いつも始まりは手紙から
冬休み明け初日、これまでのアイナならカシュア達と再び会えることを楽しみに朝の支度に励んでいるはずなのだが、今の彼女は死んだ魚のような目をしていた。
死人のように魂が消え掛かっている主人の代わりに、リリアがせっせと動いて最後の支度を進めていた。
大袈裟なほど大きい旅行鞄二つに、学園で使用しているいつもの鞄、そして入りきらなかった諸々を詰め込んだ大きな布袋が2つほど。
旅行にしては多過ぎるが、引越しにしては少な過ぎるという、なんとも中途半端な量の荷物であった。
「アイナ、支度は出来たかい?」
アイナの自室に当然のように、ひょっこりと顔を出してきたレイン。
ダイニング同様、こじんまりとしてやや黄ばんだ壁紙のこの部屋には似つかわしくない光景であったが、彼がそれを気に留める様子はない。
「支度も何も、私はまだ行くとは…」
「準備は出来ているようだね。そしたら、荷物の運搬と搬入は僕の家の者に任せて、アイナと僕はそろそろ行こうか。」
「いやだから、私の話をっ」
「ああ、そうだ。アイナの父君にも挨拶をしないとね。」
「だから、人の話を聞けって…」
嬉々として話すレインは、アイナのことを丸切り無視して意気揚々と彼女の手を取る。
あまりに話の通じないレインに呆れを通り越して思考を手放したアイナは、引き摺られるまま階下へと降りて行った。
「アイナ、向こうのご両親にご迷惑をお掛けするんじゃないぞ。レイン君の話をよく聞き、決して一人で暴走することのないように。」
「ご安心ください。アイナさんのことはこの僕が命に変えても守り抜きます。」
「ああ、任せたぞ。」
「・・・」
なんだこの茶番は………
思わず半眼になったアイナだったが、一方には茶番だとしてももう一方は本気のやつだったため、声に出すことは控えた。
レインはケントンと固い握手を交わすと、アイナの手を引き、普段の登校と同じように一緒に馬車へと乗り込んだ。
「だから、いきなり何なの!!?」
「手紙出しただろ。」
二人きりになった瞬間問い詰めてやろうと意気込んでいたアイナだったが、レインの答えはひどく簡潔であった。
そのあまりの熱量の差に、苛立ちで拳を握り締め肩を震わせるアイナ。
「手紙って…昨日突然、『魔力の実技試験に備えて特訓するから試験までの一ヶ月間公爵邸に滞在して欲しい』なんてそんなのが説明になるかっ!!言い訳にもならんわ!」
昨日アイナの父宛に届いたレインからの手紙に、一カ月間公爵邸にアイナを住まわせることの打診が書かれていたのだ。
こんなの絶対何か裏があるはず…と疑ったアイナは魔力封じでもない唯の便箋へ無駄に魔力を込めた結果寝込むこととなり、その間にケントンが快諾の旨を返信してしまっていた。
そして、今朝目が覚めた時には何もかもが整った状態になっていたということである。
「お前、何か期待でもしてたわけ?」
背もたれに背中を預けて足を組み直すと、隣に座るアイナのことを覗き込むように見てくるレイン。
サラサラの白髪の髪が重力に従って下に流れて行き、窓から差し込む朝日が丁度良い角度で髪に当たる。
そんな神々しいほどの美しさに似合わず、レインはニヤリと邪悪な笑みを浮かべている。
「朝からやらしいな。」
「なっ…………そ、そんなわけないでしょう!何を勝手なことを言って…人を揶揄うのも大概になさい!」
一瞬たりとも考えたことはない…と言えば嘘になるけど…などと頭で思ってしまった素直なアイナは、顔を真っ赤にして自身で墓穴を掘ることとなったのだった。
自分の言葉で翻弄されるアイナのことを、レインはひどく満足そうな顔で眺めていた。
***
「僕とランチなんて珍しいよね。アイナさんに振られでもした?」
昼休み、レインに誘われたアイタンは、個室であることをいいことに、真正面から喧嘩を売ってきた。
「殺すぞ。」
「アイナさんに告げ口しちゃおうかな〜」
「お前は本当にいい性格してるよな。」
「ふふふ。レインほどじゃないけどね。」
「・・・」
久しぶりのアイタンとの会話で、『ああこういう奴だったわ』と色々思い出したレイン。
彼のペースにハマってしまわないよう、言葉を控えて目の前の食事に集中することにした。
アイナとの食事の時には、彼女にも分けてあげられるようコース料理にすることがほとんどだが、今日は何も気にせずサンドイッチにかぶりつく。元々食にあまり興味のない彼は、手っ取り早く腹に溜まる食事を好む。
「それで?なんで今日はアイナさんと一緒じゃないの?」
「友人と俺の愚痴を語らいたいらしい。」
「うわ…物凄く素直だね。僕は時々君たちの関係が心配になるよ…」
珍しく本気で同情している顔をするアイタンに、レインはさっぱり分からんといった表情で残りのサンドイッチを数度の咀嚼で胃に収めた。
「その愚痴って例の、心配だからレインの家に住まわせちゃおう大作戦のこと?」
「…ああそうだ。」
アイタンのネーミングセンスに引いたレインは、2秒ほど反応が遅れた。
「公爵家がアイナさんのことを狙ってるって本当なの?」
レインが一瞬目を見張った。
それはアイタンの問いかけに対するものではなく、彼が展開した精度の高い魔法に対してだ。
内密な話になると思ったアイタンは、発言の直前に防音魔法と防御魔法の2種類を重ねて展開させていた。
この個室のみという限定的な範囲であるということを差し引いても、学生が扱うには難易度が高過ぎるかなり高度な魔法だ。
普段へらへらして余計なことばかり口にするアイタンだったが、彼の魔法センスと物事に対する勘の良さには一目を置いていた。
「恐らく、間違いない。」
「どうするつもり?まさかいくら規格外のレインでも、自分の家と戦うなんてそんなことしないよね??」
「向かうも手荒な真似はしてこないだろう。せいぜい事故に見せかけるくらいだろうな。だから相手にも事故にあってもらうよう祈りを捧げるか。」
「うっわ……今の顔絶対にアイナさんに見せられない。凶悪過ぎて、どっちが加害者か分からなくなるよね。」
「狙うなら、模擬演習の時だろうな。最も都合がいい。」
「頑張ってね、アイナさんの騎士!」
「は?お前も手伝えよ。」
「うーん…別にいいけど、楽しくなかったら承知しないよ?せっかくなら中途半端なものじゃなくて、命の取り合いをした方が面白いしさ。最近刺激が足りないんだよね。」
「俺は、お前のその発言ことが凶悪そのものだと思うんだが…」
目の前で苺の乗った可愛らしいデザートを口いっぱい頬張る青年に、レインがボヤく。
まるで褒め言葉を言われたかのような彼の表情に、レインの顔は引き攣る一方であった。




