アドバイスの難しさ
ごくたまにですが、私もジムでトレーナーの真似事をする時があります。パンチミットを持ってパンチを受けたり、寝技を教えたり……そこで改めて感じるのは、他人(特に未経験者)に指導することの難しさです。
自分が体で覚えた技、それを人に説明する……これは非常に厄介ですね。技というものは、感覚的な部分もありますし、繰り返すことによりコツを覚えていくケースもあります。それを口で説明するのは難しいですね。
さらに、スパーリングの後などにアドバイスを求められることもあります。良かった点、悪かった点などなど……しかし、私のような素人に毛の生えたレベルの人間がアドバイスをするのも、これまた厄介なものがありますね。
明らかな欠点ならば、それは改善すべき点として指摘できます。例えば、寝技の腕ひしぎ十字固め(以下は腕十字と略します)のかけ方が違う場合は、ちゃんと指摘します。そして、正しい形を指導します。ちなみに私は腕十字は下手ですが、それでも正しいかけ方は指導できます。
しかし、さらに上のレベルの指導となると……一気に難しくなりますね。以前、私はある一つの場面について三人のトレーナーに(トレーナーと一対一の状況です)尋ねたところ……三人とも全く別の答えが返ってきました。結局のところ、三者三様の答えが返って来た場合……誰の言うことを聞けば正解なのかは、本人の判断にかかってきますね。
何故、こんな事態が起きるのかと言いますと……格闘技は数学のような学問と違い、明確な正解がありません。まあ相手を倒せれば、それで正解なのですが……そこに至るまでの過程は様々です。右ストレート一発で倒すか、あるいはフロントチョークで絞め落として倒すか……まず、フィニッシュとなる技からして違います。
さらに、そのフィニッシュとなるまでの過程……これは千差万別ですね。十人十色、まるで違うものになります。
私は専門的なアドバイスをできるようなレベルではありませんが、アドバイスを受けることはあります。ある一人のトレーナーは打撃のスパーリングのあと、私に「赤井さんはもっと蹴りを出していった方がいいですね」と言いました。ところが別のトレーナーからは「赤井さんは蹴りを出さない方がいい」と言われたのです。
この場合、どちらが正しく、どちらが間違っているということはありません。あえて言うなら、どちらも正しいのです。二人のトレーナー、どちらにも自らの格闘技論があります。それは、自らの血と汗で造り上げた理論です。体格、身体能力、それまでのスポーツ経験、こなしてきた練習メニュー、そして潜り抜けてきた修羅場の数……まあ、最後のはちょっと大げさですが、十人いれば十の格闘技論……とまではいかずとも、微妙に違う本人なりの格闘技論を身に付けているものなのです。
その身に付けた格闘技論から判断し、一人は私に「蹴りを多用した方がいい」とアドバイスし、もう一人は「蹴りは使わない方がいい」とアドバイスしたのです。これはどちらが正しい……ではなく、どちらの意見がしっくりくるか、で判断すべきですね。
ただ、ここで問題となるのがトレーナーの面子です……先ほどの場合ですと、蹴りを多用するスタイルがしっくりきたとします。そのスタイルで、蹴りを出すなとアドバイスしたトレーナーの前でスパーリングをしたとしたら……「蹴りを出すなって前に言ったろうが。俺の話、聞いてなかったの?」という展開になる可能性もあります……そのあたりは、上手くやっといて下さいとしか言い様がないですね。
それはともかく、アドバイスの難しさとして、本人に合っているかいないかという点があります。たとえ十人中九人には正しくとも、残りの一人には合わないアドバイスもあります。目の前にいる人間が残りの一人にあたるかどうか……そのあたりの見極めは大切ですね。
あと……あまり細かいことを言うと、本人の伸びを潰すことにもなるように思います。上手く言えないのですが、あまりにも基本に忠実になり、細かいことを注意しすぎると、かえって本人の良さを潰すことにもなりかねない気もします。まあ、これも私の主観によるものですので……。
小説の場合はどうでしょう。私も偉そうに、他の日の浅い作家さんに感想欄にて上から目線のアドバイスなんかをしたりしますが……正直、私のような者のアドバイスは、あんまり聞かない方がいいかもしれません。
ただ、小説を書く場合だとなおさら、あまり細かいことを言うと本人の良さを潰すことにもなりかねませんね。個人のスタイルやセンスのようなものは、細かい文章作法を守っていては伸ばせないかもしれませんし。ですから……アドバイスする方もされる方も慎重に、という結論で今回は締めさせていただきます。




