格闘技に「ガチ」で取り組んでいる人たち
最近、あるネット記事を読みました。
その記事は、元プロレスラーの前田日明さんに対する「ガチの試合をやってない」というアンチコメントを見て「私は、本当の意味でのガチの試合など存在しないと思う」という文で始まっています。
まず那須川天心さんを例に出し「彼は一番強い選手ではなく、キックボクシングというルールに則った上で一番効率のいい闘い方をしている選手だという事だ。彼は最強ではなく、効率のいい選手なのだ」と語っています。
さらには、「最強の格闘家を尻に敷いている美女がいたとしよう。彼女は最強なのだろうか?」「最強の武術家を後ろから刺殺した人間は最強なのだろうか?」「核爆弾の撃ち合いをしない以上、戦争もガチではない」などと話がどんどん飛躍していき、最終的に「本当のガチの勝負など存在しない」と結論づけているのです。前田日明どこいった? とツッコミたい気分ですが、それはひとまず置きましょう。
私は読んでいて、二十年ほど前にチンピラと一緒にテレビで格闘技の試合を観た時のことを思い出しました。試合は、片方の選手が華麗なるハイキックでKO勝利したのですが……チンピラは、吐き捨てるような口調でこんなことを言いました。
「いくら強いって言われてたって、撃ち殺しゃおしまいだよ」
ボクシング、キックボクシング、総合格闘技などなど……プロの格闘家になった者は皆、その競技に人生を捧げています。というより、人生を捧げる覚悟のない者はプロでやっていけません。
食べたいものを食べず、飲みたいものも飲まず、時には友人たちとの付き合いも断り、格闘技に打ち込んでいます。
当然、そんな人生を送るとなれば、失ったものも多いでしょう。普通に生きていれば楽しめていたもの、体験できていたことも、不必要と判断すれば切り捨てていきます。
さらに、彼らは恐ろしいプレッシャーに晒されています。今の時代、負ければネットでボロクソに叩かれますからね。とある有名選手は、一時期は精神を病んでいたと聞きます。
しかも、試合では相手の容赦ない攻撃をくらうわけです。頭部へのパンチにより、脳に障害を負うかもしれません。また、ミドルキックを受けるタイミングを間違え腕を折られるかもしれません。あるいは、ヒールホールドにより膝を壊され一生ものの障害を負わされるかも知れません。
そんな様々なプレッシャーと戦いながら、格闘家たちはコツコツと地味で苦しい練習をこなしているのです。
私なら五分でゲロ吐くようなキツいトレーニングを、彼らが当たり前のようにこなしている姿を、間近で見てきました。だからこそ、私はプロ格闘家を尊敬しています。また、プロ格闘家を拙い知識しか持たない人にバカにしてほしくないです。
私が何を言いたいか、もうおわかりですね。プロ格闘家たちは、自分の選んだ道に「ガチで」取り組んでいるのですよ。
格闘技の怖さ、辛さ、大変さ……プロの格闘家は、そうしたものとガチで向き合っています。リングに上がる華やかな姿しか見ていない人々には、想像もつかないような日々を送っているのです。
件の記事主は「キックボクシングのルールに則った最強」などと書いております。まあ、口で言うのは簡単です。しかし、その地位を得るのがどれだけ大変なことか……キックボクシングに人生を捧げ、ガチで打ち込んでいる人間でなければ、その最強の称号は得られないのですよ。
だからこそ彼らは、素人がよく口にする「ルールのない闘い」「刃物で刺せば……」なんてものに、いちいち反応したりしません。
なぜなら、格闘技にガチで打ち込んでいるからです。何にもガチで打ち込んでいない中途半端であり、かつスポットライトを浴びている者を妬み僻むことしか出来ない人間の(冒頭に登場したチンピラのようなタイプ)負け惜しみのごとき戯言など、最初から相手にもしていないのですよ。
記事主は、そういった生き方すら「ガチではない」と言うのでしょうか。「試合は本当のガチではない。したがって生き方もガチではない」などと言うのでしょうか。
正直、私から見れば件の記事の「ガチではない理論」は、子供じみた屁理屈にしか見えません。
初めてサッカーを見た未開の部族の人が「なんで手を使ってボールを投げない?」と言ったという話を聞きましたが、それと同レベルに思えるのですよ。
まあ、当人が頭の中で何を考えようが自由ですが、自身の体験が皆無かつ脳内だけで構築した屁理屈のごとき理論で「この勝負はガチではない」などと言って欲しくはないですね。それは、格闘家に対する侮辱ではないでしょうか。
先ほども言いましたが、私は格闘技に命を賭けているようなプロ選手たちを間近で見てきました。そんな選手たちの生き様をバカにされるのは非常に不快です。「だったら、あんた一回試合やってみようや! ガチじゃねえって言うなら、怖くねえよな!? やれるよな!?」と言いたくなりますね。
蛇足かも知れませんが、前田日明さんについても軽く説明しておきます。興味のない方、申し訳ありません。
前田さんは一九七七年に新日本プロレスに入り、プロレスラーとなります。その後、紆余曲折を経てUWFという団体を旗揚げし、従来のプロレスとは異なる格闘技色の強いプロレスで話題となりました。売りは「真剣勝負のプロレス」です。要するに、今で言う総合格闘技をやっているんだ、と主張していたのです。
やがてUWFが潰れた後は、リングスという団体を興します。そして引退後は、格闘技イベントのプロモーターとして今も活躍しているようです。
率直に言うと、私は前田さんが好きではありません。彼はプロレスラーであって、格闘家ではないのです。
筋書きのあるプロレスと、真剣勝負の格闘技とはまるで違います。かつてアントニオ猪木はリング上で真剣勝負の闘いをやらざるを得なくなり、仕方なく闘い勝利を収めました。
その後、周囲の取り巻きに「俺にこんなこと(真剣勝負)をさせやがって!」と怒鳴り散らしたという話です。さすがの燃える闘魂も、怖かったのでしょうね。
プロレスは、勝敗があらかじめ決まっています。また、相手を本気で壊すような技は出さないことになっています。なぜなら、選手ひとりを壊してしまうと、興行に大きな影響が出るからです。
そういう試合しか経験のないプロレスラーにとって、筋書きがなく相手を本気で壊せる技を出し合う格闘技の世界は、本当に恐ろしいものなんですよ。
前田さんは、その格闘技の試合をやっていません。彼の試合は、全て筋書きのあるものです。つまり、プロレスの試合なのです。
にもかかわらず、自身が格闘家であったかのようにふるまっています。UWF時代には「自分たちは真剣勝負を(つまりガチの格闘技を)やっている。プロレスと違い、当たってもいない技で倒れたりしない」などと、プロレスをバカにするような言動を繰り返していたのですよね。つまりは、本人がガチを売りにしていたのですよ。
そんな発言を、古くからのファンは知っています。だからこそ、アンチも出てくるわけなんですよ。
ちなみに当時、長州力さんは「奴ら(前田)のやってることも、俺たちと同じプロレスだ」と言っておりました。アマチュアレスリングというガチの格闘技でオリンピックにいった経験を持つ長州さんから見れば、前田さんたちのやっていることなどバレバレだったのでしょう。
ついでですが、刃牙シリーズの作者である板垣恵介先生は「前田の試合で唯一ガチといえるのは、木村浩一郎とやった時だけ。でも、相手は当時学生だったからな」と、著書の中で書いていました。




