設定したからだ」
「世界の法則を書き換えるなんて、アストラムは一体どれだけの力を……」
ダフネは恐怖を含んだ声で言った。
魔術を研究しているダフネにとっては、そのアストラムの馬鹿げているとしか思えない魔力量も、技量も理解できた。
「俺もそう思うよ。でもそういう時代だったんだ。戦争が激しくなればなるほど、アストラムみたいな強力な魔法使いが大量に生まれた」
リヒトが語る勇者歴以前の歴史を、シオンやアンセル、セイラは正確に理解できなかった。
なぜリヒトがそんな歴史を知っているのかも想像がつかなかった。
「話を戻すと、アストラムの目論見は成功した。人類は魔王という脅威に団結し、平和が訪れた。魔王を倒した後も戦争は起こらなかった。100年後に復活すると勇者が伝えたから、それに備えるために同盟が維持されたんだ。それは千数百年がたった今でもずっと維持されて、平和が続いてるって状況だな」
セイラがリヒトへ言った。
「平和にするためって……そんなのおかしいじゃない」
「おかしいって、何が?」
「魔王と魔族の手で人間が何人も死んでるのよ。全然平和になってないじゃない」
「そうだ! そんなことのために沢山の人を殺したのか、リヒトさん!」
「いいや、ちゃんと平和にはなってる」
「どこが……」
「魔王と魔族で死んだ人間はどれだけいると思う?」
「約五百人よ。魔王が生まれて今までのたった一年で、それだけの人間が死んだわ」
「じゃあアストラムが魔法をかけるまえ、大陸中で起こっていた戦争では何人死んだと思う?」
「えっと……数千人くらい?」
「数万から数十万人だ。それだけの人間がたった数年で死んだ」
「え……」
「もうわかっただろ。千数百年、魔族と魔王が殺してまわった人間の数の合計よりも、たった数年の戦争で死んだ人間の方が多いんだよ」
「そんな……」
「これでも本当にまだ平和になってないって思うか?」
四人は無言だった。
それが彼らが内心でどう考えているかを示していた。
表に出せなかったのは、これまで「魔族と魔王は敵である」という認識で生きてきたからだ。
絞り出すようにシオンが言った。
「じゃあ、今まで魔族が襲ってきたのも、街を襲ったのもすべてリヒトさんがやったってことですか……?」
リヒトは静かに頷いた。
「そうだ。俺がやった。お前たちを勇者パーティーとして相応しくするために、俺が魔族を操って配置した。いつもちょうどギリギリで勝てるような戦いになってただろ? 俺がそうなるように調整してたんだ」
「でも、それじゃあ……っ!!」
シオンが声を荒げる。
劇場をこらえるように唇を噛み、そして震える声で訊ねた。
「リヒトさんは、死ぬために今までの旅をしてきたってことですか……!?」
静寂が辺りを包む。
「その通りだ」
冷たい響きの声が大広間に響いた。
「お前らの装備に細工したりしたのも、お前らが俺を殺しやすくするためだ。恨みの一つや二つくらい買っといた方がお前らもサクッと殺れると思ってさ」
「で、でも、それならぼくたちが戦う必要はないじゃないですか……!」
シオンが言った。それは、無理やり元気を装った寒々しい声だった。
「別に戦って決着をつけなくても、魔王が死んだことにすれば世界の平和は保たれる。でしょ、みんな?」
シオンは三人へと振り返り、そう言った。
「そうよ、これ以上私達が戦う意味なんてないわ」
「ああ、俺達が無理に戦う必要はない」
「魔王と勇者のカラクリがわかった以上、誤魔化しようはいくらでもある」
三人は同調するように勢いよく何度も頷く。
「いいや、無理だ。」
リヒトは首を横に振って否定する。
「どうして……!」
「魔王が倒されたかどうかは、空の暗雲が晴れたかどうかで判断できる。魔王が死んだときにしか暗雲は晴れるようにできてないからな」
