とある武術の思い出
今回は、私が若い頃に三ヶ月ほど習っていた武術について語ります。今さらボカしても意味はないかな、とは思うのですが……まあ、いろいろ考慮した結果あえて流派名は書かないことにしました。
その武術を知ったのは、私が中学生の時です。「スポーツ格闘技など、実際の喧嘩では何の役にも立たない!」などという歌い文句とともに書店に並べられていた本を手にしたのが、その武術との出会いでした。
読んでみると、まあ凄まじいことが書いてあるのですよ。著者の武術家は政治家のボディーガードをしていた父から武術を教わり、柔道家やボクサーや極左のテロリスト、さらにはカポエイラやカラリーパヤットなる謎の武術と闘い勝利し、やがて自分の道場を興した……という内容でした。
さらに、ところどころでこんな文が出てくるのです。
「格闘技と喧嘩は違う」
「格闘技を習っても、実戦では役立たない」
「スポーツ格闘技は、しょせんテクニックの見せ合い。私がやってきたのは、命のやり取りだ」
「私は、触れるだけで内臓を破壊できる技を習得している」
なんとまあ、なろう作家の好きそうな文言のオンパレードですね。実際、いい年齢のなろう作家でこういうことを言ってる人、少なからずいますね。言うまでもなく、脳内でしか闘ったことのない人たちですが……。
それはともかく、中学生の私は、書かれていることを単純にスゲーと思いました。また、本に書かれていることを全て本当だと信じ、この道場に入門してしまったのです。
しかし、私は入ってすぐに後悔しました。
なぜか知らないのですが、そこの道場はやたらと「押忍」と言わせるのです。空手なら押忍と言わせるのもわかりますが、空手でも応援団でもないのに押忍と言わなくてはならないのか、どうにも理解不能でした。
さらに、やっていることと言えば鏡の前で掌底のような技の練習を繰り返すだけ。しかも道場にはサンドバッグがありません。また、ミット練習もありません。打撃練習に必須のものがないのですよ。
したがって、自分の技がどれくらい強いのか? 力の入れ方はこれでいいのか? 打撃を打つのに必要な筋肉は鍛えられているのか? などといった部分がわからないまま練習を続けているのですよね。
それに加え、当時の私はタバコを吸っていました。それを道場の先輩に見られてしまい「お前、タバコなんか吸いやがって!」と、こっぴどく叱られたのです。まあ、これに関しては百パーセント私が悪いのです。叱られて当然ですね。
しかし、当時の私はどうしようもない駄目人間でした。自分が悪いのに、叱られたことを根に持ち、道場通いを辞めたのです。
それから数年して、件の武術の話題を目にしました。ある選手がリングで外国人の格闘家と試合をしていましたが、いいところなく一分少々で敗れていました。触れただけで相手の内臓を破壊できる奥義どうなった? と思いましたね。
ちなみに、その選手とは私をこっぴどく叱りつけた先輩でした。
今になって当時を振り返ると、この武術を学んだのは……金と時間の無駄だったな、と思っております。そんな体験をした私だからこそ、何につけ「実戦はルールが無い」「格闘技と喧嘩は違う」を売り文句にしている流派は信用できないのですよね。
しかし、未だに武術系(私の習っていたものではありません)を過大評価している人もいるのですよね。なろう作家には、特に多い気がします。これに関しては「一度、ルールのある試合に出場してみなさい。でなければ、ルールの無い闘いなんか語れないよ」で終わりですね。
蛇足かもしれないですが……私を叱った先輩は、その後警察に逮捕されマスコミに名前を報道されました。記事を見た瞬間「おいおい」と思いましたね。
しかも、やったことは性犯罪でした。これは、もはや病気としか言いようがないものですね。案の定、ネットでは散々に叩かれていました。
個人的には、複雑な気分でしたね。駄目人間だった私の態度をなじり厳しい言葉で叱った人間が、性犯罪で逮捕ですからね。さすがに、ざまあみろとは思わなかったですが、被害者のことを考えると……うーん、という感じでしたね。
それから十年以上が経ってから、件の先輩の名前をまた見かけました。今度は金銭絡みの罪を犯し、またしても警察に逮捕されていたのです。
私は切ない気持ちになりました。以前に逮捕されたことにより、就職も難しくなっていたのかもしれません。なまじ、そこそこ知られていた存在だけに、悪い噂や評判も残りやすいですからね。
挙げ句、生活に苦しくなり犯罪に手を染めることになったのでしょうか。まあ、これは格闘技のエッセイなので、これ以上は触れませんが……。




