顔を殴られると痛いです。
先日、あるお気に入りユーザーさんの活動報告を見てふと気づいたのですが、ここしばらくラノベを読んでいませんでした。なので、久しぶりにラノベを読んでみました。『神様のメモ帳』という作品です。この作品の作者さんは何かやらかしてしまったらしく、いろいろ叩かれていたそうですね。詳しいことは知りませんが……私は作者さんには興味がないので、とりあえず読んでいます。まだ途中ですが、なかなか面白いと思いました(なんか上からですみません)。ただ……些細なことなのですが、途中で主人公がボクサーの友人(というか先輩)とミット打ちをするシーンがありました。しかし、そのシーンで「スパーリング」と書かれていたのです。もしかしたら、単なる書き間違えなのかもしれませんが……本気で誤解しているとしたら悲しいですね。ボクシングのようなメジャーな格闘技ですら、そのようなことがあるのかと思うと……世間の方々の格闘技に対する認識はまだまだなようですね。
ここで一応、復習も兼ねて皆さんに説明しますと、ミット打ちとはトレーナーの構えるミットに、指示されたパンチを打つ練習です。一方、スパーリングとは実戦形式と言いますか……簡単に言うと、相手と殴りあう練習です。動きとしては似てはいますが、練習の質としてはかなりの差があります。実は、この練習の質の差は物凄く大きなものなのです。格闘技に必要な、ある要素の有無……それが、この二つを分けるものなのです。
さて、世の中には様々なスポーツ競技があります。野球、サッカー、陸上、体操、水泳などなど……恐らくは数えきれないでしょうね。野球やサッカーといったメジャーな競技で一流のプロ選手となっている方々の身体能力は素晴らしいです。また体操選手の動きなどは、見ていて思わずため息が出そうになります。
もし彼らが格闘技をやったらどうなるか……身体能力そのものは常人の遥か上をいきますからね。まあ、ミット打ちなんかやったら凄いでしょう。パンチ力は相当強いでしょうし、パンチを当てる能力も素晴らしいものがあるでしょう。たぶん、彼らなら私と違い、複雑なパンチのコンビネーションも、いともたやすくマスターするでしょう。私のような凡人が一月かかって辿り着くところを、彼らなら一日かからずに到達してしまうでしょうね。
しかし、格闘技は器具を相手にする競技ではありません。人間を相手にする競技です。
まず生じる問題……それは相手を殴ることができるか、ということです。
ボクシングなどの打撃系をやっている人は意外に思われるかもしれませんが、相手を殴るのに抵抗を感じる、という方は意外と多いのです。恐らく、心優しい方なのでしょう。どうしても相手の顔を殴るのに抵抗があるという方は、どんなに優れた身体能力を持っていようと格闘技の世界では勝てません。ただ……個人的にはそういう方のほうが好きですし、そういう方と友人になりたいとも思います。少なくとも、他人の顔を何のためらいもなく殴れるというのは、人としてどうなのだろうか? という疑問はありますね。
人を殴る、という問題を解決したとしても、すぐに次の問題が生じます。それは……シンプルにして深刻な「殴られる痛さ」です。
はっきり言って、殴られるのは痛いです。当たり前ですが。一発のパンチで顔の形が永久に変わってしまうこともありますし。鼻が折れたり、前歯が取れたり、唇が切れたり、失明したり……昔に比べ事故は少なくなりましたし、格闘家の顔も綺麗にはなりました。でも、顔が変形する可能性は0になったわけではありません。ちなみに、私も打撃のスパーリングでは、しょっちゅう鼻血を出してます。
柔道やレスリングといった組み技系でも、顔へのケガはあります。揉み合っている(この言い方は厳密には違いますが)際に相手の肩が顔面に当たったり、ひどい時には頭突きをもらうことも……頭突きはパンチよりも痛いです。
ケガについて書くのは、このくらいにしておきましょう。とにかく、こういったケガの可能性を充分に理解した上で、それでも試合に臨める人間……それはたぶん、もって生まれたものなのでしょうね。身体能力だけでは単純に語れない部分だと思います。男女問わず、顔に生涯残る傷を負うかもしれないという恐怖は……決して小さなものではありません。私も試合前は怖いです。ではなぜ、アマチュア格闘家は試合に出るのか? プロもしくはプロ志望ならともかく、そうでない人がなぜ? その点に関してはまた別の機会に……。




