技の難しさ
七月に入り、暑くなってきました。いよいよ夏本番という感じですね。夏風邪などひかぬよう、皆さんお気をつけ下さい。
私はと言えば、今のところ病気はしておりませんが……体のあちこちが痛みますね。常に、体のどこかしらに筋肉痛や関節痛や痣なんかを抱えてる状態です。まあ、これは仕方ないのですが。
さて、先日のことです。 一月ほど前、私は右肘を痛めてしまいました。とはいっても、動かすのに問題はありません。ただ、肘を伸ばすと痛みを感じる状態でした。
そのため、トレーニングの際は肘を伸ばすような動作は避けていたのです。具体的に言うと、パンチの場合はストレートの練習は止めてフックの練習ばかりしていました。
念のため説明しますと、ストレートとは肘を伸ばして真っ直ぐに拳を突き出すパンチです。それに対しフックとは、腕を鉤型に曲げて横から回すように打つパンチです。当時、肘を伸ばすことが出来なかった私は、右のフックの練習ばかりをしていました。
その結果、強い右フックを打てるようにはなりました。右フックの威力にも、自信を持てるようになりましたね。
そして肘の怪我が治り、晴れてスパーリングをしましたが……その時、トレーナーからこう言われたのです。
「赤井さん、右のパンチが全部フックになってます。それも、大振りのフックになってます。あれじゃあ当たらないですね」
そう、右のフックばかりを重点的に練習していたせいで、今度はストレートが打てなくなっていたのです……。
私は今まで、パンチといえば左ジャブと右ストレートくらいしか打ちませんでした。その二つは、ボクシングやキックボクシングを始めた人間が必ず最初に教わる、基本中の基本です。左ジャブからの右ストレートがワンツーですが、私は打撃の攻防では、このワンツーくらいしか使えない状態でした。ただし、この二つだけは完璧にマスターしたつもりでいたのです。
しかし一月の間、右フックの練習ばかりしていたら……いつの間にか、右フックを打てるようになった代わりに右ストレートが打てなくなっていました。
一応、私の名誉のために書きますと……フックというのは打ちやすいパンチです(上手い下手は別にして)。格闘技の経験がない人間の喧嘩を見ていただくと分かりますが、そこで使われるのは、大抵フックのような外から内に回すパンチです。つまり、フックは素人でも打ちやすいパンチなわけですね。
しかし、大振りのフックをいきなり見舞っていったとしても、試合ではまず当たりません。ストレートという技は、直線的な軌道を通ります。二点の最短距離は直線……つまり、ストレートという技は最短距離を通る訳です。相手にもっとも早く当たるパンチであり、かつ射程距離も長いストレートという技……これは、非常に大事ですね。
いくら威力のあるフックが打てるようになったとしても、ストレートが打てなくなっていたのでは本末転倒としか言い様がありません。
さて、私が何のためにこんな体験を書いたのかと言いますと……新しい事を覚えるのは大切です。しかし、それまで出来ていた事を出来るよう維持する努力も大切だ、という点を伝えたいからです。
私の例は極端かもしれませんが、新しい技を身につけるため、今までやってきたスタイルを変える……これは、決していいとは言えません。むしろ、マイナスになることもあります。使い慣れた武器をないがしろにして、新しい武器に夢中になる……これは、トータルで考えたら確実にマイナスでしょうね。
そして、これは格闘技に限らないでしょう。どのような分野であっても、新しい技能を身につけた代わりに、それまで身についていた技能が退化する……それは一面から見れば進歩なのかもしれませんが、トータルで見ればマイナスになるのかもしれません。
出来ないことが出来るようになる、それは大切なことです。しかし、出来ることを維持するよう努めるのも大切です。
蛇足ではありますが、最後に個人的に思うことを一つ。昔の武士は、多種多様な武器を扱えて一人前と言われたようです。またマンガやライトノベルなどでは、ありとあらゆる格闘技を経験した……などという主人公の登場する作品もあるようですね。
しかし、私は色んな格闘技を学んできた……という人に対しては、ちょっと懐疑的な印象を持っていますね。
はっきり言うなら、パンチやキックのような打撃技だけでも、極めようとするなら一生ものです。それなのに、異様な数の武道や格闘技の経験がある人……これは正直言うと、どれもこれも中途半端な経験しかないのではないか、という印象を受けますね。
若いうちは様々なものに目移りし、あれやこれや手を出したくなるかもしれません。ましてや今の時代は情報が溢れています。「あっちの方が強い」「こっちの方が実戦的」などと無責任に言う人もいます。しかし、最初のうちは一つの流派やスタイルを長く続けることの方が大切です。
自分の核となるスタイルを身につける前に、あっちへフラフラこっちにキョロキョロ……では、結局のところ何一つ身にならないのではないかと思います。




