闘う理由
中学生くらいの時、何かの本で読んだのですが、古代ヨーロッパ(確か中世ヨーロッパだったと思いますが、はっきり覚えてません)のどこかの国で休日と称し、奴隷たちを丸一日休ませてあげる風習があったそうです。
奴隷の普段の苦労を労うため、丸一日の休みをあげるとは、何と優しい御主人様なのでしょう……ところが、その内容を知った瞬間、私はぶったまげてしまいました。
休日を過ごすのは、真っ暗な狭い部屋……そこから丸一日の間、一歩も出てはいけないそうなのです。食事も排泄も暗闇の中……ただの拷問ですね。実際、奴隷たちにとっては休日でもなんでもなく、普段よりも辛い一日だったそうです。
さて、御主人様は何のために、奴隷たちにこんな苦行をさせるのかと言いますと……実のところ、普段の生活をより良く見せるためなのだそうです。真っ暗闇の中で、何もしないという状況を丸一日経験すると、翌日からの労働が喜びに変わるのだそうです。その状況から解放された時の喜びは……筆舌に尽くしがたいものがあったとか。心理学で言うところの……すみません。この心理状態に適した言葉があるのかどうか、私は知りません。ただ、昔の御主人様はそうやって、奴隷たちの不平不満を押さえつけていたらしいのですよ。実に恐ろしい話ですね。苦痛を与え、そこから解放されると、普段の労働すら喜びになることを熟知しているとは……心理学とか、そういった学問がないはずの時代なのに……。
さて、私は二年前、新木場にある『新木場1STリング』という会場で総合格闘技の試合をしました。結果は3ー0の判定負けです。
この試合に出る前は……本当に怖かったですね。この恐怖感を例えるなら……何でしょうか? 私には上手く例えることができません。そこで……かつてプロのミドル級ボクサーとして闘い、その後『ト○ーズ』という漫才コンビを結成して今も関西方面で活躍中の○ミーズ雅さんの言葉を拝借しますと……。
「街を歩いていて肩がぶつかり、オイコラ! と言って始まる喧嘩……これは勢いで突っ走ってしまえるのであまり怖くはない。ただ……今から何か月後の何月何日の何時何分に、物凄く喧嘩の強い奴が通るから、そいつと喧嘩しろ……そう言われてから、喧嘩するまでの何か月間は、物凄く怖い」
うーん、上手く例えているような、そうでないような……私個人の経験ですが、いらん事ばかりを考えてしまうんですね。
朝起きる……その直後、もう試合のことを考えています。仕事が一段落した時……試合のことを考えています。そして夜寝る前……やっぱり試合のことを考えているのです。
しかも……私はマイナス思考なせいなのか小心者なせいなのか、とにかく悪い方へ、悪い方へ考えてしまいます。パンチを喰らって鼻が折れたらどうしよう、歯が折れたらどうしよう、網膜剥離になったらどうしよう……とりあえず、打撃に対する恐怖感が一番大きいですね。
さらに、いらんことは次々と出てきます。もし、みんなの前で無様な負け方をしたら……もし、試合中にボディにパンチもらってゲロ吐いたら……もし、頭にパンチもらって何も記憶できなくなったら……。
なんとまあ、情けない男なのでしょうか。書いていて恥ずかしくなってきました。しかし、この恐怖感だけは本当に……形容できないです。毎日毎日、ずっと恐怖が続くんですよ。ホラー映画みたいにワッと来て終わるのとはまた異質の……ひたすら嫌な感じです。
そして試合当日、私はビビりまくりながらも試合しました。散々パンチをもらい鼻血が出るわ唇切れるわ、まあ大変でしたね。判定負けの後、リングドクターに「君、パンチをもらってたけど大丈夫か?」と、いろいろチェックらしきものをされました……いい加減なものでしたが。ちなみに、その時のレフェリーは小路晃さんでした。ちょっと感激しましたよ。小路晃さんを知らない方は……調べてみて下さい。
で、ここから先が重要なのですが……終わった後の解放感は、筆舌に尽くしがたいものがありましたね。その日は丸一日、変なテンションでした。さらに、総合格闘技のリングでKO負けも一本負けもせず、最後まで立っていられた……これは、私にとって大きな自信になりましたね。
ここで冒頭の奴隷の休日を思い出してみると、当てはまる部分が多いですね。奴隷は強制されてやるわけですが、私はわざわざ、自分から拷問のような苦行を強いて、そこからの解放感を楽しむ……バカですね。しかし私は、この感覚をもう一度味わいたいです。だから、私はこれからも試合に出ます。ある意味、ヤク中みたいなものかもしれません……。




