手加減って言葉を知らないのかな
「アイナ、おはよう。」
「おはよ…う?」
レインと想いを交わした翌々日、今度こそはきっと朝から馬車で迎えに来るに違いないと心の準備をしていたアイナだったが、またしてもそれは裏切られることとなる。
なぜなら、身支度を終えてダイニングに向かったアイナのことを輝く笑顔のレインが出迎えてくれたからだ。
さすがに朝っぱらから家の中にまで入り込んでくるとは思ってもおらず、しばしの間放心状態でダイヤモンドの瞳を見つめ返すアイナ。
入り口で固まっているアイナの手を引くと、レインは自身が座っていた席の隣に彼女のことを座らせた。
わけがわからないまま座るアイナと、レインのいる食卓を当たり前のように受け入れているケントンとケルスト、そしてエリーゼの三人。
「ちょっと待って…」
当たり前のようにレインが差し出してきたフォークを片手で押し留めると、アイナは父親たちに疑いの目を向ける。
「一体何があったの…まさか、金品の類なんてもらってないよね…?」
チラリとレインのことを見たが、彼は変わらず涼しい顔で紅茶を口にしているだけであった。
「何を言っているんだ、アイナ!そんなことするはずがないだろう。こんなに素敵な方に見染められたというのに、失礼だ。」
「アイナ。恥ずかしがる気持ちも分からなくもないが、程々にしないとレイン君に嫌われてしまうぞ。」
「そうよ。せっかくこんな雲の上のようなお方と親しくなれたというのに…ごめんなさいね、レイン君。アイナったら、照れ屋なだけなのよ。本当は優しい子なの。」
「は?」
皆口々にアイナのことを悪者にし、レインのことを褒め称えてきた。
一体いつの間にこんなことになったのか、一人だけ取り残された世界でアイナはただただ混乱して目を回している。
「いいえ。僕がアイナに惚れ込んだのですから。僕はどんな彼女でも受け入れる自信があります。」
「なんて男気だ………」
「本当に…こんなにも真摯な人間だったとは…」
「アイナは本当に幸せ者ね。」
「へ…」
天井を突き破りそうなほど、レインの評判が鰻登りに上がっていく。
いよいよついていけなくなったアイナは思考を放棄し、手にしたパンをちぎって口に運ぶ。
その時、真横から強烈な視線を受けたアイナがレインの方を向くと、ニヤリと笑う瞳と目が合った。
『お前の家族、チョロいな』
「ゲホッゲホッゲホッ!!」
周囲から口元を隠すように手を当て、聞こえるか聞こえないかのギリギリの音量で囁いてきたレイン。
不意打ちに、アイナは盛大にむせった。
咀嚼途中だったパンを変なタイミングで飲み込み、涙目になっている。
バターの含有率が著しく低い安いパンは、喉に詰まらせるちは十分過ぎるほどのポテンシャルを持ち合わせていたのだった。
「アイナ、大丈夫?はい、これ飲んで。」
むせることを予期してたレインは、既に手にしていたグラスをアイナに手渡す。そして、優しく背中をさすってあげた。
よくよく見れば不自然さのある行為だったが、レインのことを好意的にしか見ていないケントン達の曇った眼では、その違和感に気付くはずがなかった。
むしろ、娘に対して甲斐甲斐しく世話をしてくれる姿に瞳を潤ませていたのだった。
色々ありながらも朝食を終えたアイナとレインの二人は、笑顔の皆に見送られて公爵家の馬車へと乗り込んだ。
「嬉しくないのかよ。」
「いや、まぁ来てもらって嬉しいは嬉しいんだけど、ね…」
二人きりになった瞬間、レインから外面の笑顔が消え、なぜかひどく機嫌の悪い彼に責められ目を泳がせているアイナ。
花畑で想いを伝え合ったあの瞬間は確かに嬉しかったものの、時間が経てば経つほどアイナの頭の中は冷静になっていた。
ほぼ平民のアイナには公爵家など王家と同じくらい雲の上の存在だ。
そんな彼と友だちどころか結婚するなど、恐れ多くて仕方がなかった。
当人達が望んだとしても、魔力至上主義のこの国ではこんな格差婚、絶対に認められないだろうとそう思っていたのだ。
そんなことを考えているうちに、段々と現実が怖くなり、一層このまま踏み込まずにいた方が後々傷つかなくて済むんじゃないか、今ならまだ引き返せるんじゃないか…そんな後ろ向きな思考になっていた。
「言っとくけど、もう後戻り出来ないからな。」
アイナの思考を読んだかの如く、レインが先回りして逃げ道を塞いでくる。
「それに、責任は取ってもらわないと困るんだが。」
「え、責任って………」
いきなり罪の匂いを漂わせてくるレインに、アイナは不安に襲われる。一体何をやらかしたかと過去の記憶を懸命に振り返る。残念ながら、思い当たる節しかなかった。
そんな彼女に、レインは自身の唇に指を当て意地悪く微笑んで見せた。
「俺の初めてを奪ったんだから、責任取れよ。」
「いやあああああああああああっ!!!」
「…うるさい」
耐えきれないほどの恥ずかしさに、悲鳴を上げたアイナ。
そんな彼女に、レインはうるさそうに耳を塞いでいる。だが、アイナを見つめる彼の視線には甘さが滲み出ていた。




