穿った見方かもしれませんが……。
今さら言うまでもないことですが、格闘家は日々、ハードなトレーニングを積んでいます。その内容はとても激しいものでして、我々には真似できません。
しかし、プロの選手のトレーニングは激しい、などと普通の人に言ったりすると、「プロは一日に何時間くらいやってるの?」などと聞いてきます。そこで「個人差はありますが、普段は二時間くらいです。試合が決まると四〜五時間くらいですかね」と答えると「あ、ああ、そう……」などと、大したことないじゃないかとでも言わんばかりの表情をします。
ただ、これはまだマシな方なんですよね。以前「昔の武術家は、血ヘドを吐くような稽古の末に銃弾をも躱すような神秘的な力を手に入れた。今の競技レベルで適当にやってるような格闘家には、到達するのは不可能だろうな」なとと言われた時には、正直キレそうになりながらも相づちを打ってました。
ちなみに、この方は格闘技の経験も武術の経験もありません。全部ネットや本からの知識です。にもかかわらず、格闘技の全てを理解したつもりになっているのです……本当に困りますね。
それはともかく、昔のトレーニングと今のトレーニングは根本的に違うのは確かです。ただ、昔ながらのトレーニングこそ素晴らしいと信じている人も相当数いるようですね。そこで今回は、昔ながらのトレーニングにどのような弊害があるかを語ります。かなり辛口になりますが……。
昔ながらのトレーニングというと、正拳突きを千本や回し蹴りを千本などといった、数をこなすメニューが多いです。トレーニングの量こそが重視される訳ですね。
この量をこなすトレーニング、始めたばかりの頃は非常に大切です。技を体に覚え込ませるためには、ひたすら反復練習を繰り返す練習が欠かせません。また、素足で蹴りを放つには強い脛や背足が必要です。そのため、サンドバッグや砂袋をコツコツ蹴ることが必要です。
しかし、この数を重ねる練習も、やり過ぎるとかえってマイナスになります。当たり前の話ですが、人間は同じことを何度もやっていると疲れてきますね。技の練習をしていれば、肉体のみならず精神的にも疲労してきます。
そんな疲労困憊した状態でトレーニングをしたらどうなるか……はっきり言って効率は悪いです。反復練習において大事なのは「正しい動きを反復すること」ですが、疲れのたまった状態で反復練習を繰り返していれば、確実に動きはおかしくなります。正しい動きとは、程遠いものになりますね。
さらに、間違った動きを反復していくと……往々にして、間違った動きの方が身に付いてしまうケースが非常に多いのです。間違った動きを身に付けるため一心不乱に練習する、これでは何の意味もありません。
しかも、身に付いてしまった動きを修正するには、かなりの時間が必要です。余談ですが、格闘家を評価する時「あいつは長くやっているのに、変な癖が付いてないんだよ」などと評することがあります。この変な癖の中には、間違った動きも含まれています。つまり、プロでも陥りがちな罠なんですよね。
また、伝統的な鍛練方法の中には……山ごもり、というものもあるそうです。一人で山の中に入って行き、毎日ひたすら武術の稽古に明け暮れる、という鍛練方法です。しかし、これは全く無意味であると言わざるを得ません。
対人練習もせず、ひたすら大木などを相手に技の練習をする……こんなことをしたところで、強くなれるはずがありません。特殊部隊のサバイバル訓練でもあるまいし、格闘家のトレーニングとしては全く無意味です。山にこもる暇があったら、自宅にこもって格闘技の動画でも観て研究する方がまだマシかもしれません。
今の格闘技は、完全に科学です。どこの要素をどれだけ鍛えるか、綿密に考えぬかれたトレーニングをしています。筋力、瞬発力、持久力、技術、さらには対人練習など……ただ闇雲に鍛えるだけでは、絶対に勝つことは出来ません。
どうも日本人の中には、科学的なトレーニングより昔の武術家の神秘的な鍛練法の方が効果がある、と思い込んでいる人が少なくないようです。思い込むのは勝手ですが、それを真実であるかのように触れ回るのはどうかと思いますね。
そもそも、昔の武術家の武勇伝は見ていた人の口から伝わったものか、本人の口から語られたものです。今の格闘家と違い、証拠となる映像が残っているわけではありません。
それなのに、なぜか昔ながらの鍛練を尊ぶのか。これは日本人特有のものなのだろうか……と考えてみましたが、実はアメリカの格闘技映画でも、そうした描写は少なからず有ります。科学的なトレーニングを続けている敵役を、「東洋の神秘」的なトレーニングを積んだ主人公が倒す……これ、実は有りがちな展開なんですよね。
ちょっと穿った見方かもしれませんが、これは学生の時に存在したフィジカル・エリートに対するコンプレックスの表れではないかと私は思っています。学生の時にデカイ面をしていたようなマッチョな連中を、東洋の神秘のような不思議な技で倒す……まあ、フィクションならばありですが、現実と混同してはいけません。




