今のオレには、それくらいしかできそうにない
皆さんは『必殺仕業人』という時代劇をご存知でしょうか? まあ、恐らくは知らない方がほとんどだと思います。実はこの仕業人という作品、物凄く貧乏臭い空気が流れていまして、しかもチームワークが最悪……時には仲間同士で殺し合いをやらかしそうになったりもしてました。水戸黄門や暴れん坊将軍のような勧善懲悪ものとはかけ離れた雰囲気でしたね。
さて、この仕業人には中村主水の他に赤井剣之介というキャラが登場します。この剣之介が中村主水と初めて会った時、こんなやりとりをするのです。
中村主水:「お前、どんな仕事がしたいんだ?」
赤井剣之介:「殺しだ。今のオレにはそれくらいしかできそうにない」
私はこのやり取りが大好きでして、『ソルジャー・ブルー』の中で同じやり取りをさせています。それはともかく、この赤井剣之介というキャラは人を殺して追われる身なのです。そのため、まともな仕事に付けず、裏の殺し屋をするしかないという……このままいくと話が際限なくズレていきそうなので、ここまでにしておきます。
前にも書きましたが、人には向き不向きがあります。私は打撃技が苦手で、組み技の方が得意ですね。しかし、最低限の打撃技の攻防はできないといけないため、練習はしています。しかし、打撃というのも本当に難しい部分がありまして……センスの有無、という点は大きいです。
それはともかく、今の総合格闘技では、殴る、蹴る、投げる、絞める、極める(関節技を)といった技すべてがある程度できないと、勝つのは難しいですね。
しかし、全部できれば強いかというと……それもまた違います。全てが「ある程度」できた上で、突出した何かがないと、勝つのは難しいですね。わかりやすく言うと得意技です。これがあるのとないのとでは……相手に与える脅威が違います。また、観ている側としても面白さが違ってきます。得意技というのが、格闘家の個性の一つですからね。とはいえ……打撃が上手い、打撃センスがあるというのは羨ましいですね。打撃、特に顔面へのパンチは一撃で試合をひっくり返すことができます。極端な話ですが、自分に一撃で相手を倒すだけのパンチがあれば、どんな実力差があろうと勝つ可能性があるわけです。
例えて言うなら、打撃の上手い選手は某禁書目録の上条当麻くんのような感じでしょうか。どんなに能力の差があろうと、右手のパンチ一発で倒す……これこそまさに、打撃系の怖さです。
さて、私は以前にハーレムものを書いたことがあります。いや、正確に言うとハーレムものに対する皮肉を込めた短編でした。が、書いていて辛かったですね……正直、こてこてのハーレムものを何のためらいもなく書ける人が羨ましいと思いました。いや皮肉とかじゃなく本気です。上手く言えないのですが……書いている最中、手が何度も止まりました。よく「ハーレムものは女にモテたことのない男の願望である」という説を聞きますが……ならば、今までの人生において女性にモテたことのない私が、なぜハーレムものに対し拒否反応を示してしまうのか……謎ですね。
結局、私にとってハーレムものは「できないこと」です。できないことはやらない、それしか対処する方法はありません。格闘技においても、その点は同じです。特に試合前など、自分に何ができるかを認識しておくことは非常に大事ですね。それによって、作戦も変わってきますし。ちなみに漫画などでは、試合前に特訓し、新しい技を編み出して試合に挑むという展開がありますが……実際に新しい技を編み出すのは、試合直前ではありません。試合直前は、今の自分にできることをチェックし、さらに試合で百%の力を発揮するよう練習を休む時です。
話がズレましたが、そんなわけでして、私はハーレムものを書くのは諦めてます。まあ、正直書きたくもないですが。なろうにおいて重要なのは……書いていて楽しいか楽しくないか、ではないでしょうか。例え読者が自分一人だけであったとしてもです。いや、そもそも自分が読んで楽しめない作品を、人が読んで楽しいと思うでしょうか?
などと言ってますが、ついこの間、お気に入りが一日に四件減った時にはさすがに落ち込みました……。
それはともかく、自分は何ができるのか、そして何ができないのか、という認識は格闘技や創作だけでなく、人生全般において重要だと思います。「今のオレには、これくらいしかできそうにない」と言わざるを得ない局面は、必ずあります。なので、最低限の自分磨きは毎日やっておきましょう……意味わからんかもしれませんが、今回はここまでです……。
言うまでもない事ですが、私のペンネームはこの赤井剣之介からきています。




