勝負の難しさ
以前、「敗北より勝利の方がより多くのものを得られる、したがって敗北には何の意味もない」という意見を目にしたことがあります。また、「勝利しなければ次はない。敗北すれば次に進めないのだから、勝利からしか学ぶものはない」という意見も目にしたことがあります。
どちらの人も、その根本にあるのは「勝つ者だけが偉い」という思想でしょうね。その思想が間違っていると言うつもりはありませんが、勝負の複雑さを知った上でそんなことを言っているのかな、という気はしますね。
少なくとも格闘技は、レベルを上げて物理で殴れば勝てる……という単純なものではありませんので。
私の通うジムにいる寝技の師匠は、恐ろしく強い方です。私はかれこれ五年以上、師匠に勝つことを目標にしておりますが……何回挑んでも、全く歯が立ちません。これは、完全にレベルの差を感じますね。
ただし、プロレベルの人たちとなると話は別です。勝者と敗者の間に、圧倒的な実力差がある……これは、そうそうあるものではありません。
特に上位になると、その差は本当に僅かなものですね。もちろん、ごくまれに天才としか表現のしようのない人間もいます。しかし、そうした人たちは本当に数が限られてますので。
それに、勝負には勢いというものもあります。流れやツキという要素も無視できません。
たとえば流れ落ちた汗が目に入り、視界が一瞬ふさがれた瞬間にパンチをもらって敗北することがあります。また、観客の何気ない言葉に集中力が途切れることもあります。
この集中力が途切れるという現象ですが、格闘技をやっている人なら誰もが経験しているのではないかと思います。
上手く伝えられるかは難しいのですが、ほんの一瞬フッと集中が途切れる……時間にすると一秒にも満たない僅かな間ですが、その瞬間に大振りのパンチが入ってしまうことがあるんですよ。平常時なら、躱すなりガードできるはずの何でもないパンチが入ってしまう……いわゆる「ラッキーパンチ」もこういう時に入りやすいですね。
格闘技において、上のレベルになると……実力が上だからといって、必ずしも勝てるとは限りません。些細なミス、僅かなコンディションの不調、当日の想定外の事態などなど。
それでも、実力に圧倒的な差があるなら勝つことは可能です。しかし、プロレベルの……それも上位ランカー同士の試合ともなると、実力以外の部分で勝敗が決することなどざらにあります。
ましてや、若い時の勢いというのは凄まじいです。時として、運までも味方に付けてしまうことがあります。少々のミスなど帳消しにしてしまう勢い……これは本当に凄いですね。
しかし、勝負の世界というものは非情です。やがて勢いだけで勝てない時が来ます。そう、敗北を知る時です。
人によっては、おおよそ一流選手とは言い難いような負け方を重ねるケースもありますね。
そうなると世間は冷たいもので、あっさりと見放します。実力に関係なく、「あいつは弱くなった」などと言われてしまいます。負けた方を擁護するマスコミなど、まずいません。さらに、周囲から人も離れていきます。
そうなると、スランプは本格化しますね。何をやっても勝てない状態……これは、本当にキツいそうです。自殺を考えた選手もいたとか。
そうした時期をくぐり抜け、本来の実力を発揮できるようになった人こそ、本当に強い人であると思います。
世間の人は、表面的な勝ち星の数だけで実力さらには人格までも評価します。しかし、実力のあるものが確実に勝てるのは下のレベルだけです。上のレベルに行けば、実力だけでは勝てません。ほんの紙一重の差で、勝敗が決するのが当たり前です。
ところが、世間では負けた側を、あっさり「弱い」と言って切り捨てます。さらには「勝者だけが偉いんだよ」などと結果だけを見て言う人もいますね……。
それは仕方ないことなのでしょうが、勝負の世界はRPGの戦闘のように単純なものではないということを知っていただけると幸いですね。レベルを上げるだけで勝てるなら、こんな楽なことはないですから。




