筋肉の二世帯住宅
私はこれまで、パワーや体格が格闘技においていかに大切であるかを、しつこいくらいに書いてきました。それこそ、自分でもくどいと思うくらいに。
しかし、世の中には未だに分かっていない人が多いんですよね。
「柔とか護身術的な物で、筋骨隆々な男に華奢な女の子が勝つというのは現実にある」
こういう現実を分かっていない意見は、本当に怖いと思います。以前にも書きましたが、テレビなどで芸人が護身術の技をかけられ「あいててて!」となっているシーンが現実だ、と思いこんでいるのでしょう。
例えばの話ですが、古武術の黒帯を持っている幼稚園児が、あなたに本気で向かって来たとしましょう。怖いですか? 怖くないですよね。それが、体格差というものの現実です。
ついでに言いますと、古武術には本来なら段や級は存在しないはずなのです。段や級があるのは、明治以降の武道だけですので……知らない人も多いようなので、念のため。
古武術はともかく、パワーや筋肉を机上の空論で否定する人たちを見ていると、私はあるファイター(?)を思いだします。一昔前に彗星のごとく現れ、日本の格闘技界を席巻した、一人の怪物を。
ボブ・サップ。
今の若い人たちには、その名前を聞いてもピンとこないかもしれませんね。
このサップですが、二〇〇二年に日本の格闘技界に忽然と現れ、瞬く間にスターへとのし上がりました。当時、総合格闘技では世界最強とまで言われていたアントニオ・ホドリコ・ノゲイラと対戦しノゲイラを大いに苦しめ、敗れはしたものの存在を格闘技ファンに印象付けました。
さらにKー1のリングでは、ミスター・パーフェクトとの異名を持つアーネスト・ホーストをもKOしたのです。これは大番狂わせでしたね。その後、二〇〇三年の大晦日に行われた曙との試合では、瞬間視聴率において紅白歌合戦を上回るという偉業を成し遂げています。
しかも、このサップは格闘技の経験はほとんどなかったとか。かつてはアメフトの選手でしたが、ボクシングやレスリングなどの格闘技はあまりしていなかったようです。少なくとも、他の選手に比べると技術的には雲泥の差がありましたし、キャリアも比べものになりません。
にもかかわらず、一流ファイターを撃破できたのは何故でしょうか。
ある格闘家はサップについて「格闘技を知らないが故の蛮勇が最大の武器。技術を覚えれば覚えるほど恐怖を知って弱くなるだろう」と評していたそうです。頷ける部分はありますね。また、サップは非常に頭のいい人でして、体の作り方や食事さらにサプリメントにも詳しかったという話も聞きます。
しかし、最大の理由は……やはり、圧倒的なまでの体格そして身体能力でしょう。
百五十キロを超える体格、凄まじい筋肉量から繰り出されるパワー、巨体に似合わぬ瞬発力……サップの身体能力、特に筋力は当時の格闘家の中ではダントツでした。
ノゲイラと闘った時のサップは、本当に化け物じみた強さでした。ノゲイラの三角絞めをパワーボムで外すという力ずくの荒技は、テレビなどで見る護身術をかけられ「あいててて」などと言っている芸人の映像を一瞬で破壊してしまうインパクトがありました。
しかし、名前が売れていくのと反比例するかのように、サップの勢いはだんだん低迷していきます。ミルコ・クロコップ戦での敗北をきっかけに、サップの評価はずるずると落ちていきました。その後の戦績は、決して芳しいものではありません。
さらに二〇一七年には、元恋人へのDVが暴露された……という話です。本当のところは私には分かりませんが、事実だとすれば実に悲しい話ではあります。
正直、私はサップという選手は大嫌いでした。技術が無く、体格とパワーと勢いだけで勝ってしまう男……当時は、そう評価しておりました。
しかし今になって振り返ってみると、サップという男は凄かったと思います。格闘技を知らない人にも分かりやすいファイトスタイル、リングを降りれば親しみやすいキャラクター、何よりあの肉体……偉大、とまではいかなくても、素晴らしい選手であったのは間違いないです。
そして今、私は思うのですが……ボブ・サップという選手は、当時の格闘技を知らない人たちに、筋肉の重要性を教えてくれた貴重な存在だったんですよね。
経験のない人に、体格差について口で説明しても分かってはもらえません。それよりも、サップの試合を見てもらう方が手っ取り早いでしょうね。そう考えると、もう一度サップのような選手を見つけて欲しいものだなあ……という思いを禁じ得ないのであります。無責任な意見ですが。
最後に、タイトルの「筋肉の二世帯住宅」とは、ボブ・サップの闘いぶりを実況していた古舘伊知郎さんの言葉です。この人もまた言葉を操るセンスは素晴らしい人でしたね。




