人生の一大イベント、これにて終了!
「ちょっと待って、おかしくない…?」
あの波乱の舞踏会から一夜明け、今は邸のダイニングにいるアイナ。
あまりに平然としている他の者達に対して、自分の感覚がおかしいのかと己を疑っている。
まさかと思って目を擦りもう一度確認してみるが、やはり状況は変わっていない。
違和感が半端なかった。
「アイナ、大丈夫?昨日の社交界デビューで疲れたかい?」
隣に座るレインが気遣わしげな瞳で覗き込んできた。そして、テーブルの下でさりげなく指を絡めてくる。
レインは今、なぜかトルシュテ家のダイニングにある彼に似つかわしくない粗悪な造りの椅子に腰掛けていた。
相変わらず生活感の溢れるこの部屋に場違いなほど高貴なオーラを放つ白髪でダイヤモンドの瞳を持つ青年。
ここだけ芸術の世界から切り取ったかのように精巧な絵画のようであった。
「いや、だからちょっと待って欲しい…どうして貴…レインがここにいるのよ…」
いつものくせで『貴方が』と口走りそうになったアイナだったが、右側から感じた季節外れの冷気に脅されてすぐに言葉を言い直していた。
「さっきから一体どうしたんだ、アイナ。コイツは娘のことを口説こうとしてるんだ。まずはその親に許諾を得に来るべきだろう。」
「そうだぞ、アイナ。俺はあの時目の前でお前のことを奪われたからな。彼には俺たちに説明する義務がある。違うか?」
この状況をさも当然と信じて疑わない、ケントンとケルストの二人。
そして、こりゃ話にならんと大きなため息を吐くアイナ。
「ええ、全くその通りと思います。だから僕は本日こちらにお邪魔したのです。」
翳りのない澄み切った瞳でにっこりと微笑むレイン。
いやいやいやいや、恋人としての挨拶でも婚約の申し出でもなく、口説くための許可を得るために相手の親に会いに行くとか…そしてそれを当たり前に受け取るとか…一体いつの時代だよ…
…ああそうか。ここは、現代じゃなかったわ、ははははは。
セルフツッコミを入れていたアイナは、そんな現実になんだか悲しくなり、乾いた笑いを溢していた。
「では、娘のことは宜しく頼んだ。」
「妹は気が強いがあれは強がりだ。本当は誰よりも心優しい子なんだ。どうか分かってほしい。」
「ええ。アイナさんのことはこの僕が必ず守り抜き幸せにします。アルフォード公爵家の名にかけて、今ここに誓いましょう。」
真剣な面持ちの男たち3人は、任せだぞ、ええ任せてくださいとばかりにかっちりと固い握手を交わしていた。
「は…ちょっと待ってよ。なんで一生を誓うような重い話になってるわけ!?」
アイナがセルフツッコミを入れてる間に、レインは見事な人心掌握術でケントンとケルストの二人を懐柔してしまっていたらしい。
「万が一にでもお前がアイナのことを泣かせでもすれば、その時はすぐに爵位を返上して平民に降りるからな。よく覚えておけ。」
アイナの言葉を無視したケントンは、腕を組んで娘の幸せを願う父親らしく厳しい顔をレインへと向けている。
「いや何よその、貧乏人ならではの脅し文句は……もっと他にあるでしょうに……」
大真面目に繰り広げられている会話にアイナは恥ずかしくなってきてしまい、背もたれに背を預けて天を仰ぎ、手で目元を覆っている。
「ええ、お父様の想いは重々承知しております。絶対に泣かせなどしません。」
「それならいい。」
「は。なんでお父様呼びしてるのよ………」
アイナのツッコミは誰も拾わなかった。
こうして、彼女を置き去りにしたまま、結婚相手の親への挨拶という人生の一大イベントは終了となってしまった。
給仕のため部屋の隅に控えていたリリアは、管極まりハンカチで目元を拭っている。
「アイナ、レイン君のことお見送りして差し上げなさい。」
「・・・・・」
先ほどまでレインのことをコイツ呼ばわりしていたケントンは、態度を一変させた。
この違和感満載の現状にツッコミ疲れを起こしたアイナはもう言葉を返す元気がなく、半笑いの表情で遠い目をしている。
レインはそんな彼女の手を取り、繊細な銀細工を扱うかの如く背中に片手を添え、馬車までの道のりを連れ立って歩いて行った。
「父さん…あの学園に行きたくないって内向きだったアイナが…」
「ああ。あんなにも努力をして見た目も変わって前向きになって…全ては彼のおかげなんだろうな。」
「ええ、本当に…」
ダイニングに残されたケントン、ケルスト、リリアの3人は涙ぐむ顔で盛大に勘違いをしていたのだった。




