リアリティ警察、必要ないですか?
以前、このエッセイにて、とあるなろう作品について語ったことがあります。『細かい事かもしれませんが』という章です。
そのなろう作品とは、ボクシング小説です。高校生の主人公がボクシングを始めるが、厳しい現実に打ちのめされ、しかし天才美少女と出会い成長していく……という王道的ストーリーでした。今はもうありません。
私がその作品を読んだ時、明らかにおかしいと思った点がいくつかありました。特に酷いと思った二点を、感想として送りました。
その二点とは、百七十センチ六十二キロの主人公を「筋肉付けすぎ」「レスラー体型」などと書いていたことと、その六十二キロの高校生が七十キロのダンベルでトレーニングしていたということです。
さて、活動報告やツイッターなど見ていると、たまに「リアリティ警察来たよwww」というような文に出くわすことがあります。どうやら、リアリティ警察というのは「困った奴」という捉え方をしている人が大半のようですね。
一応説明しますと、リアリティ警察とは、作品に登場する描写や展開などについて「あれは現実ではありえない」「これはリアルとは違う」と、感想にて書き送る人たちのようです。先ほども書きました通り、あまり歓迎されない存在のようですね。
はっきり言うと、なろう作品の格闘シーンにおいて、リアルじゃない描写など数えきれないくらいあります。このエッセイでも何度か書いてきた「五十キロもない美少女が百キロを超す筋肉質の体格で戦闘訓練も受けているような大男をわけわからん古武術の一発で倒す」などというのは、なろう作品に限らず世の中に溢れていますね。
ちなみにSAS(イギリス特殊部隊)の徒手格闘の教官は様々な武術を二十年以上修業してきた人だそうですが「相手が百キロを超える体格で格闘技の心得があった場合、武術はたいして役に立たない」と訓練生に言っていたそうです。これが現実なのですよ。
ただ個人的には、そういったシーンにリアルじゃないと文句をつける気はありません。いや文句はつけますが、該当する描写のある作品に、感想として書き送る気はありません。
創作物には、嘘がつきものです。極限までリアリティを追求したら、それはドキュメンタリーでしょう。読者を楽しませるため、話を面白くするために嘘を入れる。あるいは独自理論を入れるというのは、創作において当然でしょうね。
だからといって、リアリティ警察を全て否定していいとは思えないのですよね。中には、明らかに無茶苦茶なものもあります。
例として、先ほどのボクシング小説をあげます。繰り返しになり申し訳ないですが、百七十センチで六十二キロの体格を筋肉付けすぎとしてしまう……それは、現実世界の法則を完全に無視しているのですよ。巷に、百七十センチ六十二キロの男性は大勢います。では、その人たちが筋肉付けすぎのレスラー体型かどうか見てください。違いますよね。
これは、身長五十七メートル体重五百五十トンの巨大ロボは現実には軽すぎる……というクレームとは別種のものです。巨大ロボは現実に存在していませんし、敵の宇宙人も攻めてきてはいません。しかし、百七十センチ六十二キロの男性は現実に存在しているのです。
また、件のボクシング小説は異世界を舞台にしたものではありません。現実世界を舞台に、実際に存在するスポーツをテーマとした作品なんですよ。六十二キロの高校生が七十キロのダンベルでトレーニングするなど、それこそ『グラップラー刃牙』に登場しても違和感のない超人的腕力の持ち主しょう。現実の日本人プロボクサー(平常時の体重六十二キロ前後)で、七十キロのダンベルを片手に持ちトレーニング出来る人はいません。これは断言できます。
上に挙げた部分は、全て勉強不足と言わざるを得ないです。経験のないものであっても、ネットで調べれば創作に必要な知識は得られます。調べれば、間違いにも気づくはずです。
もう一度書きますが、ファンタジー作品では嘘や独自理論もありでしょう。ただ現実世界を舞台とした作品を書く場合、作品世界から考えてもあまりにおかしな部分を指摘され「リアリティ警察WWW」という一言で切り捨てるのは、ちょっと考えた方がよいのでないかな……と思う次第です。
蛇足かもしれませんが、一応書いておきます。最近知ったのですが、近頃のアニメのイケメンキャラの中には百八十五センチで五十キロの細マッチョ……という設定の者もいるそうです。これ、リアルでいうならアンガールズ田中さんの体型てすからね。




