プロレスと格闘技の違い・時間の話
まだコロナが猛威を振るう前、知人と話していた時のことです。その人は当時八十歳近い年齢にもかかわらず、私と一緒に筋トレ行くくらい元気でした。その知人が、こんなことを聞いてきたのです。
「赤井くんは、試合に出たことあるんだよね。格闘技の試合って、どのくらいの頻度でやるの?」
「出られて三ヶ月に一回くらいでしょうね。打撃ありだと、僕はそれが限度です」
そう答えると、知人は訝しげな表情でさらに聞いてきます。
「えっ、プロレスラーなんか毎日試合してるよ?」
その人は、プロレスと格闘技の違いをわかっていないようです。何と答えようか一瞬迷いました。仕方ないので「いやあ、プロレスラーは超人ですから。僕なんかとは違いますよ」と返しました。
この時は、これで済ませましたが……ひょっとすると、このエッセイを読んでいる方の中にも同じことを思っている人がいるかも知れません。というわけで、プロレスと格闘技の違い……特に時間について語ります。ものすごく基本的な話なのですが、このエッセイはあくまで格闘技経験のない人に向けていますので。
まずプロレスと格闘技の違いですが、プロレスには台本があると言われています。少なくとも、台本に近い打ち合わせのようなものはあるようです。大まかなプロットのようなものでしょうか。このプロットに従い、技を出し合い試合を組み立てていきます。そのため、相手に与えるダメージも加減しています。相手を怪我させてしまっては、翌日の興行に差し支えるからです。
ところが、格闘技の試合は違います。いわば、本気の壊し合いなんですよね。同じ腕ひしぎ十字固めでも、プロレスなら折られません。しかし格闘技では、タップするタイミングを間違うと折られてしまいます。
それよりも怖いのは、やはり打撃ですね。強烈なローキックは、素人が相手なら一発で歩行困難になることもあります。それくらいのダメージを受けるのですよ。ミドルキックにしても、受け方を間違えるとガードしたはずの腕が折れることもあります。
さらに深刻なのは、顔面への打撃です。顔面にパンチをもらうと、脳がダメージを受けます。この脳のダメージは深刻でして、一歩間違うと死に繋がります。そこまでいかなくても、脳のダメージが回復しないまま次の試合に出たりすると、当然ながらダメージは蓄積していきます。
事実、試合を重ねるうちに打たれ弱くなることもあるのですよ。これも、脳のダメージゆえでしょうね。
顔面パンチありの格闘技だと、こういう怖さがあるのですよ。事実、かつてK-1にて真っ向からの打ち合いを得意としていた選手が、引退後にパンチドランカー症状に悩まされる……というケースもあります。これで、プロレスのように毎日試合をやっていたら、確実に死人が出るでしょうね。
ついでに、試合の時間についても語ります。同じ5分でも、プロレスと格闘技ではまるで違うのですよ。
プロレスには台本があります。つまり、どういう攻撃が来るかはだいたい予測可能なわけですね。また、技の掛け合いにも相手の協力があります。上手いプロレスラーは、相手に必要以上の負担をかけさせずに投げられてあげるそうです。ブレーンバスターのような派手な技は、相手の協力なくしてはかけられません。結局のところ、相手は自分にケガをさせないという信頼関係の中で試合を作っていくのがプロレスです。
余談ですが、以前読んだなろうのエッセイで、自称・格闘技経験者のなろう作家さんが、ヘッドシザースホイップを「格闘技の技」として紹介していましたが、これは間違いです。ヘッドシザースホイップとは、立っている相手に飛びつき両足で頭を挟み投げる派手な技でして、完全にプロレスの技です。こんな技、よほどの実力差または体格差があるか、あるいは相手の協力がなければかかりません。本当に経験者であるなら、いい加減なことは書かないでいただきものですね。
話を戻しますが、格闘技では、相手は協力してくれません。例えば総合格闘技で、組み合いの攻防から相手を金網やコーナーに押し付け膠着している状態がありますが、あの時間帯は本当にキツイのですよ。
押し付けている側は、どうにか相手を倒そうとテイクダウンを狙いつつも、同時に様々な選択肢を念頭に置きながら動いています。両足タックルの体勢にするか、片足タックルに切り替えるか、脇を差しにいくか。あるいは、パッと離れて打撃の攻防にいくか。それとも、このまま膝でコツコツダメージを与えるか。と同時に、相手の動きにも対応せねばなりません。
当然ながら、相手は相手で技をかけさせまいとして動いています。同時に、反撃のチャンスも狙っています。このあたり、読み合いの要素もありますね。
お互いに全力で相手のやりたいことを邪魔しつつ、自分のペースに引き込もうとする……これが格闘技です。そうした攻防は、スタミナの消耗が激しいですね。
また、相手を倒せる技を全力で出すと同時に、倒されるかもしれないプレッシャーを受けつつ試合をする……この独特の緊張感がもたらす疲労は、体験しないとわからないかも知れません。ただ、ほんの僅かでも伝わっていただければ幸いです。
最後に、とある作品にて書いたセリフで締めさせていただきます。
「相手の輝きを消し、自分を輝かせる……それが格闘技だ。相手を輝かせ、自分も輝く……それがプロレスだ」




