日本刀は片手で使えるか?
創作界隈にて、たびたび取り上げられる話題のひとつに「日本刀を片手で扱えるか」というものがあります。扱える説と扱えない説、どちらの意見にも支持者がいるようですね。
私は、剣道や剣術の類いは未経験です。そのため、意見を言うのは憚られるのですか……よくよく調べてみると、この話題は「片手で日本刀を扱い、人を切れるか」ということのようです。剣で人を切ったことのある人などいないだろう、ならば私も意見を書いてもよいのでは……ということで、今回は「片手で剣を持ち、人を切れるか?」について書きます。
この話題になると、真っ先に出てくるのが宮本武蔵ですね。二刀流の大家であり、五輪書を残した剣豪であります。日本最強の剣士に推す人も少なくないようですね。
ところが、この宮本武蔵の武勇伝をよくよく調べてみると、怪しいものが多いらしいのですよ。「卑怯なだまし討ちで勝ってきた」「巌流島の決闘は、老いた佐々木小次郎を落とし穴にハメて勝った」という意見まであるほどです。
正直いうと、この当時の話には大袈裟なものが多いのは確かです。実際、「武蔵は飛騨でゴリラのような大猿を退治した」などという伝説もあるようです。ここまで来ると、さすがに「おいおい」と言わざるを得ないですよね。
まあ、逸話の真偽は置くとしまして……片手で日本刀を振り上げ人を切るというのは、かなり無理があるようには思います。
結局のところ、日本の剣術は一本の刀を両手で持つスタイルが大半ですよね。それが基本なのだと思います。人体の構造や、実際に刀で切り合うということを想定した場合、両手で一本の刀の持つのが大半の人間にとってやりやすいスタイルなのかもしれません。
あと、片手に持った刀で巻き藁を切る動画があるそうですが、巻き藁と人間を切るのはまるで違うのではと思います。巻き藁はこちらの攻撃を避けませんし、反撃もしてきません。ところが、生きている人間は切りかかられれば防御します。切られないように動いたりもします。また、反撃もしてきます。
打撃系の格闘技の経験者ならわかるでしょうが、その場でじっと動かないサンドバッグに強いパンチを当てるのと、試合で軽快なフットワークを用いて動き回る相手に強いパンチをクリーンヒットさせるのは別物なんですよ。巻き藁を切るのと、生きた人間を切るのも、また別物なのではないかと思います。
ただ、こうした意見のみで「片手で人を切るのは不可能」と断定してしまうのも、また違うのではないかと思います。
現代の二刀流といえば、野球選手の大谷翔平ですが、ほとんどの野球選手には二刀流は無理なのでしょう。ただし、大谷には出来るわけです。同様に、宮本武蔵は二刀流で戦うことが出来たのかもしれないです。他にも、片手で日本刀を上手く扱い、戦うことの出来る者もいるのかもしれません。
なので、結局のところはその人次第ではないとかと。漫画『ベルセルク』のガッツは、鷹の団にて戦っていた時「俺の剣は、並のものの三倍の重さがある」と言っていました。その三倍の重さの剣に重りを付け、片手で振るトレーニングをしている場面もあります。それくらいの腕力があれば、片手で剣を振るい相手を一刀両断することも可能なのではないでしょうか。
ついでに言うと、世界には二刀流の武術が少なからず存在しています。扱うのは短めの剣や棒ですが。
最後に……このエッセイにて何度も書いていますが、古い時代の武術家や剣豪の伝説には、とんでもない話が多いです。例えば「八十歳まで若者相手に負けたことが無いという剣術家」「鉄の兜を刀で一刀両断した」などなど……。
ただ、私はこれらの話のほとんどを信用していません。伝聞以外に、それを証明するものがないからです。言うまでもなく、映像はもちろん写真すら残っていないものがほとんどです。はっきり言うなら、これらの伝聞は「どこそこの山に天狗が出た!」「〇〇川に河童が出た!」という話と、信憑性において同レベルだと思っております。
映画『許されざる者』には、ガンマンが作家に向かい得意げに自らの武勇伝を語るシーンがあります。昔の剣豪や武術家も、似たようなことをしていたのではないかと。講談師のような者たちに、盛りに盛った武勇伝を語っていたように思うのですよね。
そうした伝聞を、創作物の中で主人公の強さを説明するため用いるのは構わないでしょう。ただ、「こういう逸話がある。だから〇〇は可能だ」というような論法は、間違いとは言いきれないにしろ、正確さには欠けるのではないだろうか――という気はします。




