目的と手段
プロの格闘家は、トレーニングの質が凄まじいですね。彼らを間近で見ていて思うのですが、目的と手段というものをきっちり分けて考えている方が多いことです。
当たり前だろ、そんなこと、と思われたかもしれませんが、一般の方のトレーニングなどを見ていると、手段と目的の違いが分かっていない方がいたりするのです。そこで今回は、トレーニングの目的と手段について書かせていただこうと思います。
前にも書きましたが、トレーニングジムに行ってウエイトトレーニングをしていると、おかしなやり方をしている方が必ずいます。べンチプレス(ベンチに仰向けに寝た状態でバーベルを持ち上げる種目です)でやたら重たい物を挙げる、それもきちんとしたやり方でなく、滅茶苦茶なやり方で……ベンチプレスをやる方に多いです。これは「ウエイトトレーニングあるある」だと思いますが、ベンチプレスは人気のある種目のせいか、必ず滅茶苦茶なやり方で挙げている方がいるのです。
こういう方は結局……重い物を挙げて「俺SUGEEE!」ということをアピールしたいのでしょうね。周囲の人たちの前で、自分が重い物を挙げられることをアピールする……それがトレーニングの目的なら仕方ないですが。
ちなみにプロの格闘家は人目があろうとなかろうと、今の自分に必要な重さの物で、自分のペースでトレーニングをします。彼らにとって必要なのは、バーベルを持ち上げる力ではありません。相手を倒すための力です。
プロの選手のトレーニングは実に緻密で考え抜かれています。筋肉バカ、などという言葉がありますが、実際のところは考えてトレーニングをしないと、すぐにオーバートレーニングになります。一流選手になると……どこの筋肉をどれだけ鍛えるか、どこの要素をいつ鍛えるか、などなど考え抜かれたトレーニングをしています。そこには人目を気にする、という要素は皆無です……いや、違う意味で人目を気にする方もいます。トレーニングメニューを一切明かさないという……まあ、これは秘密特訓とでもいいますか、自分の血と汗を代償にして得た独自のトレーニングメニューを他人に明かしたくない、という気持ちの現れなのだと思います。
一方、自分はこれだけキツくて激しいトレーニングをやっている、とアピールする人もたまにいます。一日に十時間以上トレーニングをしている、という人も……本当かどうかは知りませんが。私の気のせいかもしれませんが、どうも日本人は質より量を重んじる部分があるような気がしますね。
確かに、初めの間は量をこなすことも必要です。量をこなすことにより、見えてくるものもあります。さらに、量をこなさないと自分に合ったやり方や、何が有益で何が無益なのかがわかりませんから。
しかし経験を積み、何が有益で何が無益かわかったのなら、無益なものは切り捨てなくてはなりません。無益なものにこだわっているのは、はっきり言って時間の無駄です。
ちなみに、私の知る限りでは……一流と呼ばれる人ほど練習時間は短い気がします。一日二、三時間という人はザラです。多くても六時間とか……まあ、試合が近づくと多少は長くなりますが。
その代わり、彼らは緻密で考え抜かれた練習をしています。その内容はすべて「試合で勝つ」ための練習です。「力の強さを周りにアピールするための練習」でもなければ「練習の量を自慢するための練習」でもありません。そう、試合に勝つために必要なことをしているのです。
さらに言うと、一流の方は練習のみならず、体のケアにも多くの時間を費やします。また食事を摂る時刻やタイミング、摂るサプリメントの種類、寝る時間……果ては家ではいっさい力仕事をしない方もいるとか(ケガの可能性を減らすためです)。素人目には練習時間は短く見えても、二十四時間に渡る自己管理を自らに課す……これには脱帽ですね。
さて、たまに「字数が少ない。もっとたくさん字数を書きたい(稼ぎたい?)」と嘆いて(?)いたりする内容の活動報告を見ることがあります。確かに、字数は少ないよりは多い方がいいでしょう。どうも、こちらでは字数の多い方が人気が出るようですし、評価も高くなるのかもしれません。作品にとって本当に必要であるなら、字数が多くなるのは大歓迎です。大長編を書くのもテクニックは必要ですし。
しかし忘れてはいけないことがあります。字数はあくまで、手段なのではないでしょうか? 小説を通じて、メッセージを伝えるための手段ではないかと……目的はあくまで小説を書くことです。小説とは、完成されて初めて小説たりうるのではないでしょうか。
字数をもっと書きたいと嘆く方に聞きたいことがあります。あなたは文字を書きたいのでしょうか? それとも小説を書きたいのでしょうか?




