必殺技とは……
昔の話ですが、私の叔父さんの家の本棚には、大量のマンガが置いてありました。
そこに並べられていたマンガは、様々な種類のものでして……ただ今にして思えば、かなりマニアックなものが多かった気がしますね。『あしたのジョー』や『タイガーマスク』といったメジャーなものから、手塚治虫先生の『アラバスター』、ジョージ秋山先生の『銭ゲバ』や『アシュラ』のようなダークな作品もあり、小学生の時の私の人格形成にかなり影響を与えた気がします。
そんな中にあったのが、どおくまん先生の『熱笑! 花沢高校』という昭和テイスト満載のマンガです。主人公の力が、いじめられないため不良になる……というのが当初の展開ですが、回が進むにつれて話はどんどん変貌していきます。しまいには、ミサイルや機関銃を装着したホバークラフトに乗り込み、敵の総番長と戦うという驚天動地のマンガになっていました……。
そして、このマンガにおける最強のキャラ、獣田三郎ですが……彼には必殺技がありました。それが「50mパンチ」です。まず、敵の前で「ケケケケ……」と不気味に笑います。次に敵の回りを、ピョンピョン高速で飛び跳ねます。すると、敵はあまりの速さに目を回してしまうわけですね。その時「ごじゅうぅぅ! めえとるぅぅ! ぱあぁんちぃ!」という雄叫びと共に、パンチを放ちます。そのパンチを食らった敵は50m吹っ飛ぶ……という、何とも凄まじい必殺技でした。主人公の力も、50mパンチを食らって川に叩き落とされています。
まあ、人ひとりを50m吹っ飛ばすくらいの威力があるなら、一発で死んでますが……そこに突っ込むのは野暮でしょうね。ただ、昭和のマンガにはもっととんでもない必殺技もありまして、一発のパンチで銀河系まで吹っ飛ばすものもあったらしいです。
さて、リアルな格闘技の話をしますと……当然、必殺技などというものはありません。というより、格闘家の「普通の」技は一撃必倒の威力があります。
例えば、古い話で恐縮ですが……百五十キロを超す体格を誇り、勢いに乗っていたボブ・サップを、ミルコ・クロコップは一発の左ストレートでマットに沈めました。これは、ボクシングを習い始めた者がジャブと共に一番最初に教わるパンチ、利き手によるストレートです。決して特別な技などではありません。一流の格闘家の手にかかれば、基本的な技が一撃必倒になるのです。
かつて日本拳法やキックボクシングの世界で活躍し、Kー1でもレフェリーを務めた猪狩元秀さんは、左ジャブからの右ストレート……つまり、ワンツーが非常に強かったそうです。右ストレートで、ムエタイのチャンピオンにKO勝ちしたこともあるとか。「自分に相手を倒せるパンチがあれば、どんなに強い選手と闘っても勝てる可能性があります」とは、この猪狩さんの言葉ですが……確かに強烈なパンチさえあれば、それはもう必殺技ですね。
正直、リアルな格闘技においては……必殺技は必要ではありません(もちろん波動拳のようなものが撃てれば話は別ですが)。むしろ崩しや、いなしの方がより重要です。
柔道やレスリングの経験のある方ならわかると思いますが、投げやタックルはいきなり仕掛けても、まず決まりません。仕掛ける前には、相手の体勢を崩す……あるいは、相手の攻めをいなす必要があります。そして相手がバランスを崩した時、もしくは相手の重心が偏っている時に、投げやタックルなどを仕掛けていく……これは組み技をやっている人には、説明するまでもない常識です。
また、打撃系には一見すると派手なだけで、何の意味もない……ように見える技があります。例えば故アンディ・フグのかかと落としですが、あれでKOした試合というのは有るのでしょうか。まともに当たれば強力ではありますが、少なくともKー1のリングでかかと落としが決まって倒れた……という場面は見たことがありません。私が見ていないだけなのかもしれませんが(空手の試合ではあります)。
しかし、かかと落としや後ろ回し蹴りのような大技があると、相手がやりづらさを感じるのも確かです。ジャブや牽制のローキックなどを放ち、時おりかかと落としのような大技を混ぜる……それにより相手のペースを乱し、自身のペースに持ち込む。これは格闘技においては、とても重要です。
一発のパンチ、あるいは一瞬の投げや絞め……格闘技において、勝負を決めた技はカッコ良く見えます。しかし大事なのは、その前の段階です。一発の右ストレートでKOしたとしても、その右ストレートを当てる前には様々な駆け引きがあります(無い場合もありますが)。相手の体勢を崩したり、大技を繰り出してペースを乱したり……その準備段階があってこそ、派手なKOがあるわけです。
さらに遡って考えれば、コツコツと地道な練習で地味な技を磨き抜いていく……その段階を経て、地味な技は一撃必倒の技になります。格闘技マンガなどに登場する究極奥義のようなものは……現実に存在するのかもしれませんが、私は見たことはありませんし、また必要性も感じません。




