忘却の魔法
少しだけ残酷な描写がありますため、苦手な方はご注意下さい。
カシュアの前で宣言した通り今晩もアイナの寝室で同衾したレインは、彼女が眠りについた後静かに寝台を降りた。
サイドテーブルに置いてあった上着を羽織ると、足音を立てずに寝室を出て書斎へと向かう。
時計を気にしながら仕事を進めること数分、ドアをノックする音が聞こえた。
「入れ。」
この時を予想していたレインは、手を止めることも視線を上げることなく入室の許可を出す。
「レイン様、これは一体どういうおつもりですか。」
部屋に入るなり礼儀も取らず不躾に疑問を投げかけて来たのは、この邸の執事を任されているセバスチャンであった。
怒りに染まった顔を隠そうともせず、苛立ちを露わにしている。
「どうしてあの娘が今もこの邸にいるのです!約束の期限は昨日までのはずでしょう!いつまでもあのような者に現を抜かして、このようなお戯れを公爵様に知られたらなんとおっしゃ…」
「お前の方こそ、どういうつもりだ?」
「…っ!!」
セバスチャンの言葉に激昂したレインから空間が歪むほどの魔力が一気に溢れ出た。
膨大な量の魔力によって机上の書類は一斉に吹き飛び、窓ガラスの木枠はガタガタと音を立てて揺れ出す。そして、目の前の者には立っていることもやっとであるほどの威圧を与えてくる。
先ほどまでの怒りに歪んだセバスチャンの顔が、あっという間に苦痛に歪む顔へと変わっていった。
崩れ落ちてしまいそうな膝を堪えて必死の形相で奥歯を噛み締めレインのことを見返す。だが、それだけで精一杯であり、とてもじゃないが口を開く余裕はなかった。
「カトレア・サンクシードに精神干渉の魔道具を与えたのはお前か?」
地を這うような低い声で問うてきたレイン。その瞳に光はなく、塵を見るような目でセバスチャンのことを見下ろしてくる。
魔力による威圧が一層高まり、セバスチャンは自分の意思とは関係なしに床に手と膝をつく。抗おうとすると顔面から滝のような汗が流れ落ち、両手の間に水溜りが出来た。
どんなに足掻いても顔を上げることすら叶わず、床のシミになっていく己の汗をただ眺めることしか出来ない。
初めてレインの本気を目の当たりにし、セバスチャンは絶望に支配されていた。
「そういえば、試したい魔法があったな。」
目の前の男を力で捩じ伏せておきながら、レインは明日のランチのことを話すかのような口ぶりで言った。
「確か魔力を用いた精神干渉により忘却に近い効果を果たせるとか。試してみるのも一興。いやだがこれは、忘却というより精神崩壊といった方が正しいか…まぁどちらでも大差ない。」
淡々と話すレインとは対照的に、セバスチャンの瞳孔は大きく開き言葉を発せられない口で浅い呼吸を繰り返してひどく取り乱している。
レインの口ぶりで今から自身の身に起きることを予想した彼は、その恐怖で今にも口から臓物が飛び出しそうであった。
「何もかも忘れ、人間であることさえも忘れて、永遠とも思える虚無の中に身を投じろ。死にたくなるような時を死ぬまで過ごすといい。それでも、命を奪われるよりはマシだろ?」
自由の効かない身体の代わりに、セバスチャンは必死に瞳を左右に揺らして拒絶の意思を示すが、レインはもう彼のことなど見ていなかった。
視線を向けぬまま手だけを彼に向けて翳す。
「本当は殺してやりたいがな。」
その瞬間、セバスチャンに向かって強い光が放たれた。
魔力そのものであるその光は床に倒れる相手に直撃し、吸い込まれるようにその身体の中へと入り込んでいく。
「ゔわああああああああああっ!!!」
ようやくレインの威圧から解放されたセバスチャンが発した最後の言葉は、断末魔であった。
防音結界の張られたこの部屋から悲鳴が漏れ出ることはなく、秘密裏に処理されていく。
静かになったセバスチャンは、目を開けたまま全身を強張らせて床に倒れ込んでいる。
膨大な魔力を無理やり入れ込まれたせいで四肢の末端は不自然に膨れ上がり、自我を失った瞳は虚に濁っていた。
「好きにしていいぞ。」
事を終えたレインは、窓に向かって気軽な口調で声を掛けた。潜んでいた影がゆっくりと部屋の中に入ってくる。
「うわ、思い切りやったね。」
夜風と共に現れたのはアイタンであった。
引いている口調とは真反対に、躊躇なくセバスチャンに近寄ってしゃがみ込み、身体の端々に触れて何やら確認を行なっている。
ひと通り見分が終わると、立ち上がってレインに向き直った。
「これ、もらっていくね。」
「ああ。」
レインの了承を得たアイタンは、連れてきた従者を室内に呼び込み、窓からセバスチャンの身体を運び出させた。
「それにしても、クラスメイトにこんな汚れ仕事押し付けるなんて非道じゃない?」
「それがお前達レックスフォード家の仕事だろ。」
「それはそうだけど、まさか公爵家の執事まで処理するなんて思わないよ。それにこれ公爵に見つかったら面倒なことになるんじゃない?」
「それをどうにかするのがお前の仕事だ。」
「きびしーなーまったく。」
アイタンはどこか楽しげな口調で言った。
表情はいつもの穏やかな顔であったが、その瞳の奥には抑えきれない好奇心が見え隠れしている。
「お前には褒美をやっただろ。その分忠実に働け。」
「ふふふ、こんなに良い実験体は中々手に入らないからワクワクする。これだからレックスフォード家はやめられないよね。」
「…性分に合った家に生まれて良かったな。」
少年のように瞳を輝かせるアイタンに、レインは若干引き攣った顔を向けた。
魔道具の開発を生業としているレックスフォード家では、常に魔力の研究がなされてきた背景がある。
その家に嫡男として生を受けたアイタンは、歴代随一と言われるほどの才があり、この齢にして長年研究に携わってきた。
そんな彼は、常に生きた実験素材を求めていたのだった。
「レイン、僕のことはアイナさんには言わないでね。知られたらきっと嫌われてしまうから…」
「ほう…自殺願望があるようだな。」
レインから殺気を飛ばされたアイタンは、逃げるように窓から飛び降りて行った。
誰もいなくなった部屋でひとりため息を吐く。
そして、明日アイナが驚いてしまわないよう、魔法を駆使して部屋の片付けを始めた。数分もしないうちに部屋は元通りとなっていた。
片付けを終えたレインはもう一度湯浴みを済ませ、朝日が昇る頃アイナのベッドに潜り込んだのだった。
怖い話はこちらで終わりです。
引き続きポップな話をお楽しみください!
ここまで読んでくださりありございます(´∀`)
引き続き宜しくお願いします!




