悪意の伝播
「アイナ、僕たちの家に帰ろうか。」
放課後、授業が終わったばかりの教室で無邪気にとてつもない威力の砲弾を打ち込んできたレイン。回避できず見事に被弾したアイナが顔を歪める。
「え、ええ。いつも送ってくれてありがとうございます。」
被弾てなお、引き攣った笑顔でなんとか返事を返した。それはアイナにとって渾身の躱しであった。
『僕たちの家』
その言葉に反応したクラスメイト達が一斉に視線を向けてきたが、アイナの言葉を受けてなんだそういう意味かと皆の視線が散った。
な、なんとか誤魔化せた…
せっかくバレないようにしてたのに、レインの馬鹿っ!!
一ヶ月間だけとはいえ、レインと一緒の家に住んでいるなんて知られたらとんでもない騒ぎになる!
こんな学生の身分で異性と暮らすなんて変な目で見られるし、アルフォード家にに寄生していると思われるのもいやだし、何より、また嫉妬とか僻みがあったら面倒なんだよ。
いくら婚約者同士とはいえ、こんなこと普通はあり得ないことなんだから。
「送っていく?一緒の邸に住んでいるのだから、一緒に帰るのが当たり前だろ?ふふふ、アイナは面白いことを言うね。」
「は…ええと、一緒に住むというより、毎日専用の施設を貸してもらって魔法の特訓をしてもらってるという感じですけどね。ははは。」
「え?昨日だって一緒に寝室に…」
「まぁっ!!」『『『………………』』』
わざと意味深なところで言葉を切り、アイナの動揺を誘ってきたレイン。
彼の言葉に、今度こそ全クラスメイトの無言の視線が二人に集中する。そんな中、カシュアだけは、顔を赤らめて歓喜の悲鳴を上げていた。
あからさまな嫌悪の目を向ける者、嫉妬の目を向ける者、疎ましそうな目を向ける者など、好意的に思っていない者がほとんどであった。
「もう行きますよっ!!!」
彼の手中に嵌ったアイナの頬は赤く染まり、力づくで彼のことを教室の外へと引っ張り出す。レインは仕方なく彼女にされるがまま教室を後にした。
「ちょっと!あんな言い方はないでしょうっ!!」
馬車に乗るや否や、アイナは自分の隣に腰掛けてきたレインに詰め寄った。
眼前に迫るアイナに、レインは面白くなさそうな顔を向ける。
「お前の方こそ、あの態度やめろ。気に触る。」
「は?態度って何の話?…」
「学園だと俺に対する言葉遣いを変えるだろ。お前にああいう丁寧な態度を取られると虫唾が走るんだよ。」
「いやちょっと待ってよ…ねぇそれ私だけが責められるのっておかしくない?それを言うならレインの方が変わり過ぎだと思うんだけど…」
「俺はお前以外の奴に本音を見せたくないだけだ。」
「なっ…」
待って待って待って…本当にちょっと待って欲しい…顔が、顔が熱くなるっ…今のってかなり大胆な発言じゃない?こういう不意打ちをしてくるところが本当にもうっ…
って、あれ……………………
レインって、アイタンさんにもかなり砕けた態度を取ってるよね?私といる時となんら変わらない口調と態度だし、どういうこと…?え何、そういうこと…??
「おい、分かったら返事。」
「は、はいっ!!」
またコイツしょうもないことを考えているなと思ったレインは、彼女の思考を切り捨てるようにアイナに同意を促した。
すり込みをされ続けたアイナにとって、レインの言葉はもう命令とほぼ同義であった。
***
生徒の下校時刻は当に過ぎ、誰もいなくなったはずの教室に何人かの生徒が集まっていた。
その教室には防音魔法に加え認識阻害の類の結界も張られており、他者から気取られぬよう厳重に守られている。
そんな中、男女数名が先に座る一人の女子生徒を取り囲み、詰め寄っていた。
「ジュリアンヌ様、このようなことをお許しになるのですか!わたくしはっ…わたくしは絶対に許せませんっ。あのような卑しい身分の者が公爵家に嫁ぐだなんてっ…」
口火を切ったのは、ジュリアンヌの取り巻きであるマイカであった。重苦しい空気の中、彼女の切羽詰まった言葉が響く。
マイカの後ろに立つ者達も彼女と同じく、ジュリアンヌのことを非難する目で見ている。
「許すも何も…今の私に何が出来るって言うのよ…」
これまでに一度も聞いたことのないジュリアンヌの悲痛な声にマイカは言葉を失う。
いつだって気高くて美しくて自信があって、公爵令嬢としてだけではなく、一人の女性として尊敬に値すると思っていた唯一の相手。
彼女こそが、この国随一の名家であるアルフォード公爵家と縁を結ぶに相応しいと信じて疑わなかった。
それなのに、急に現れた末端貴族で気品の欠片も感じられない小娘にその立場を掻っ攫われることになってしまった。
そんなの、許せるはずがないじゃない…
あんな奴に奪われるくらいなら、自分があの立場にすり替わった方がまだ…
その時、人の気配がした。
マイカ、ジュリアンヌに続いて他の者たちも異変に気付きその姿を視認した瞬間、驚愕の表情をする。
「そのお話、私がお力になりましょう。」
他者からは誰もいない教室に見えるはずなのに、いつの間にか開かれたドアから一人の女子生徒が現れた。
驚いて声の出ないジュリアンヌ達に向かって優しい微笑みを向ける。
「わたくし、カトレア・サンクシードと申します。貴方達の同志であり同じ目的を持つ者にございます。」
カトレアと名乗った女子生徒の声は脳内によく響き、彼らの冷静な判断と理性を奪っていく。
彼女の口から語られる非人道的で利己的な計画に異議を唱える者は誰一人としていなかった。消極的だったジュリアンヌでさえも目を輝かせている。
皆同じように自信に満ちた顔をしており、先ほどまでの閉鎖的な空気などもう微塵も感じられない。彼らは狂気的なほどまでにカトレアのこと迎合していた。
誰もいないはずの教室からは、鳴り止まない拍手が沸き起こっていた。




