強さとは何か
この、『小説家になろう』において、今も昔も人気なのは異世界でチートでハーレムなストーリーです。こんなことは今さら言うまでもないことですし、それを批判する気もありませんが。
しかし、よくよく考えてみれば……異世界はともかく、チートでハーレムなストーリーがウケるのは、なろうに限った話ではありません。昔の時代劇など、観てみると大なり小なりチートとハーレムの要素はほとんどの作品に含まれています。
某暴れん坊な将軍様などは……天下の将軍様であり、なおかつ複数の町娘にモテモテです。そして最後には、悪代官とその手下たち全員をたった一人(手下の忍者が加勢しているケースもありますが)で問答無用で斬り殺してしまう……まさにテンプレですね。人間の好みは、昔も今も大して変わりがないようです。もっとも私は、時代劇なら「悪人を悪人が殺す」前期の必殺シリーズの方が好きですが。あくまで「前期」です……などと言っても、知らない人には何のことやら確実にわからないと思いますので、この話はここまでにしておきます。
唐突ですが、皆さんにとって「強さ」とは何でしょう? 現実においても、なろう主人公のようなチート級の強さのみを評価するのでしたら、ちょっと私の手には負えません。まずは、カウンセリングをおすすめします。まあ、そんな人は私のエッセイなど読んでいないでしょうが。
しかし……相手に勝つ、敵を倒す、ただそれだけを強さと捉えるのも間違いであると私は思います。
格闘技の試合を観ていると、印象に残るのは当然ながら勝った選手ですよね。勝者が称えられ、敗者は惨めな姿を晒す……これは仕方のないことです。
しかし、他人に勝つことだけに固執してしまうと……正直、かなりはた迷惑な人格が形成されてしまうような気がします。普段の生活からして、他者および他者のやっていることを否定し自分がいかに優れているかを吹聴する……こんな人、皆さんの周りにもいるのではないでしょうか。
私もごくたまに「格闘技なんかやってて何になるの?」とか「ピストル持ってる人には勝てないでしょ」などと言われることがあります。まあ、格闘技をやっている人間に、面と向かってこんな失礼な発言をする時点で……頭があまり良くないか礼儀を知らないかのいずれかですので、まともに相手にしないようにはしています。正直、イラッとはきますが。
ただ、こういった言葉の根底にあるものは……結局、他者に勝つということに固執しているのだろうな、とは思いますね。「格闘技なんかやってたって大したことない。格闘技の無意味さに気づいている俺の方が、お前より上だ」という気持ちの現れなのかもしれません。そういう自分の凄さをアピールしたい気持ちは、私の中にも無いとは言えませんし。
話を戻します。格闘技において強くなる過程は……他人との闘いに勝つことだけではありません。他人との勝ち負けは、あくまでも試合という場における結果です。
格闘技の練習をすることにより、自分の中にある弱い部分と闘い……少しずつ強くなっていく。今日の自分は、昨日の自分よりも、ほんの少しだけ変化している……それを繰り返していく。その結果、人は強くなっていきます。その過程を体験させることが、現代における格闘技の存在意義の一つである……と私は思います。
あれは強い、この流派は最強だ……そういった強さの比較をする人はいます。格闘技を始めようとしたり、あるいは実際に始めると「格闘技なんかやって何になる?」「お前の流派は弱い」などと、したり顔で言ってくる人もいるかもしれません。しかし、そんな人たちの言葉には惑わされないでください。
格闘技を続けていけば、確実に少しずつ強くなっていきます。一月続ければ、一月前の自分よりは確実に強くなっています。一年間続ければ、一年前の自分よりも確実に強くなっています。
その強さは、チーレム作品に登場するような無双が出来るほどのものではないでしょう。しかし、リアルな世界では決して無駄にはなりません。一つのことを継続させ、そして得た体力や精神力……それらは、他のどんな分野においても役立つものです。
ですから、格闘技を選ぶ際には……最強だとか実戦的だとか、そういった部分だけを見てほしくはないですね。オカルティックなものでない限り、どのような流派やスタイルであろうと、きちんと続けていけば確実に強くなります。強くなって、自分が変わり生き方が変わった……それこそが、私が格闘技をすすめる最大の理由です。
もっとも、あなたが求める強さ……それが格闘技マンガの主人公のような、人間やめました的なものでしたら話は別ですが。その場合は……とりあえずハードなトレーニングで基礎体力を強化し、殺人術でも暗殺拳でも武器術でもガンカタでも、どんどん身につけていってください。そうすれば、最強になれる……かもしれません。ただし、その先に何が待っているのか、それは私には分かりませんが。




