甘いものの誘惑
「………っ」
いつもより遅い時間に目の覚めたレインは、ひどい頭痛と目眩に襲われた。不快感に耐えきれず、窓から差し込む光を遮るように目元を押さえて枕に頭を押し付ける。
普段から色の白い顔からは血の気が一切無くなっており、まるで死人のような顔色の悪さであった。
「…レイン?」
レインの隣で目を覚ましたアイナはすぐに異変に気付き、起き上がってレインの顔を覗き込む。
これまで見たことのない苦しそうな表情のレインにはっと息を呑んだ。
「だ、大丈夫…!!?具合悪いの?熱は?今急いで人をっ…」
レインは、焦って寝台を降りようとするアイナの腕を掴んで引き止める。
朝は使用人が廊下を行き交うことが多く、夜着姿の彼女を部屋の外に出すわけにはいかないと彼の意地で咄嗟に身体が動いた。
「うるさい騒ぐな。少し…魔力が足りてないだけだ…問題ない。」
大丈夫だというその声に覇気はなく、レインはアイナの腕を掴んだままもう片方の腕で目元を覆い未だ起き上がれずにいる。
…くっそ
魔力量を見誤ったな…
多数への治癒魔法とあの男への精神干渉で使い過ぎた。こんな姿をアイナの前に晒すなど情けなくて腹が立つ。やっぱりあの男には回りくどいやり方などせず一撃で仕留めておくべきだったか…
「っ!!?」
自責の念にかられていたレインは、突然落ちてきた唇への温かい感触に気怠さも忘れて勢いよく上体を起こした。
彼の目の前には不安そうな顔をしたアイナがいた。
「いつもレインがやってくれているように真似してみたんだけど…少しは私の魔力を分けてあげられたかな…?」
レインは言葉を失った。
自分の身を案じてくれたことが嬉しく、その行動が愛おしくて堪らなかった。
実際に注入された魔力は微々たる量であったが、レインの心は満たされ、不思議とひどい頭痛と全身を支配していた不快感が消え去っていく。
「レイン?」
「お前」
「え、何かやり方間違ってた!?どこか痛とこっ…ひゃあっ!!!」
いきなり腰に抱きつかれ、アイナは変な声を出した。
「俺以外の奴にこんなこと絶対するなよ。」
珍しく拗ねたような声音にアイナは目を丸くする。
そして、具合が悪くて甘えているんだなと勘違いしたアイナは宥めるように彼の頭を優しく撫でた。
「しないよ。人命救助の時はちゃんと手首にするって。」
「チッ」
「は!?な、なんで怒ってるの?めちゃくちゃ怖いんですけどっ!!」
先ほどまでの拗ねた顔はどこへやら、冷えた目をしたレインはアイナに詰め寄ってくる。そして、気付いた時にはアイナはベッドの壁側にまで追い込まれていた。
「いっ……」
レインは、魔力不足により冷えた指先でアイナの頬を撫でる。
「ちょっ、ちょっと!!具合が悪いんだから大人しくしてないとっ…」
「治った。」
「んっ」
アイナが喚いたところでレインが止めるはずもなく、逃げられないように彼女の両手を掴むとキスをしてきた。それも一度のみならず、二度三度と続け様に。
合間に訪れる僅かな瞬間は息を吸うことだけで精一杯であり、上手く呼吸を整える事が出来ない。
酸素が足りない頭はレインに支配され、アイナはもう彼のことしか考えられなくなってしまった。
抗うことも忘れ、何度も降ってくるキスに全力で応える。
段々と余裕のなくなっていくアイナとは真逆に、レインはみるみる内に血色を取り戻し余裕の笑みを浮かべるのであった。
「魔力不足も悪くないな。」
すっかり元通りとなったレインは、甘い声で囁いてきた。
ベッドの端でクッションを抱え込んでいるアイナに向かって、レインは恍惚とした表情を見せている。
「アイナ」
こっちにおいでと言わんばかりに両手を広げるレインだったが、彼の甘い攻撃により全身真っ赤になっているアイナは、恥ずかし過ぎてレインの方を向くことが出来ずにいた。
「パンケーキ」
レインの言葉に、アイナの頭の上で見えない耳が音を立てて反応する。
「蜂蜜とアイスクリームも乗せるか。」
甘美な響きに反応したアイナがゆっくりと振り返る。
予想通り食べ物に吊られる彼女に、レインは吹き出したい気持ちをグッと我慢して涼しい顔を貫いた。
「今日は休みだから、ゆっくりブランチにするか。」
拗ねたアイナが頷きやすいように、レインはそっと手を差し出す。
彼の顔と差し出された手に視線を往復させること数回、諦めたアイナは仏頂面のままレインの手を取った。
「おいしいっ…」
着替えたアイナは、満遍の笑みでたっぷりと蜂蜜をかけたパンケーキを頬張っていた。
レインの思惑とおり、彼女の機嫌はあっという間に良くなり、果物やアイスにチョコレートシロップなどがずらりと並ぶテーブルを輝く瞳で見つめている。
咀嚼しながら、次は何をトッピングしようかとにこにこ顔で思案していた。
レインはサンドイッチを片手にコーヒーを啜りながら、面白そうにアイナのことを眺めている。
「そろそろ家に戻るか?」
レインは僅かに弧を描いていた唇を一直線に結ぶとコーヒーカップを置き、アイナの食が落ち着いた頃合いを見計らってなんて事のない口調で言ってきた。
視線はコーヒーカップに落としたまま、彼女の方を見ようとしない。
「え…」
アイナは口に運ぼうとしていた一口サイズのパンケーキを皿の上に落とした。




