婚約パーティーの始まり
二年生の授業が全て終了となり春休みに入ったある日、よく晴れた空から暖かな春の日差しが注ぎ込む心地よい部屋の中、アイナは酷い面構えをしていた。
今にも吐きそうな様子な彼女は、いつかの舞踏会で着たものと似たような純白のドレスを着ている。それは前回の時に輪をかけて豪奢であり、胸元にはダイヤモンドが散りばめられていて並々ならぬ輝きを放っていた。
それは、王都に住まう貴族女子ならば一度は着てみたいと胸をときめかせるほど魅力的なドレスであるはずだったが、アイナの胸は一ミリ足りともときめいていなかった。
「クラスメイト達の前で一体何をするつもりよ…」
純白に身を包んだアイナは、スツールに腰掛け頭を抱えている。
アイナの支度を終えた侍女達は恭しく頭を下げると足音を立てずに部屋から出て行った。
今日は朝から公爵邸でパーティーの支度をしていたのだが、先日受けたレインの宣戦布告にひどく怯えているアイナ。
レインのことを大切だと思う一方で、彼女は恋人として甘く振る舞うことがまだまだ苦手だ。ただでさえレインに翻弄されて参っているというのに、それを人前で行うつもりなのかと思うと全身に走る震えを止められずにいる。
「アイナ」
侍女からアイナの支度が終わったことを知らされたレインが彼女の部屋を訪れた。
彼は漆黒の正装に身を包み、クラバットやポケットチーフなどの小物に差し色として白を使っており、全体的にシックで大人っぽい印象を与えている。
普段下ろしている肩よりも少し長い白髪は高い位置で結われており、露わになった真っ白な首元から何とも言えない色香が漂っていた。
「よく似合ってる。これでどこからどう見ても俺の女だな。」
「ひ、ひとこと多いからっ!!」
ニヤリと口の両端を上げるレインに、すかさずアイナがツッコミを入れた。
だがその声は上擦っており、普段と違う彼の姿に動揺していることが容易に想像できる。
そのことも分かった上で、レインは口元を緩めていた。
「行くぞ。」
熱くなった顔をパタパタと手で煽いでいるアイナにレインが腕を差し出したが、アイナは差し出された腕をすぐ取ることが出来ずに躊躇した。
揶揄われた悔しさと一向に収まる気配のない心の動揺に、従順になることを躊躇ってしまったのだ。
「おい」
「えっ」
アイナの心を見透かしたようにレインが一歩詰め寄る。
思わず身を引くアイナだったが、その分更に詰め寄られてしまった。
「歩く気がないなら抱いて行くが?」
「あ、歩ける!歩きますっ!!」
「最初からそうしろよ、この馬鹿。」
慌ててレインの腕を掴んだアイナの背中にさっと手を回し、慣れないドレスでアイナが転んでしまわないよう丁重にエスコートしていったのだった。
「は……想像してたのと全く違うんですけど……」
ラインに連れられて辿り着いた荘厳な両扉の前で顔色を失くすアイナ。
ここは普段アイナが生活している別棟とは別の独立した建物であり、街中にあるちょっとした劇場と同じくらいの規模であった。
白い基調としたその建物の外観は低い位置から取り囲むように魔道具の灯りで照らされており、厳かな雰囲気を放っていた。
別邸の中にあるサロンで行われるものと思い込んでいたアイナは、想像の遥か上をいく現実に頭が追いつかない。
たかだが20、30名のクラスメイトのためになぜこんな大層な場所で開催するのか理解出来ずにいた。
「あの邸の中でやると思ってたのに…」
「は?あの中に200人近い人数の人間が入れるわけないだろ。相変わらずお前は馬鹿なことを言ってるな。」
「はぁ!??レイン、貴方まさか王都中の人を呼んだの!??」
「そんな面倒なことするわけないだろ。誘いたい奴がいれば勝手にしろと招待状に一筆入れただけだ。ほら、もう行くぞ。」
「いやそれ…アルフォード公爵家からの誘いならあっという間に王都中に広まるから…お近づきになりたい人達みんな来ちゃうから…」
レインはぼやくアイナのことを綺麗に無視すると視線で使用人を呼び、扉を開けさせた。
このタイミングで逃げるわけにもいかず、アイナは息を吸い腹に力を入れ、レインと共に会場内へと足を踏み入れた。
会場内は見た目以上に豪奢な作りであった。
その豪華絢爛さと天井から下げられたガラス製の魔道具から放たれる光が眩しく、アイナは目を細めた。
その僅かな視界でも分かるほど、壁や天井、床までも高貴さを漂わせている。
高いヒールでこの鏡のような床面を踏むことが申し訳なく、今すぐにでも裸足になりたいアイナだったが、そんなことを出来るわけもなく無駄に歯を食いしばってレインと共に歩いて行く。
「…やはり来てないか。」
すぐ隣にいるアイナでさえも聞き取れないほど小さな声でレインが呟いた。
一度足を止めて会場内を見渡したレインは優雅な微笑みを携え、アイナと共に一段高い位置にある自分達の席の前へ立つ。
胸の前で手を当て美しく一礼をするレインに合わせてアイナも頭を下げた。
会場内から温かい拍手が沸き起こる。
「本日は、僕たちの婚約パーティーに足を運んで下さり誠にありがとうございます。沢山の方から祝福を頂き喜びが溢れると同時に、愛する者との未来を守る責任に身が締まる思いにございます。」
胸の前で軽く拳を握り、凛とした表情で一切の澱みなく決意を露わにするレイン。
その真摯な振る舞いに参加者達からは溜息が漏れ、アイナもまた見たことのない真剣な彼の横顔に胸を打たれていた。
すると突然、前を向いていた真摯な横顔がアイナの方を振り向く。レインの不意打ちに、アイナは惚けた顔のまま彼の瞳と向き合うこととなった。
ダイヤモンドの瞳に捕らえて声も出せず瞬きも出来ず、徐々に赤くなっていく顔で固まるアイナ。
そんな彼女に向かって、レインは極上の微笑みを投げかけてきた。
「何より、僕がどれだけアイナのことを深く想っているか皆様にお伝えできる今日この機会に感謝の念が絶えません。僕のこの抑え切れない彼女への想いを、皆様にもお伝え出来れば幸甚にございます。皆様にとっても素敵なひと時となりますよう、アルフォード公爵家として精一杯のもてなしをさせて頂きます故、どうぞ心の向くままご自由にお楽しみください。」
にこやかに言いたいことを言ったレインは、最初よりも深く丁寧に頭を下げた。
ぶっ込んできたレインに、アイナは魂を失いかけていたが、隣から特大の圧を受けて慌てて頭を下げる。
二人がほぼ同時に頭を上げた後、参加者達から一際大きな拍手が送られた。




