闘いのリアル
先日、古武術をやっていた人と話す機会がありました。その人も忙しい身なので、触りの部分だけを聞いたのですが……意外と合理的な話をされていたのには驚きました。「動きを見た限り、赤井さんは体重や筋力を充分に活かしきれてないですね」と語り、さらには「力は絶対に大事です」とも語っていました。
古武術と言えば、私は漠然と「力は使うな! 競技レベルの人間と我々を一緒にするな!」みたいな人種かと思っていたのですが、話してみると実に丁寧で、かつ理論的な物言いをされる人でした。自身の偏見を反省しましたね。
さて、私について誤解されている方がいるようなのですが……私は「美少女が大男を倒すなんて有り得ない。そんなけしからん作品は全て無くしてしまうべきだ」と主張している、などと誤解されている……というより曲解している人がいるようです。
確かに私は、美少女が大男をワケわからん技で倒すような展開の作品は嫌いです。しかし、そういった作品の存在そのものを否定するつもりはありません。
このエッセイの目的の一つは、素手の闘いにおけるリアルとフィクションの違いを教えることにあります。実際「○○を習えば体重差に関係なくブッ飛ばせる」などという話を信じている人はいます。
また明らかに嘘と分かる武勇伝を語る人と、それを信じてしまう人もいます。その信じてしまう人を見ると、私は大変にもどかしい気持ちになるんですよね……。
だから私は、リアルな闘いというものを皆さんに伝えるべく、こうして書いている訳です。
さて、なろうにおける古武術といえば……ひ弱そうな少年少女が、マッチョなザコキャラを倒すのがお約束の展開ですよね。
そういった作品から、格闘技に憧れを抱くようになった少年がいたとします。彼は、手始めに学校の柔道部に入ることにしました。
しかし、いざ入ってみると厳しい上下関係が待っていました(今は昔よりは緩くなっていると聞いておりますが)。その上、練習はキツい。さらに、持って生まれた才能の差はいかんともしがたい。いくら練習しても、自分より強い人間がゴロゴロいる状況です。
そんな時に、とある道場の広告を目にします。一見するとヨボヨボのお爺さんが、大男を投げ飛ばす写真……少年は興味を抱きます。これなら、自分も強くなれるのではないだろうか。柔道部ででかい面をしていたマッチョな先輩連中よりも、ずっと強くなれるのではないのか。
これは、年頃の少年が陥りやすい罠ですね……私から見れば「おいおい」と思ってしまうようなものに、簡単に騙されてしまうんですよね。
本来なら、こういう少年にこそ、しっかりした現実的な武道や格闘技を学んで欲しいです。学校の柔道部が嫌なら(正直、私も体育会に特有のノリが嫌いで部活はしていません)、近所にある格闘技のジムに通うのもいいでしょう。とにかく、お爺さんが大男を吹っ飛ばすような広告や、やたらと「気」という言葉を多用するような道場には、初めのうちは入らない方がいいでしょうね。
私も、超能力じみたものに憧れる気持ちは理解できます。しかし、それは現実的なものではありません。以前にも書きましたが、触れずに飛ばすというような超能力じみた技には、トリックがあります。いや、トリックというか暗示というか……とにかく、現実的でないのは確かです。
そんなものを習うより、現実的な格闘技や武道に触れる方が、どれだけ益になるか分かりません。
また、ウエイトトレーニングについてもそうです。ライトノベルなどから仕入れた古武術の知識を基に、ウエイトトレーニングをバカにする人は少なくないですが……確実に、やらないよりはやった方が力は付きます。そもそも、そういった古武術の登場するようなライトノベルを書いている人間のほとんどが、格闘技に関して素人であるのは言うまでもないことではありますが。
私は、このエッセイが格闘技を始める手助けになれば……と思っています。と同時に、リアルな闘いの知識を伝え、おかしな人やものに騙されることのないようにしていただきたいとも思っています。
蛇足かもしれませんが、リアリティーについての話になると必ず「これはフィクションだから」と言い出す人がいます。フィクションだからリアリティーはいらない、というのが持論なのでしょう。しかし、それはあまりにもセンスの無い言い訳だ、と感じるのは私だけでしょうか。プロレスに対し「あんなのは、しょせん八百長だから」と、したり顔で語るおっさんと同種の匂いを感じるんですよね。
例えば、美少女がマッチョな大男を倒す描写があったとします。当然、私はツッコミますが……その時は「美少女は実は鬼の血が混じっていた」「美少女は自身の魔力を一時的に筋力に変えることが出来る」など、キャラ設定の時点で、それなりにもっともらしい理由を付ければいいだけの話です。
それを「これはフィクションだから」という言い訳でツッコミを切り捨てていくのは……創作者としての闘いから降りているだけ、という気がしますね。
小説は壮大な嘘、という見方もあります。言い方は悪いですが、いかにして読者を「気持ちよく騙せるか」で勝負している部分があるのは否定できません。読者を気持ちよく騙すため、最低限のリアリティーを盛り込み、またツッコまれないためにも細部まで練って考える……それこそが、創作者の闘いではないでしょうか。もっとも、細かすぎるツッコミや明らかな誹謗中傷に関しては無視しても構わないでしょうが。
とにかく、しょせんフィクションだからという言い訳は、創作者の側が安易に口にしてはいけないと思いますが……そう思うのは私だけなのでしょうか。




