非情な現実
私の趣味の一つに、B級アクション映画を観る……というものがあります。アクション映画の格闘シーンを見ていると、今も胸が踊り血が騒ぎますね。さすがに幼い頃のように、動きを真似したりはしませんが。
私が格闘技を始めるきっかけの中に、こうしたアクション映画の存在があった事は確かです。幼い頃に観た、ジャッキー・チェンやジャン・クロード・ヴァンダム、さらにウェズリー・スナイプスやチャック・ノリスなどといったアクション・スターたちの勇姿は、今も私の胸に焼きついています。
そういったアクション映画のバトルシーンは、撮影する時には相手を怪我させるような技は出せません。また、見た目が地味な技より派手な技の方が歓迎されます。そうなると、動きの大きく見栄えのいい技が使えた方がいいですね。
基本的に格闘技における技は早く、そして動作は小さく……がセオリーです。動作の大きいフライング・ニールキック(体を一回転させ自身の踵を相手の顔に当てる技です。動画などで見た方が分かりやすいと思います)のような大技は、避けるのもガードするのも簡単です。また大振りのパンチは威力がありますが、これも当たらなければ意味がありません。「当たらなければ、どうということはない」と某ガンダムのキャラも言っていましたが……とにかく、格闘技の技は予備動作を小さく、そして早く放つのが基本です。
それに対し、ドラマや映画などのフィクションでは……一つ一つの技の動作を大きくする必要があります。その方が見た目も派手ですし、また演じる俳優に技を当てないようにすることも出来ます。
さらに飛び後ろ回し蹴りのようなド派手な技が使えれば、格闘シーンは盛り上がりますからね。映像として見る場合、派手さというのは本当に大事です。
さて、小説のバトルシーンとなると……これもまた、派手さが必要かもしれませんね。ルール無用の殺し合いを想定した場合、その攻防はとても地味なものになるのは間違いないでしょう。
言うまでもない事ですが、実際の戦いとなると早く終わらせるのが鉄則です。しかも、全力での殴り合いともなると想像以上に疲れます。普通の人が、全力でサンドバッグを殴り続けたら……恐らく三十秒ももたないでしょう。真剣な戦いというものは、そう何十分も出来るものではありません。
さらに言うと、現実のルール無しの闘いでは本当にえげつない技の応酬になると思います。眼球に指を突っ込んだり耳たぶをちぎったり、果ては倒れた相手の喉を踏みつけるなどの技が出るかもしれません。
そうなった場合、攻防という概念よりも「当てたもの勝ち」という状況になってしまう可能性もありますね。事実、アメリカの総合格闘技団体であるUFCのヘビー級の試合では、たった一発のパンチで勝敗が決まることがよくあります。彼らはみな百キロを超えており、筋力もパンチのスピードも極限まで鍛えられています。そんな者のパンチが顎にまともに当たれば、大抵の人間は脳震盪を起こして腰砕けの状態になります。体格差があれば、なおさら耐えられません。
もし、ルールの無い闘いで脳が揺れて腰砕けになったら……その時点で勝敗は決します。素人同士ならともかく、腕に覚えのある人間ならば、確実にその隙を逃さないでしょう。とどめを刺されて終わりです。
そんな闘いを活字で表現したなら、せいぜい千から二千字ほどで終わってしまうと思いますね。現実の闘いは格闘ゲームとは違います。ジャンプ大パンチを昇○拳で迎撃したり、相手に大足払いをガードさせて波○拳で間合いを離す……などという展開にはなりませんから。
しかし、そうなると味気ないものになってしまうのも確かですね。拳銃を持っての決闘のようなもので、一発のパンチで勝負が決してしまう訳ですから……これでは、エンターテイメントとはなりません。
プロレスでは、道場での練習で行われるガチのスパーリングと観客の前の試合とをはっきり区別しており、いわゆるセメント(ガチの試合を示す隠語です)を「あんなのは客の前でやることじゃねえ」と言った人もいたと聞きます。
映画にしろドラマにしろ、あるいは小説にしろ……現実の闘い(ルールの無い殺し合いに近いもの)をそのまま表現してしまうと、エンターテイメントとしては成り立たない部分があるかもしれません。闘いの開始直後、たった一発のパンチで終わるようなバトルシーンは……見る人のことを考えている、とは言えないでしょう。
見る人のことを楽しませる、ということだけを考えた場合、そこにはリアルはあまり必要ないのかもしれません。大切なのは派手な大技や異能や一進一退の攻防、あるいは(小説の場合ですと)文字数をやたらと費やしての言葉と技の応酬で見る人を惹き付けることでしょうかね……もっとも、私にはよく分かりませんが。




