ふれあいだって!
先日、こちらでレスリングの小説は書かれているのだろうか、と思い探してみたのですが……『なろう』において、レスリングとボーイズラブはワンセットのようですね。まあ、そっちの需要が多いのであるなら仕方ないのですが……。
ちなみに、私は純粋なレスリングそのものの経験はありません。しかし、総合格闘技をやるとなると、避けて通れないのがレスリングの局面です。なので、レスリングも学んでいます。今回は、こちらで誤解されているかもしれないレスリングについて語ります。
いきなり……余談です。申し訳ありません。
もう十年以上前になります。私は友人と、そして友人の後輩であるレスリング部の学生二人と車で出かけました。
で、とある田舎道を車で走っていると、前に蛇行運転をしているバイク数台……。
すると、よせばいいのに運転するアマレスラーがクラクション! 当然、暴走族は怒ります! 私たちの車を取り囲むように走り始めたのです。
すると、アマレスラーは車を止めました。
そして二人は車を降り、同じくバイクを降りた暴走族めがけ突進!
……まあ凄かったです。アマレスラー二人は、八人いた暴走族全員を叩きのめしました。本当に、暴走族の少年たちに同情したくなるくらい、アマレスラーの暴れっぷりは凄かった……です。最後には八人全員一列に並べ、土下座させてました。
ちなみに私も車を降り、参戦……してません。車は降りましたが、二人の暴れっぷりを見て、ただただ途方にくれていました。
……とまあ、こんなことができちゃう人種なんですよ、アマレスラーとは。
彼らの基礎体力は、本当に凄まじいものがありますね。何せ、朝から晩まで……ちょっと言い過ぎかもしれませんが、それに近いくらいの時間を、取っ組み合いに費やしているのです。そりゃ、パワーもスタミナもつくはずです。
さらにレスラーの強さとして「倒されにくい」という点があります。この倒されにくいという要素はとても重要です。特に路上での闘いにおいて、倒されたら即終了という局面は必ず存在します。その点においてレスラーは強いです。
レスラーの強さについては、ここまでにしておきましょう。ここからは……私の持論というか、「ボクの話を聞いて!」的なものになります。すみません。
レスリングは、相手に触れ合うところから始まります。相手と触れ合わなければ、そもそも試合にならないのです。いや、試合の前の段階で、たくさんの人間と触れ合うことで強くなります。
これは、創作においても共通する部分があるのではないか、と思ったりするわけですよ、私は。
他の人や他の作品を拒絶し、孤高の姿勢で創作に励む人を否定するつもりはありません。ただ、たまには他の人と触れ合うのも、いいんじゃないか……というより、触れ合った方がいいと思うんですよ。
もちろん、触れ合うことで嫌な思いをすることもあります。いや、こういった顔の見えない場所だからこそ、嫌な思いをすることは現実より多いかもしれません。それでも、触れ合わないでいるよりはマシではないかと。その嫌な思いも、創作の糧になるのではないかと思います。
かつて、ある空手家がとある空手家に憧れて山籠りをしました。結果はどうなったかといいますと……前よりも弱くなったそうです。考えてみれば当然なんですよね。人と闘うのが格闘技です。人と闘う練習ができなければ、強くなれるはずがないです。山に籠るのはサバイバル訓練くらいにしか役立ちません(とある空手家への批判ではありませんよ。時代が違いますから)。
創作に関しても同じではないでしょうか。他者を拒絶し、他者の作品を拒絶していると、結局のところ山籠りをする空手家と同じ結果になるのではないか、と思います。
ただ……実のところ、これも微妙なんですよね。
他者を拒絶して生まれるものがあるのも確かですから……他者と関わり過ぎることで、かえって作品にブレが生じることもありますし……すみません。私のような人間が語るには荷が重すぎたかもしれません。アマレスラーは強いってことだけ覚えておいていただければ幸いです。




