日本人の美徳
あるユーザーさんから聞いたのですが、剣道ではガッツポーズが禁止になっているらしいですね。剣道連盟の規則において、打突後必要以上の余勢や有効を誇示した場合などは即座に一本取消となるそうです。また、それら反則行為を繰り返すようであれば審判の協議により負けとなる可能性もあるとか。
考え方は人それぞれですし、価値観も人それぞれだとは思いますが、私はこういった姿勢は好きですね。武道精神とでも言いましょうか、勝っても浮かれずに泰然自若としている姿は素晴らしいと思います。私などは……嬉しい時にはヘラヘラ笑い、悲しい時にはシュンとなる男です。情けないですね。
しかし、格闘技の試合を見ていると……勝った選手がこれでもかとばかりに勝ち誇る場面がありますね。正直、私は好きではありませんが……ただ、気持ちはわかるんですよね。試合前の、あの独特の恐怖感による緊張。そして試合という集中を強いる場に押し込められ、そこから、勝利という最高の形で解放される……この喜びは癖になるらしいです。私は試合で勝ったことがないのでわかりませんが……ただ、負けても解放感と、それに伴う嬉しさがあったのは確かです。
私の体験はともかくとして、プロの試合では勝った後のパフォーマンスもまた一つの売りですからね。ある程度、致し方ない部分はあります。しかし、それがアマチュアであるはずの武道の試合となると……古い話ですが、オリンピックで某女子柔道の選手が試合に勝ち、金メダルが確定した瞬間……ガッツポーズをしたまま試合場を駆け回っていました。正直、見ていて気持ちのいいものではありませんでしたね。私だけがそう感じたのかもしれませんが……見ていた人は全て「日本が金メダル獲れて嬉しい! おめでとう○○○ちゃん!」と感じたのかもしれませんね。私は当時も今も、日本が金メダル獲ろうが獲るまいが、どうでもいいので……世が世なら非国民扱いで憲兵さんに引っ張られてますね。
金メダル云々はさておき、これも仕方ないケースではあります。いや、私ごときが仕方ないと言える問題ではないですね。オリンピックというイベントに伴う独特のプレッシャー……私のような人間には想像もできません。その重圧に耐えて試合に勝ち、金メダルを獲る……これはまあ、試合場でガッツポーズのまま駆け回るのも無理はないのでしょう。私はそういった勝利を誇示するようなポーズは大嫌いですが。
しかし、勝利したわけでもないのにやたらとガッツポーズをされると……これはもう迷惑でしかありません。ガッツポーズのグーの手を振り回される……グーの手が顔にぶつかると痛いです。本人は悪気はないとしても、確実に痛みは残ります。
例えば、なろうの活動報告ですが……自慢話を書かれる方もいます。いや、PVやブックマークの数などを報告するのは構わないと思います。ですが……いや、あえて詳しい内容を書くのは止めておきます。叩くのが目的ではないので……ただ、読む人が不快になろうが心が痛もうが、お気に入りの人たちへの感謝のつもりで書いているのだから悪気はない、悪気はないのだから知ったことではないという信条の方もいるようです。
そんな活動報告を見るにつけ、日本人の美徳はどこに行ってしまったのだろうと思うわけですよ……。
剣道に見られる、必要以上に勝利を誇示しない姿勢……それはとりもなおさず、敗者に対する労りの気持ちではないでしょうか。
ひいては、他者に対する思いやりの気持ちではないでしょうか。敗れた者の気持ちを考え、静かな態度で勝利を受け入れる……これこそが武道精神ではないかと思うのです。これは、あらゆる局面において生きてくるのではないでしょうか。そして他者に対する思いやりの気持ちがわずかでもあれば、書くべきこととそうでないことの区別はつくはずです。
その区別がつかない方が、最近多くなっている気がしてなりません。書きたいと思ったことを書く。他人の努力を嘲笑い、自らの自慢話のネタにする……顔で笑って心で泣き、喜びは胸の中で噛み締めるといった、かつて美徳とされていたものは、今はどこに行ってしまったのでしょうか……私は極右思想の持ち主ではありません。しかし、こうした状況を見るにつけ、今こそ武道の精神についてもう少しよく考えてみるべきなのかもしれない、とは思いますね。
そういえば……かつて空手の世界大会で三位になった、ジャン・リビエールという選手がいました。小山のような体格でありながら華麗な足技を器用に使いこなす選手でしたが、何より印象的だったのは、勝っても負けても泰然自若としていた姿です。ひょっとしたら、外国人の方が武道精神をよく理解しているのかもしれません。




