今が使い時
トルシュテ家に1台の馬車が止まっていた。
普段貴族達が乗る馬車よりも数倍の値がしそうなそれは、敢えて家紋が消されており、ぱっと見ではどこの家のものか分からないような細工をされている。
それは以前ケントンが中古の馬車に施したような手製のものではなく職人によるものであり、その見た目からは何の違和感も感じられない。
馬車から降りた一人の男は真っ直ぐに邸の玄関へと向かうと、目深に被っていた漆黒のハットを取って手に持ち、呼び鈴を鳴らした。
「あの、どちら様でしょうか…」
てっきり業者の類だと思って気軽に出迎えたリリアは、目の前に姿勢よく立つ身なりの整った男に、訝しげな表情を向けた。
「突然のご訪問となり申し訳ございません。わたくし、古くからアルフォード家に仕えておりますセバスチャン・グリードにございます。此度はトルシュテ男爵殿にお話があり、お取次をお願い出来ませんでしょうか。」
男は柔らかな表情を作ると、丁寧に頭を下げた。
「は、はい!ただいま呼んで参ります!」
リリアはセバスチャン以上に低く頭を下げ、最大限の礼儀を取った。
これまで公爵家から遣いの者が来ることはあったが、今回のように上位の役職者が訪れることはなく、アイナの身に何かあったのかもしれないと、全速力でケントンのことを呼びに行ったのだった。
家で仕事をしていたケントンは、リリアからの伝達でセバスチャンの待つ部屋を訪れていた。
相変わらず生活感の溢れるこじんまりとしたダイニングに、似つかわしくない高級な衣を纏ったセバスチャンが優雅に席についている。
レインほどではないが、それでも十分過ぎるほどこの部屋には場違いな風格を漂わせていた。
リリアが淹れてくれた紅茶を手に取ると、優雅な所作で一口啜る。
玄関前で見せた先ほどまでの下手な態度は一変し、ケントンのことを見定めるかのように不躾な視線を向けていた。
そのあまりの変わりようにリリアは眉を顰めたが、ケントンからの視線を受けて部屋から退出していった。
「率直に今回の用件を申し上げます。」
二人きりになった部屋で、セバスチャンが口を開いた。
挨拶も名乗りも無しに用件を話し出すことは、礼節を欠いた振る舞いそのものであり、侮辱と捉えられかねない行為であったが、ケントンはそれを咎めようとはしない。
組んだ両手の上に顎を乗せたまま、彼の言葉の続きを待った。
「今後レイン様とは一切関わらないとお約束頂きたいのです。」
「それで?」
ケントンの変わらない態度に、一瞬だけセバスチャンの目元が険しくなったが、すぐに元の穏やかな表情へと戻る。
そして、ニンマリと品のない笑顔を浮かべた。
「お話が早くて宜しゅうございます。その対価として、金貨を20枚ほどお渡し致します。また、転校や邸の移転に関わる費用も全てこちらで負担しましょう。他に望むことがありましたら、遠慮なく仰って下さいませ。」
セバスチャンは足元に置いていた鞄から布袋を取り出すと、それをテーブルの上に置く。
重量感のあるそれはジャラジャラと金属同士のぶつかる音がした。
金貨20枚は、男爵家で得る年収の約5倍に相当する。
それを一括で目の前に差し出されるなど、下位貴族からすれば目の絡むような光景だ。すぐにでも飛びつきたくなる者がほとんどであろう。
しかし、ケントンは目の色ひとつ変えない。それどころか、セバスチャンに対して軽蔑するような目を向ける。
「では、金貨をさらに20枚上乗せして…」
「それで、このことはお前の独断か?それとも公爵の指示か?」
ケントンは、侮蔑の籠った声音で吐き捨てるように言った。その目には烈火の如く怒りが現れている。
「今回の行動はわたくしの独断ですが、このことは公爵家の総意と捉えて頂いて構いません。で?意地を張らずに受け取れば良いでしょう?レイン様の気まぐれで捨てられるのなら、金を受け取った方が利になる。そんなこともお分かりになりませんか?」
「末端貴族だからって、俺らのことを馬鹿にするのも大概にしろよ。」
「はっ。何を言うかと思えば、大層な自尊心ですね。尊敬に値しますよ。さあ、その何の価値もない自尊心を守るためにもさっさとこの金を受け取り、当家と関わらないことをお約束ください。」
「俺たちは、金なんてなくても生きていけるんだよ。」
「綺麗事はいいですから。この家が赤字続きなことも、トルシュテ家の爵位継続が危ぶまれていることも、何もかも把握済みです。」
「爵位が継続出来なければ返還すればいい。平民に下るだけのことに何でビビるんだよ。こっちは、既に平民に戻ることを打診されてんだよっ!!赤字が怖くて末端貴族がやっていけるか!!さっさと出ていけ!この苦労知らずの金持ち野郎っ!!」
手にしていたティーカップを投げつけ、若干の八つ当たりを含んだ怒りのままに怒鳴り散らすケントン。
魔法ではなくまさかの物理攻撃だっため、セバスチャンの反応が遅れた。
ティーカップとの衝突は避けたものの、彼の頭に紅茶が振りかかった。
濡れた髪を、風魔法と水魔法で瞬時に元通りにしていた。乱れた髪を手で撫で付ける。
「この野蛮人が…後悔しても知りませんからね。」
「うるせえええええっ!!さっさと俺の家から出て行けーーーーっ!!!!!」
激昂するケントンに、セバスチャンは最後に凍てつくような冷たい視線を残していった。
「リリアっ!」
「は、はい」
セバスチャンの見送りをすべきかどうか悩んでいたリリアは、主の一声で部屋の中に戻ることを選んだ。
「玄関に聖水をまいとけ!」
「せ、せい、聖水ですか!?あれはかなり貴重なもので次に手に入るのはいつになることか…ですので、そのような使い方をされては……」
「いいからすぐにやれ!今が使い時だ!」
「か、畏まりました。」
ケントンに気圧されたリリアはこれ以上抗えず、備品室まで走って行った。
そこで厳重に保管されていた聖水の入った瓶を持って玄関まで移動すると、誰に対するものかも分からない謝罪の言葉を連呼しながら玄関にばら撒いていったのだった。




