メンタルの強さとは……
かつての日本のスポーツ界は、根性論に基づいた練習方法こそがもっとも効果的であるといわれていました。今の常識から照らし合わせると、かなりとんでもない練習をしていたようですね。正直、練習中の事故もかなりあったのではないかと思っています。
しかし、勝負という観点から見た場合……精神力はとても大事ですね。いくら優れた技術があったとしても、精神が萎縮していては何にもなりません。精神が萎縮してしまい、持てる実力の半分も発揮できず敗れる……アマチュア格闘技の試合ではよくある話です。精神面の強化、これは格闘技をやる上で、避けては通れないでしょうね。というわけで今回は、精神の強さについて語りますが、あくまで触りだけですので……詳しく知りたい方は、専門書を読むなりネットで調べるなりして下さい。
よく「喧嘩は気合い」などと言ったりします。しかし、この気合いという言葉はとても曖昧なものでして……それが果たして、精神面での強さを指しているのか、それとも単なる気持ちの状態を現しているのか、今一つはっきりしません。基本的に、ヤンキーと呼ばれるような人たちが好んで使う言葉ではありますが。ただ、試合のプレッシャーは……気合いという言葉だけで乗り切れるものではないのは確かです。
余談になりますが、あらゆる依存性の治療において有りがちな過ちが、「気合いで乗り切る」という考え方だそうです。アルコール依存症やギャンブル依存症、果ては薬物依存症などなど、これらとの戦いは一生続くものです。「セイ!」などと吠えながら正拳突きをするようなものとは、全く別種の強さが必要となります。
それはともかく、この気合いで乗り切る……という考え方は間違いではないのかもしれませんが、それを万能視することだけは避けた方がいいですね。
冒頭にも書いたような、昔ながらの根性論のトレーニング方式で指導する人もまた、未だに少なくないようです。根性論、というからには根性が付くのは間違いないでしょう。肉体よりも、むしろ精神を鍛えるのに効果絶大かもしれません……と言いたいところですが、これを疑問視する意見もあります。
従来の根性論だと、粘り強さや我慢強さといった部分は確かに鍛えられます。しかし格闘技というジャンルで(精神面において)最も重要な要素、それは……本番でいかにしてリラックスし、普段通りの実力を発揮するかということです。これは我慢強さとは、また違った部分ですね。
格闘技に限らず、スポーツにおいて世界全体のレベルが低かった頃は、根性だけで勝つことが出来たのかもしれません。しかし、今のように技術のレベルが上がり、また本格的な科学的トレーニングが導入されている中で勝とうとするならば……根性論では、はっきり言って通用しません。
また、耐えることが自信に繋がる……という考え方もあります。それ自体は間違いではないかもしれませんが、自信にも様々な種類があります。ベンチプレスの記録が上がったことによる自信、出来なかった技が出来るようになった自信、そして試合に勝ってきた自信……結局のところ、本人の能力に根差した部分の方が大きいと思いますね。
ここで誤解されては困るので、念のため言っておきますが、科学的トレーニングは決して「楽な」トレーニングではありません。あくまでも、合理的に競技力を上げるためのトレーニングです。科学的トレーニングを行なっている選手たちは、連日ハードなメニューをこなしています。わずか二時間ほどの間に、汗でびしょ濡れになったシャツを何枚も変え、酸欠状態になり、時にはゲロを吐き、さらには虚ろな目でフラフラになりながら……正直、見ているだけで恐怖に近いものを感じるくらい激しいです。
繰り返しますが、科学的トレーニングは楽なものではありません。
そして最後に……根性論の弊害についてです。未だに、学校の運動系の部活動では死亡事故が発生しています。また、後々まで残るような深刻な怪我を負うケースも、ニュースなどで見聞きしたりしますね。
もちろん、スポーツには不幸な事故が起こってしまう可能性はあります。いくら気を付けていても、それを0にすることは出来ないでしょう。
しかし、理不尽なしごきや根性論の犠牲者が存在するのも、また事実です。若い人の中には、三十代から四十代の体育教師に指導された経験があるかと思いますが……根性論の信奉者たちが少なからずいたことでしょう。さすがに昔ほど理不尽ではないようですが、それでも我慢させることが目的であるかのような指導だったのではないかと推測します。結果、スポーツが嫌いになってしまった人もいるかもしれません。
その三十代から四十代の体育教師が学生だった時、どのような指導を受けていたか……やはり、根性論でした。しかも、今よりも辛く厳しいものです。そうした指導を受けて、彼らは成長しました。ですから、それが当然だと信じている部分があります。「俺たちの時代は、もっとキツかった。それに比べれば大したことない」という言葉を免罪符のように用いる傾向がありますね。結果、悪循環のようなものが出来上がっている気がします。挙げ句、死亡事故が起きる……それだけは、あって欲しくないですね。
そういえば、子供を虐待する親は、幼い頃に虐待を受けていたケースが多いと聞きました。これもまた、根性論の悪循環と似ているように思います。どこかで断ち切らない限り、続いてしまうのではないでしょうか……。




