才能について思うこと
以前に何かの本で読んだのですが……ある日本人青年が海外青年協力隊に入りました。そして、トンガという国の小さな村に派遣されたのです。
その青年は合気道を長年やっており、指導も出来るほどの腕前でした。そして仕事の傍ら、簡単な護身術を指導したらしいのですが、村一番の力持ちの男には度肝を抜かれたそうです。というのも……がっちり極まったはずの関節技を、桁外れの腕力で無理やり振りほどいてしまうとか。始めはケガをさせてはマズいと思い、手加減して関節技を掛けていたのですが、あっさりと振りほどかれ……頭に来て本気で掛けたのですが、それでも振りほどいてしまったとのことです。
正直、その日本人青年の格闘家としてのレベルがどの程度のものかはわからないので、断定的なことは言えませんが……トンガには、ポリネシア系の方が多くいます。このポリネシア系の人たちは筋肉の量が多く骨も丈夫で、世界最強の人種だと言われているそうです。しかし……がっちり決まった関節技を腕力のみで振りほどいてしまう素人、というのは想像もつかないですね。本当に世界は広いな、と思います。
気がついてみると、私も格闘技を始めてからそこそこの月日が経過しました。そして、これまでに色んな人を見てきました。そこで思うのですが……才能の有る無しは本当に大きいですね。
まず筋力ですが、たまに化け物みたいに強い人がいたりします。見た目は普通の体格、でも組んでみると異常に力が強い……こういう人、皆さんの周りにもいるのではないでしょうか。これはもはや、生まれつきの筋肉の質としか言い様がないでしょうね。細くても強い力を発揮できるという筋肉は、それだけで凄い才能です。ボクシングで、軽量級であるにもかかわらずKO勝ちを量産できる選手がいますが、その要因の一つに、この生まれ持った筋肉の質……というものもあると思います。もちろん、それだけではありませんが。
格闘技の試合などで選手を評価する時、器用もしくは不器用という言葉が用いられることがあります。器用な人は、いろんな技を使えます。また、練習なしで技を使えたりします。
以前、若い少年に「赤井さん、後ろ回し蹴りってどうやるんですか?」と聞かれたことがありました。そこで私は、見本を見せた後でコツを教えました。すると、その少年は練習なしであっさりと綺麗なフォームの上段後ろ回し蹴りをやってのけたのです。私は上段後ろ回し蹴りを出来るようになるまで、一月はかかったような記憶がありますが……こういう人もいるのです。器用な人は、不器用な人に比べると本当に進歩が早いですね。多彩な技を使いこなせれば、それだけ戦略の幅も広がりますし。
また、「あの人は格闘センスがいい」という言葉も用いられたりします。このセンスという要素は、教えられて身につくものではないような気がしますね。実際、たまに教わりもしないのに、状況に応じて完璧に動けたりする人がいるのです。考えるより先に体が動き、状況に応じた技を出す。相手の放つパンチを最小限の動きでかわしたり、知らない関節技をかけられても上手く外す……こればかりは、やはり天性のものでしょうね。
他にもスタミナや柔軟性、打たれ強さや根性などいろいろありますが……一番大事な才能は、結局のところ「続けられる」ということでしょうね。
私もこれまで、数多くの人間を見てきました。中には、本当に素晴らしい才能に恵まれた人もいました。しかし、才能があるのに辞めてしまう人もまた、大勢見て来ました。これは本当に、見ていて惜しいと感じましたね。まだ若く、優れた才能を持っているのに……あっさり辞めてしまう。まあ、選択するのは本人ですので、私がとやかく言うことは出来ませんが。
ただ、こういう人は結局のところ、格闘技を続ける才能が無かったのは確かです。当たり前の話ですが、どんな優れた才能があろうとも、やめてしまえばその才能は無いも同然です。
冒頭に登場した、トンガの青年は……格闘技の才能は素晴らしいのでしょう。しかし、この青年は有り余る才能を持ちながらも、格闘家として大成することは無いでしょうね。格闘技そのものをしていない以上……彼は格闘家ではありません。格闘家でない人間に格闘技の才能があったとしても、それは宝の持ち腐れでしかないでしょうね。
結局のところ、才能の有無にかかわらず……やっている人間、続けている人間の方が強いのです。それに、才能というのは本当にわからないものです。何かの拍子に開花したりすることがあります。私自身も未だにスパーリングをしていて、新しい技術に気づかされたりすることがあるんですよ(才能の開花とは違いますが)。そう、新しいことに気づけるのは……続けていればこそ、なのです。
最後に、中島敦の『山月記』の一文を引用させていただきます。
「才能的には俺よりもはるかに下でありながら、それを一生懸命に磨いたために、立派な漢詩人となった者がいくらでもいるのだ。虎に成り下がった今、俺はやっとそれに気が付いた。それを思うと、俺は今も胸を焼かれるような後悔の気持ちを感じる」
どのような結果が待っているにせよ、後悔だけはしたくないものですね……と無責任な発言を残し、今回は終わります。