「それは……魔王の力を使って晴らすことは」
「できない。大魔法使いアストラムがそう設定してるからだ。魔王が生まれたときの暗雲は単なる演出の意味を超えて、人々に魔王の実在を強く印象付ける舞台装置なんだよ。それに……」
リヒトは踵を返すと、床に落ちているシオンが割った仮面のもとまで歩いて、拾い上げた。
「どうしてどの魔王も仮面をつけているのか、わかるか?」
「……わかりません」
「魔王の役職には、大魔法使いアストラムの力によって『人間に対する激しい憎悪』が湧き出てくるように設定されてる。仮面をつけてるのは、憎悪で醜く歪んだ顔を誰も見れないようにするためだ。自分からもな。俺は聖騎士とかの役職の力で抑えてるけど」
「なによ、それ……」
「で、でもリヒトさんが抑える事ができたなら、セイラの聖術やぼくの聖剣の力で抑えれるかもしれません。それに、魔術なら解く方法もきっとある──」
「だから、無理だって」
シオンの言葉をリヒトが遮った。
「アストラムの魔法が解除できるなら、もうとっくに誰かがやってる。それだけアストラムの力は強いんだ。それに……」
リヒトは暗い顔でうつむき、顔を上げた。
その顔は今にも泣きそうな、弱々しい顔だった。
「初めて魔王の役職を与えられたとき、衝動を抑えきれなくて俺は周囲の人間を皆殺しにした。お前らには、俺の故郷は魔族に滅ぼされたって言ったけど、あれは俺がやったんだ。わかるだろ? もう、後戻りはできないんだよ」
「それでも……なにか、方法が……」
「もう時間もない。選定者の中にある役職の力をぜんぶ使って衝動を殺してるけど、もうほとんど限界なんだ。お前らに追放された辺りの頃の俺、最悪だっただろ? あれは魔王の衝動に抗えなくなってたんだ」
そこでシオンたちは気がついた。
よく見れば、リヒトが不自然なほど汗をかいている。
顔も痙攣するように表情が動き、目も吊り上がるのをギリギリ堪えているように見える。
瞳の奥で揺れている激情は一体なんだ。
──憎悪だ。
リヒトは絞り出すような声で、言った。
「もうあと保って数時間から一日だ。抑えが効かなくなったら、俺はただの憎悪に狂った化物になる。実はこうして話してること自体、本当にギリギリなんだよ」
「でも、きっとなにか方法が……」
シオンがすがるように呟く。
それは優柔不断なわけではなく、リヒトのことを思ってのことだというのは、痛いほどよく理解できた。
リヒトは優しげに笑って、言った。
彼らの未練を断ち切るために。
「初代の魔王が生まれて以降、勇者は負けたことがない。それはどうしてだと思う?」
突然の質問に、四人は『どうして今、そんなことを?』と、困惑したような顔になる。
「魔王が全員、最後に残った理性で、『殺してほしい』って頼んだからだよ」
その言葉を聞いて、四人の顔は固まった。
追い打ちをかけるように、リヒトは言う。
「もう、辛いんだ。無理なんだよ。これ以上は耐えられない。一刻も早く苦しみから解放されたい。俺は死ぬことでしか罪を精算できない」
リヒトは重荷にならないよう、注意深く、できるだけ軽い口調で、最後のお願いをした。
「シオン、殺してくれ」
「っ……!」
シオンは今にも泣き出しそうな顔で息を詰まらせた。
そして叫びだしそうになるのを寸前で堪えるように歯を食いしばった後──覚悟を決めたように聖剣の柄を、強く握りしめた。
***
その日、西の空が晴れた。
王都の街は勇者たちの凱旋を歓声をもって迎えた。
朗報を伝える鐘が鳴り響き、紙吹雪が舞った。
そして、世界は平和になった。
もし少しでも『面白い』と思っていただけたら、作者の励みになりますので、★評価やレビュー、感想、ブクマなどをいただけると嬉しいです。




