体は労りましょう
一年ほど前のことです。俳優の千葉真一さんが、テレビのトーク番組に出演されていました。そこで、面白いことを言っていたのです。
「学生の時は体操をやっていた。(略)同じ時期に体を鍛えようと肉体労働のアルバイトを色々とやっていたけど、体操には全く役立たない力が付いてしまったし、無理がたたって体を痛めてしまった。体操をやる上では、肉体労働のアルバイトはマイナスでしかなかった」
うろ覚えではありますが、こんな内容であったように記憶しています。
かつてアクションスターとして一世を風靡し、未だに現役の俳優でもある千葉さんですが……このような言葉が出るとは意外でしたね。この年代の人に有りがちな、根性で何でも解決する、というような話をすると思っていたのですが。
実際の話、人体というものはなかなか複雑なものでして……体力などと一口に言いますが、実は非常に多くの要素から成り立っています。そこで今回は、その触りの部分だけでも語らせていただきます。これにより、体力という言葉に対する理解が深まってくれると幸いですね。
千葉真一さんは、アルバイトで肉体労働をやっていたそうですが……例えば、引っ越しの作業とウエイトトレーニングは、まったく別の物です。重い物を持つという点だけで同じようなものだと思っている方も多いようですが……実のところ、根本的に違うもの、と言っても過言ではありません。
基本的に、肉体労働は似たような作業の繰り返しです。初めはきついですが、そのうちに体が慣れてきます。慣れ、と簡単に言いますが……この言葉には、二つの意味があります。
一つは、作業に必要な体力が付いてきたこと。もう一つは、体に負担のない楽な動きが出来るようになってきたということです。要は、体が上手い「手抜き」の方法を知ったということです(ちょっと言い方は悪いかもしれませんが)。余計な力を使わず、効率良く動けるようになってきたとも言える訳ですね。
それに対しトレーニングは(内容によって差はありますが)、基本的に体力や技術の向上に合わせて、その強度のレベルも上げていきます。個人の体力や技術レベルに合わせた強度になります。トレーニングの場合、体が慣れてしまってはいけないわけですね。
そのため、体を鍛えるために肉体労働のアルバイトをする……というのは、正しくもあり間違いでもあります。何の運動経験もないような人なら、ある程度までは体力は向上しますが、やがて頭打ちになります。結局、体が慣れてしまうわけですね。
さて、学生がアルバイトで肉体労働をやる分には構わないのですが……プロ若しくはプロを目指す格闘家が肉体労働のアルバイトをやるのは、あまりオススメできないですね。
昔、私が建築現場でアルバイトをしていた時のことですが……そこにはプロのボクサーもいました。ところが、このボクサーは試合が近づいてきたある日……バイトの最中に、腰を痛めてしまったのです。そのために、危うく試合をキャンセルしそうになったとか。
ボクサーに限りませんが、プロの格闘家の肉体は試合前、ハードなトレーニングでギリギリまで追い込まれている状態です。その状態で、肉体労働のバイトなどをしたりすれば……怪我のリスクは確実に高まります。
直前に怪我をして、試合に出られない……これは、プロアマ問わず色んな人に迷惑をかけることになりますので、絶対に避けるべきです。
そういった怪我のリスクを、少しでも小さくする……そのためには、体を使うようなアルバイトは、なるべくなら避けるべきではないと思いますね。もっとも、これはあくまで私の個人的な意見です。
ちなみに、アマチュアの試合ですが……私も怪我と個人的な都合で二度キャンセルしたことがあります。これは、本当に嫌な気分でしたね。試合に向けて気持ちを高め、トレーニングに励み、予定を立て、さらには病院で血液検査などもして……それらが全て無駄になってしまうわけですからね。これは、かなりテンションが下がる事態です。なるべくなら、体験しないに越したことはないでしょうね。ジムの関係者や対戦相手にも迷惑ですし。
人間の体は、無茶さえしなければ大抵の環境に慣れることが可能です。格闘技のトレーニングもまた同じです。初めはキツくても、無意識のうちに余計な力を使わないフォームを覚えてくれます。体の負担も少なくなります。プロを目指しているのでなければ、何も毎日トレーニングする必要もありませんし。無理せず続けていけば、体は必ずその環境に適応していってくれますので。
ここからは蛇足になりますが、もし千葉真一さんが体を壊さずに体操を続けていて、オリンピックに出ていたとしたらなら……果たしてその後、千葉さんは俳優になっていたのでしょうか。ひょっとしたら引退後は、体操のコーチに就任していたのかもしれません。日本の格闘技界とも縁の深い、アクションスター千葉真一は誕生していなかったのかもしれませんね。それを考えると、人生は何が幸いとなるか、また何が災いとなるか分からないものですね……もっとも、こればかりは仮定の話ですが。




