場の空気
空気を読む、という言葉が一般的になったのは何時からでしょうか。私が小学生くらいの時には、無かった気がしますね。ちなみに私は、空気が読むのがとても苦手な少年でした。空気の読めない発言で、場を凍りつかせることもしばしばでしたね。おかげで、遭わなくてもいいトラブルにたびたび見舞われたような気がします。
まあ、私のその傾向は今も残っているのかもしれませんが……。
さて、格闘技には独特の空気が存在します。例えば試合前ですが……控え室の空気は、かなり重苦しいですね。
これはジムのトレーナーから聞いた話ですが……その人は以前、某格闘技イベントにスタッフとして駆り出され、試合前のゲイリー・グッドリッジ(かつてアームレスリングのチャンピオンだったこともある格闘家です)のバンテージを巻くのを手伝ったりしたそうです。しかし、その後……クイントン・ランペイジ・ジャクソン(怪力と凶暴なファイトスタイルで知られる元UFC選手です。映画の特攻野郎Aチームにも出演してます)に睨み付けられ、英語で何やら怒鳴られたとか。「お前は誰だ! 何しに来た!」などとまくし立てられたようでして……ゲーリー・グッドリッジが「いやいや、彼は手伝いに来てくれたスタッフだよ」と間に入ってなだめてくれたそうですが……クイントン・ジャクソンも試合前でピリピリしてたのでしょうね。
まあ、これは極端な例ですが……他にも、控え室でセコンドを怒鳴りつけている選手などもいます。本当に、この空気は独特のものでしょうね。
プロの試合ほどではないですが、アマチュアの試合にも独特の空気が流れています。
アマチュアの場合、何より嫌なのが……さして広くもない会場の場合です。人がひしめき合う狭い中で着替え、そしてウォーミングアップをしなくてはなりません。これは、正直かなり嫌なものです。トイレに行くにも、人を避けて慎重に歩かねばなりません。
さらに、対戦相手がすぐそばにいるケースもあります……これは本当に、いい気持ちはしませんね。
まあ組み技主体のグラップリングの試合ならば、まだいいのですが……総合格闘技の試合ともなると、かなり殺伐とした空気です。実際、ガラの悪い対戦相手が睨んでくる……いや、ガンを飛ばしてくることもあるくらいですから。時には、セコンドまでが一緒に睨んでくることもあるとか……。
ただ、これもまた一種の心理戦ですので、あまり気にする必要はないでしょうね。もし仮に、これを読んでいる人の中にアマチュアの総合格闘技の試合に出る人がいたとして、対戦相手がガンを飛ばして来た場合のアドバイスとしては……無視することです。相手はあなたを威圧してビビらせ、ペースを乱そうとしている訳です。自分の実力に自信がないから、そのような作戦を用いるという見方も出来ますね。そんな人間のつまらない作戦に付き合ってはいけません。ぷぷぷ、あいつ馬鹿なことやってるぜ……とでも言いたげな表情で笑みを浮かべ、スッと目を逸らすのがいいでしょう。
もっとも、自分の目付きの鋭さやガンの飛ばし合いに自信のある人なら、怯まずに付き合ってもいいかもしれませんが……。
格闘家は時に、出稽古というものを行います。他のジムや道場で練習する、ただそれだけのことですが……これもまた、普段とは違う空気の中で練習することが目的です。
そもそも試合自体が、いつも練習している環境とはまるで違う場所で行なわれる訳ですね。違う環境での練習……それは、いろんな状況に対応するためにも必要なものですね。さらに、練習がマンネリになるのを防ぐ役目もあります。練習では強くても、試合だと弱い……という選手がたまにいますが、これは空気の違いも一因でしょう。
最後になりますが……十年ほど前に、ある俳優が総合格闘家に転向しました。報道では、チャンピオンも狙える逸材だったと言われていました。しかし、この俳優は連敗した挙げ句、数年で格闘家を引退して俳優へと復帰したようです。
私には、この俳優の本当の実力は分かりません。ひょっとしたら、大した実力はなかったのかもしれません。ただ、本当にチャンピオンを狙える逸材であったのならば……まずは、アマチュアの小さな試合で経験を積ませた方が良かったのではなかったか、とは思いますね。試合の空気というものに慣れる意味でも……。
どんなに優れた技術を持っていたとしても、それを試合という本番で発揮できなければ、宝の持ち腐れです。きちんと試合の経験を積み重ねていけば、試合の独特の空気にも慣れていったでしょう。そうすれば、もう少し違う結果を残せたかもしれません。
しかも、あの俳優さんはデビュー戦からして大舞台ですからね……あれはキツいと思います。あの大舞台のプレッシャーは、私などには想像もつかないようなものです。並みの人間ならば、試合前に倒れて病院に運ばれたとしても不思議ではありません。多くの商売人たちの、金儲けの道具にされた挙げ句に世間から叩かれ使い捨て……言葉は悪いかもしれませんが、そんな印象を受けました。もっとも、真相は私などには分かりませんが。
ただ……当時、似たような状況にありながら、きっちり結果を残せたボビー・オロゴンは本当に凄いなあ、とも思います。肉体のみならず、精神面もタフだったのだなあ、と。これは蛇足かもしれませんが……。




