兵法は正しいの?
先日、兵法に関する記事を読みました。その中に、このような記述があったのです。
「戦いやスポーツの試合では、実力差が明らかで勝ち目がないことがある。その場合、良い負け方は粘って粘って少しでも戦っている時間を引き延ばす。悪い負け方は、すぐに諦めてしまうことだ」
私は、戦争やミリタリーには詳しくありません。なので、上に書かれている兵法が正しいかどうかはわかりません。
ただし、これだけは言えます。格闘技において、勝ち目のない試合を長引かせ、戦っている時間を引き延ばすのは……あまりいいとは思えないんですよね。
格闘技、特に打撃系は……当然ながら相手の体を破壊する技を習得しています。サンドバッグを蹴ったり、パンチングミットを叩きまくったりといったハードな練習で己の技を磨いていきます。
プロの格闘家のパンチやキックは、まさに凶器と呼べるものなんですよ。そんな格闘家同士が、試合で闘うわけです。そうなれば、無傷というわけにはいきません。確実に、体にダメージを負います。負けた方はもちろん、勝った方もダメージを負うんですよ。
そんな格闘技の試合で、ひどいダメージを負いもはや勝ち目がない。にもかかわらず、試合を続行し長引かせる……これは、明らかに間違いでしょうね。
試合を続行すれば、普段ならもらわないはずのパンチをもらう可能性があります。頭にパンチをもらえば、脳にダメージを負うんですよ。ただでさえ、体にダメージを負った状態で勝ち目が皆無なのに「良い負け方」を追求し試合を続行する……結果、脳に取り返しのつかないダメージを負い引退せざるを得なくなる。これは、充分に有り得る話です。また、絶対にやってはならないことでもあります。
ただ、格闘技には「最終ラウンド、ポイントで負けており、どう頑張っても逆転しない。あとはKOするしかない」という局面があります。致命的なダメージは負っておらず、まだ闘えるが逆転は難しい。この局面で諦めず、KOによる逆転勝ちを狙い最後まで闘う……この姿勢を否定するわけではありません。くれぐれも勘違いしないでください。
以前にも書きましたが、打撃系の格闘技ではセコンドの存在が本当に大事です。
プロになろうという人は、間違いなく意思が強いですし根性もあります。さらに、責任感もあります。ですから、ダメージがあって勝ち目がない状況でも、最後までやり遂げようとしてしまうんですよ。
そこで、闘いを長引かせることなく、致命的なダメージを負う前にタオルを投げる……このセコンドの決断が、非常に大事です。負け試合を早く終わらせることにより、選手は必要以上のダメージを負うことなく、次の試合に対し備えることが出来ます。そう、選手には次の試合があるんですよ。さらに言うなら、引退した後の生活もあります。格闘家としての時間よりも、後の人生の方が長いんです。パンチドランカーの人生を歩ませていいはずがありません。
ただ、プロの試合の場合は観客がいます。また、ファンの存在も無視できません。さらに、強いパンチを持つ選手は一発逆転のKO勝利を期待されていることもありますので、止めるタイミングは非常に難しいんですよね。しかし、これ以上続けたら危険と判断したら、速やかにタオルを投げるのもセコンドの重要な役割です。
ここからは余談ですが、粘り強さは人生において確かに必要です。ただし、逃げることも大事です。ひどいいじめに遭いながらも学校に通い続けたり、ブラック企業でパワハラを受けながら仕事を続ける……これはどうなんでしょうね。こういった場合も、粘った挙げ句に辞めるのが、良い負け方なのでしょうか。自殺に追い込まれる一歩手前まで粘るのが、兵法としては正しいのでしょうか。
学校にしろブラック企業にしろ、粘っている間に、肉体と精神はどんどんダメージを受けていきます。下手すると、パンチドランカーのように、その後の人生にも影響を及ぼすような状態になってしまう可能性があるんですよ。そうなる前に、パッと負けを認めて戦いを終わらせるのが大事ではないかと思うのですが。負けという言い方が嫌なら、戦略的撤退と言い換えても構いません。
とにかく、粘りに粘って無意味な戦いを続行した挙げ句に、肉体と精神に取り返しのつかないダメージを負う……これは、本当に意味がないでしょう。
ついでに言うと、戦争において勝ち目のない戦いを長引かせるのは、兵法という観点からは正しいのかもしれません。粘って粘って戦争を長引かせた挙げ句の敗北が、良い負け方なのかもしれません。ただ、国民としてはいい迷惑でしょうね。
もしかすると、第二次世界大戦の時の日本は、この兵法の通りに動いていたのでしょうか。




