噛ませ犬
突然ですが……皆さんは、プロレスラーの長州力さんをご存知でしょうか。私は全盛期の頃のことはよく知りませんが、プロレスラーとしても一流でありながら、格闘家としても一流だったと聞きました。アマチュアレスリングでオリンピック出場というバックボーンを持ち、もともとのパワーでも他のプロレスラーを圧倒していたとか。かつて総合格闘家の山本KID徳郁さんが「オリンピック出るような奴は、普通の人間とは全く別の生き物」だと言っていましたが……アマレスのオリンピック選手ともなれば、化け物みたいな身体能力でしょうね。実際、全盛期の長州力さんこそ最強だと言う人もいるらしいです。
さて、この長州力さんですが……昔、リング上でマイクを持ち「俺は藤波の噛ませ犬じゃねえ!」と吠えたそうです。何のことやら私にはさっぱりわからないので、調べてみました。すると、どうやら同じくプロレスラーである藤波辰巳さんとの扱いの差に不満を抱いていたようですね。しかし、噛ませ犬という言葉のインパクトは余りにも強烈だな……と感じました。この辺りの言葉選びのセンスは凄いですね。などと思ってさらに調べると……実は長州力さんはそんな発言をしていないという衝撃の真相にたどり着きました。当時、実況放送を担当していた古舘伊知郎アナが「噛ませ犬」という言葉で長州力さんの心情を的確に表現してみせたものが、長州力さんの言ったセリフとして広まったようです。古舘伊知郎さんという言葉の魔術師が生み出したものだったのですね。当時の新日本プロレスは選手のみならず、プロモーターやアナウンサーなど、様々な才能を持った人間が集まっていたようです。金曜日の夜八時に放送され、社会現象を起こすほどの勢いがあったのも頷けますね。
ここで一応、説明しますと……噛ませ犬とは、もともと闘犬業界の言葉のようです。若く伸び盛りの闘犬に自信を付けさせるため、やられ役の犬をあてがう。そこから転じて、漫画やアニメなどのやられ役のことを指す言葉となったようです。 実は格闘技にも、噛ませ犬の役割を果たす選手がいます。若く将来有望な選手に自信と実績を与えるために、既に盛りを過ぎた二流どころの選手を選んで当てる……これは格闘技では、よくある事です。
ただ、格闘技の場合は真剣勝負ですので、噛ませ犬の方が勝ってしまうこともありますが……既に盛りを過ぎているとはいえ、噛ませ犬の役割をするのはベテラン選手なわけです。当然ながらキャリアはありますし、試合の場数も踏んでいます。そんな選手が、番狂わせを起こしてしまうこともありますね。ごくまれな事態ではありますが……。
バトルがテーマの作品ともなると、噛ませ犬のキャラは欠かせません。主人公、もしくは敵の強さを表現するための引き立て役は、漫画やアニメなどの創作物には必ず登場しています。
ただ、これが格闘技をテーマにした作品ともなると……話は少々変わってきます。
格闘技作品の中には、主人公は最強の格闘家を目指しており、出会った格闘家を片っ端から倒していく……というものがあります。そこでは、様々な流派やスタイルの格闘家が登場しますが、中には噛ませ犬としか表現のしようのないものもあるんですよね……昔の作品で、個人的に多い噛ませ格闘家と感じるのはボクサーとレスラーですが、最近では他の流派やスタイルの格闘家も多いようです。
そういった格闘家が、主人公に敗れるのは仕方ありません。しかし「俺は昔、プロボクサーだったんだぞ! おら姉ちゃん、さっさと脱げやグヘヘヘへ」などと言って主人公に一撃でぶっ飛ばされたりする場面は、読んでいて悲しいものがあります。特にボクシングという競技はメジャーであり、かつ素人目にも分かりやすい短所(という言葉は適切ではありませんが)があるため、余計に噛ませ犬の役割を担うことになるのかもしれません。
これを読んでいる人の中には、小説を書き投稿されているユーザーさんもいらっしゃることでしょう。そして、格闘技の小説を書いている……あるいは書こうと思っている人もいるかもしれません。そういった人たちには……出来ることなら、格闘技に対するリスペクトの精神だけは持っていてもらいたいですね。
本やネットなどで得た知識だけを基にするのは仕方ありません。ただ、その格闘技を一方的に馬鹿にしたり……浅い知識だけで「弱い」と決めつけるような描写は、なるべくなら止めて欲しいと思います。作品において、噛ませ犬の役割を担う格闘技をやっている人間もまた、確実に存在するわけですから……格闘技の小説を書くのでしたら、格闘技全般へのリスペクトの気持ちを持っていてもらいたいものです。
もっとも、これはあくまで私の願望ですので……物語である以上、噛ませ犬の存在も必要でしょうし。
ちなみに私は今後、格闘技をテーマにした小説を書くつもりはありません。正直、そういった噛ませ犬になってしまうであろう流派や競技に対し、失礼にならない描写が出来る自信がないからです。




