努力で天才に勝てますか?
先日、大相撲にて十九年ぶりに日本人の横綱が誕生しました。とはいっても、正直言いますと私は相撲には全く興味がありません。また、相撲の知識もありません。
もっとも、相撲から総合格闘技の世界に来た戦闘竜という選手は好きでした。筋肉の塊のような体で、ブンブンとパンチを振るい突進していくスタイルは、見ていて気持ちいいですね。
また海鵬さんという元力士が『巌流島』なる格闘技イベントに出場するため、私のいるジムに練習に来たこともあります。身長はさほど高くなかったですが、がっちりした体つきが印象的でした。海鵬さんとスパーリングしてみたかったですが、出来なかったのが残念ですね。まあ、私のような者など相手にしてる暇はなかったのでしょうが。帰り際「試合、頑張ってくださいね」と声をかけたら「ありがとうございます」と丁寧に返してくれました。
話が脱線してしまいましたが、私は基本的に相撲には興味がありません。そんな中、たまたまテレビを観ていたら……稀勢の里に関するニュースが放送されていました。稀勢の里が中学の時に書いた作文が話題に上がっていましたが、そこに書かれていた努力で天才に勝つ、という言葉が大きくクローズアップされていましたね。
さらに相撲記者(?)らしき人物がしたり顔で「稀勢の里は器具を使ったトレーニングなどせず、四股や鉄砲といった地道な努力を重ねて横綱になった」などと言っておりました。角界には未だに、こんな頭の固い人がいるのですね。もはや老害と言われても仕方ない存在ですが……それは今回のテーマとは関係ないので、ひとまず置きます。余談ですが、力士の石浦関は小兵ながら、ベンチプレス二百キロ、スクワット二百六十キロを挙げるそうです。たまたま何かのテレビで観ましたが……凄い体をしてましたね。
私が稀勢の里についての報道で引っ掛かったのは、中学生の時に書いた「努力で天才に勝つ」という文章がやたらと取り上げられていることです。なお誤解されては困るのですが、私は稀勢の里を批判しているわけではありません。むしろ、彼が中学生の時に書いた文章をやたらクローズアップしたがるマスコミや、それをありがたがる側の人間の態度にちょっと疑問を感じますね。
以前にも書いた通り、格闘家にとって努力は「して当たり前」です。
「僕は毎日、凄く努力しているんですよ」
などということを、したり顔で吹聴する格闘家はまずいないでしょう。いるとすれば、それは余程おめでたい人であるか、あるいはウケ狙いの発言でしょうね。ほとんどの格闘家は、自身の努力についていちいち語るような真似はしません。努力はして当たり前だからです。
話は変わりますが……皆さんは、天才というものにどんなイメージをお持ちでしょうか。大した努力もせずに、凡人より大きな成果を上げている人というイメージではないでしょうか。
確かに、昔のボクシング界にはそういうボクサーもいたそうです。地味なトレーニングを嫌がり、酒を飲み女と遊び、よく寝てない状態で試合に出てKO勝ち……そんなボクサーもいたそうです。
しかし、これはあくまでも全体的なレベルの低い時代だからこそ、通用したのです。仮に、今こんなボクサーがいたら……たぶん六回戦止まりでしょうね。少なくとも、チャンピオンになるのは不可能でしょう。
はっきり言いますと、本物の天才は努力の量も半端なものではありません。並みの人間なら体を壊してしまうであろうトレーニングメニューを、毎日きっちりとこなしていく……それこそが本物の天才です。凡人には出来ないような膨大な量の努力を、天才は簡単にこなせます。
ところが、一般の人たちには、どうもその辺りが理解されていないようで……「努力で天才に勝つ」という言葉をありがたがる、その根底にあるのは「天賦の才だけで上のランクにいるバカ者を、必死の努力で下から這い上がって来た人間が倒す」という構図を勝手に想像しているのではないでしょうか。
さらに言いますと、この「努力で天才に勝つ」という言葉をありがたがっている人の大半は……努力をしたことがない人なんじゃないかな、という気がしますね。自分では大した努力をしたことがない、そのために努力という言葉を過大評価し、ありがたがっているのではないかと。考え過ぎかもしれませんが。
ついでに言うと「俺はまだ、本気で努力してないから今のポジションなんだ。本気で努力すれば、俺はもっと上に行ける」などという考えの人もいるように思いますね。そういう人のほとんどが、本気で努力することなく人生を終えるのでしょうが。
そういえば以前、為末大さんの「努力すれば成功する、という教えは間違っている」との発言が炎上したそうですね。私は、この意見は間違っているとは思いません。オリンピックという場を経験した人間の発言としては当然だと感じましたが……この発言は、さんざん叩かれたそうです。結局、日本人の中には潜在的に「努力という言葉は神聖にして犯さざるもの」という意識があるのかもしれませんね。
ここまでのところは、極論かもしれませんが……努力なんて言葉をありがたがる暇があるなら、まずは自分が努力しましょう。日々、本気の努力をしている人間なら「努力で天才に勝ちます」という言葉を聞かされても、鼻で笑うだけでしょうから。
蛇足かもしれませんが、凡人が天才に勝つケース……それはまさに、某ラノベの上条当麻くんが一方通行を倒した時のような闘いになるでしょうね。針の穴をも通すような僅かなチャンスをものに出来る洞察力と咄嗟の判断力、そして運。さらには飽くなき勝利への執念……これもまた、一つの才能ですね。
実際、格闘技でも番狂わせは起きます。ハードパンチャーに対し、打ち合いに付き合わずローキックで徹底して脚を狙い判定勝ち。あるいは寝技の達人に、意表を突いたバックハンドブローでKO勝ち。これらは断じて、「努力で天才に勝った」ものではありません。そもそも、対戦相手も凄まじい努力を積み上げ、試合に挑んでいますから。




