教える能力
どんな業界であれ、入った直後は誰もが素人です。まずは、様々な人間から基礎的な部分を教えてもらわなくてはなりません。基礎を学ばなくては、どんな優れた才能があっても、それを活かしきるのは難しいでしょうね。
しかし、この教えるという技能は本当に難しいものでして……知識ゼロの状態の人に何かを教えるのは、かなり大変です。難しいことを分かりやすく説明するというのは、それなりの経験とスキルがある人でないと難しいですね。私には無理です。
さて、格闘技のジムや道場の中には、「あの○○選手が指導してくれます」「伝説のチャンピオン○○が、あなたを強くします」という売り文句を看板に掲げているところもあります。一見すると、普通のトレーナーに教わるよりは、伝説のチャンピオンに教わった方が強くなれるような気はするのかもしれません。
これはあくまでも、個人的な主観によるものですが……有名なチャンピオンに指導を受けたからといって、必ずしも強くなれるとは限りません。むしろ、有名なチャンピオンほど指導は下手であるケースは少なくないのです。
これは何故かと言うと、結局のところ彼らは格闘技のチャンピオンであって、指導のチャンピオンではない、という言葉で簡単に説明できます。
特に格闘技で世界チャンピオンになるような人というのは……得てして人外のごとき身体能力と、超能力のごとき格闘技センスと、超合金のごとき精神力を持っている化け物だったりします。そんな人に教わったところで、一般人に付いて行けるはずはありません。
しかも、そういう人は得てして自分を基準に物事を考えてしまう傾向があったりします。みんながそうだ、とは言いませんが、一般人の指導には向いていないかもしれません。
むしろ、一般人と同じくらいの才能しかなかったけれど、その才能をひたすら磨き続けた……けれども三流選手として終わった、という人の方が、指導者としては優れているような気がしますね。
格闘技を続けていけば、否応なしに才能の差を感じることがあります。自分の才能の無さを感じ、それでも努力を続けていく……そんな人は、才能の差を埋めるために様々な工夫をします。圧倒的な才能を持つ者には、まともにやっていては勝てません。
そこで、平凡な才能しか持たない者(あえて凡才と表記させていただきます)は、僅かな可能性を模索するわけです。まずは、自身の能力や持てる技術などを客観的に評価します。
次に、どうすれば自分が勝てるのかを考えます。凡才が天才に勝つ方法、それをあらゆる角度から考えていくわけです。
ここで、練習量を増やすというようなことはしません。余談になりますが、一流選手たちの練習量は半端なものではないです。我々のような一般人が同じ練習をしたら、確実に体を壊します。常人なら体を壊してしまうような練習に耐えられる丈夫さ、これもまた、天才の天才たる条件の一つです。
そんな人間を相手に、同じようなトレーニングで対抗していては絶対に勝てません。凡才はあくまでも、限られた条件の中でどう闘うか、それが勝負のカギです。闘いの中で、針の穴を通すがごとき僅かなチャンスを突くわけですね。
あるいは、十回やれば九回は向こうが勝つだろう。ただし、残りの一回が次に出ることを信じて試合に臨む……凡才は常に、そんな闘いを経験しているわけです。必然的に、研究熱心にならざるを得ません。
ですから、凡才は非常に研究熱心ですし、知識もあります。また、失敗した経験も天才よりは確実に多いです。自身の失敗した経験から得られる知恵、これは人に教える上では大きいですね。
私が何を言わんとしているか、もうお分かりですよね。世の中には、有名な選手や元チャンピオンが指導するジムがあります。ただ、そうした有名な選手が指導者としても優れているかというと、必ずしもそうではないということです。実際、選手としては強いが人格的にひどい人もいるそうですからね。
ですから、「有名な選手が指導している」などといった宣伝文句に惑わされず、自分に合った場所を探してください。極端なことを言ってしまえば、どんな場所でも強くなる人は強くなります。大切なのは、あくまで当人のやる気です。有名な選手がいるという宣伝文句に釣られて、やたら遠いジムに通ったりするのは、あまり意味がないと思いますね。
もっとも、あなたがその有名な選手の大ファンで、有名選手の姿を見ることが自身の練習のモチベーションに繋がるというのでしたら、それは大いに結構なことだと思います。どんな環境であれ、最終的に強くなるのは本人次第です。本人のモチベーションに繋がるような条件の多いジムに通う……これは当然のことですね。




