日本刀で斬るということ
念のため書きます。私は、人を刺したことはありません。なお、今回はちょっと格闘技とは離れますが……この部分について、わかっていない人が少なからずいるようなので、敢えてこちらに書かせていただきました。
ネットを見ていると、日本刀の強さについて書かれた記事など目にすることがあります。先日は「私が日本刀を持ち、相手が拳銃を持っており、間合いが四メートル程度という条件なら、九十五パーセントの確率で私が勝つ」という呟きを見かけました。こうまで自信満々に語る以上、実際に人を斬ったことがある方なのでしょうか。
さて話は変わり、私が高校生の時のことです。喧嘩の強い先輩と話していた時、こんなことを言っていました。
「ナイフ持ってるガキとかいるけどよ、俺は怖くてナイフなんか持てねえ」
意外な言葉に、私は驚きました。怖くてナイフを持てないとは、どういう意味なのだろうか……と思い聞き返すと、こう言っておりました。
「喧嘩でナイフ出したら、刺さなきゃならないだろ。刺せなかったら、その時点で喧嘩は負けだよ。刺したら、その瞬間に人生終わりだよ。喧嘩で人刺して刑務所なんて、そんな情けねえ前科なんか欲しくねえ」
この発言からもわかる通り、喧嘩慣れしている人でも「刺す」という行為ほ躊躇してしまうのですよ。不良少年たちの間でも、簡単に人を刺すような奴に対する評価は「あいつは頭おかしい」というようなものです。恐れられても好かれはしません。少なくとも、私の周りはそうでした。
ましてや、日本刀で人に斬りかかるとなると……本当に頭のおかしい人間でないと無理でしょう。ナイフと違い、完全に殺すための道具ですからね。
サンドバッグを殴ることと、生きた人間を殴ることには、かなりの違いがあります。ましてや、練習で巻藁を斬るのと、生きた人間を斬るのは、全くの別物でしょう。明確な殺意を持って、人に斬りかかる……明治や大正生まれならともかく、昭和後半や平成生まれの人間にそれが可能でしょうか。それこそ「無敵の人」でもない限り無理だと思います。
もうひとつ、基本的に日本刀は高いです。詳しくは知りませんが、一本何十万から何百万という値段でしょう。また、訓練用の巻藁もバカになりません。手入れにも金がかかりますし、試し斬りなどする際の衣装もそれなりの値段がするようです。
何が言いたいのかといいますと、日本刀を持ち鍛錬に励めるような人たちは、金持ちだということです。上級国民とまではいかなくても、それに近い立場でしょうね。社会的な地位があり、家庭も持っている……そんな人たちが、いざという時にぱっと頭と心のスイッチを切り替え、生きた人間を斬れるでしょうか。
さらに、考慮すべき要素があります。
「長い射程、高い威力……だが銃の真の利点はそこではない。殺すことと殺意と罪悪感の簡便化だ。何せ、引き金ひとつで誰でも兵になれる」
これは漫画『ドリフターズ』に登場する織田信長のセリフです。確かに、その通りなんですよね。離れた位置から、指を動かすだけで殺傷力のある弾丸が発射されるわけです。心理的な圧迫は、刺したり斬ったりする行為と比べれば低いでしょう。それに対し、刀は接近して腕を振り相手を斬らねばなりません。その違いは、実戦ならば大きいでしょうね。
また「素人が拳銃を撃っても当たらない」などとよく言われます。それは正しい意見なのでしょう。しかし、当たる当たらない以前の問題として、銃を突きつけられたら怖いのですよ。銃口を向けられる恐怖、人を殺すことに対する忌避感、そうしたもろもろの心理的要因をクリアし銃を所持した相手を斬り殺す……まあ、無理でしょう。少なくとも、私には絶対に出来ません。
結局のところ、日本刀で人を斬り殺すには、本当の意味で「無敵の人」になれるような資質と環境を持った人間でないと不可能だと思います。今の日本で、普段は善良な上級市民として生きながら、襲われた時だけ瞬時にスイッチを切り替え無敵の人と同じメンタリティで戦う……これが出来るのは、まさに超人としかいいようのない人でしょうね。ひょっとしたら、それも才能なのかもしれません。
最後になりますが、かつてヤン・ノルキヤという格闘家がいました。南アフリカ出身で、身長二メートル十センチ体重は百四十キロの巨漢です。日本なら、この人を襲おうなどという愚か者はいないでしょう。
このノルキヤ、こんなことを言っていました。
「故郷だと、外出する時はピストルを持ち歩いていた」
そう、南アフリカは二メートルを超す巨漢ですらピストルを持ち歩くくらい危険な場所なんですよ。そんな国なら、パッとスイッチを切り替え人を殺せる者もいるかもしれません。
一方、日本はどうでしょう……まあ、比較にすらならないですよね。そもそも、女性が夜にひとり歩きをしていても無事な国です(地域にもよりますが)。安全性は、世界でもトップクラスでしょう。日本人は、その安全と引き換えに様々なものを捨て去ってきました。武士道精神や侠気などと呼ばれるようなものも、その捨て去ったもののひとつでしょう。
個人的には、そんなものより平和な方がいいに決まっていると思うのですが……それはひとまず置きます。平和な国である日本で、それなりの地位も立場もある人たちが「古武術は実戦的だ!」「拳銃を相手が持っていても日本刀なら勝てる!」などと語っているのは……お坊ちゃん学校に通う喧嘩をしたことのない中学生が「A校の番長はボクシングやってて強いらしいぞ」「いやB校の番長の方が強いよ。二刀流の剣術使えるから」などと言い合っている姿と似たものを感じるのですよね。




