咄嗟の機転
ジュリアンヌの宣言通り、彼女の手から放たれた炎は真っ直ぐにアイナの髪へと向かって来た。
頬に苛烈な炎の熱を感じた次の瞬間、視界を奪うほどの真っ白な閃光が走った。それと同時に先ほどまで感じていた熱さが一瞬にして消え去って行く。
恐る恐る目を開けると、突如として発現した強い光はなぜかアイナの手首に集中していることが分かった。
きらりとダイヤモンドのような石が光り輝いている。
「魔力を無効化した…?」
レインに無理やり付けられてから、特に気にせず付けたままにしていたアイナ。ここでようやくその真価を理解する。
「一体何したのよっ!!私、今貴女に向かって魔法を…」
冷静に現状を把握するアイナとは異なり、ジュリアンヌは狂気じみた顔で取り乱していた。
圧倒的な魔力量と権力でアイナに身の程を思い知らせるはずが、逆に自分が追い詰められることになってしまったジュリアンヌ。そんな理想と現実の乖離に上手く頭が回らない。
アイナはその隙をつく。
大きく息を吸うと、腹の底から大声を張り上げた。
「レインさまあっ!!たすけてーーー!!」
「…っ!!」
素早く振り返ってレインの名を呼ぶアイナに、ジュリアンヌは完全に冷静さを欠いた。
後からの話ならいくらでも改変出来るが、現場を抑えられてはさすがに無理がある。しかも見られた相手が自分よりも立場が高位であるレインならば尚更だ。
何が何でもこの場を彼に見られるわけにはいかないと思ったジュリアンヌは、レインがいるかどうか確かめることもなく、脱兎の如くその場から逃げ去って行った。
「危なかったぁ…」
気の抜けたアイナは、その場に座り込んだ。
レインの名を呼んだのはもちろん彼女のハッタリだ。ブレスレットから彼の魔力を感じたため、咄嗟に彼がそばにいることを装ってもバレないと思ったのだ。
彼女の見立ての通り、ジュリアンヌはまんまと騙されてくれた。
「おい」
膝を抱えて座り込んだアイナが顔を上げると、目の前に跪くレインの姿があった。
「あれ、本物がどうして、」
「遅くなって悪かった。」
最後まで聞かずに、レインはアイナの無事を確かめるように抱きしめてきた。
「ちょっと!」
突然抱きしめて来たことに動揺したアイナは、彼の腕を振り解こうとするが、びくともしない。それどころか、一層抱きしめる力が強くなる。
諦めたアイナは、全身から力を抜いた。
「…ねぇ、そろそろいい?」
座り込んだまま抱きしめられている状態は密着度が高過ぎて心臓に悪く、耐えきれなくなったアイナが降参とばかりに弱々しく声を上げた。
「俺に抱かれるのは嫌か?」
すると、ニヤリと笑う瞳と目が合った。
揶揄われているだけだと頭で分かっているのに、心が追いつかない。
一瞬で顔に熱が集まるのが分かった。
「ちょっと!!変な言い回ししないでよっ!」
「何がどう変なのかさっぱり分からない。ちゃんと説明しろよ。」
「もうっ!!!!」
強気に言い返してみたものの、レインから揶揄いの追撃を受けるだけであった。
顔を真っ赤にするアイナを見たレインは、珍しく声を上げて笑っていた。
「ジュリアンヌは俺の方で片付ける。」
表情が消え、真面目な雰囲気に戻ったレインは吐き捨てるように言った。
その瞳は冷え切っており、聞かずとも彼女に厳罰が待っているということが分かる。
「それなんだけど、彼女をこのまま学園にいさせることは無理?」
「は?お前殺されかけたくせに、何甘いこと言ってんだよ。どこまで馬鹿なの?」
「それはそうだけど…私がこれを付けていたから貴方には勝算があったんでしょう?」
アイナはレインに見せつけるように手首を掲げた。
「外傷は無いし、彼女に深い恨みを持たれても面倒。外堀を埋められたら男爵家じゃ太刀打ち出来ないし。それに、クラスで変な噂が立つのも面倒。これ以上悪い意味で目立ちたく無いの。」
「…何が言いたい?」
「彼女をこのまま学園に在留させて、私がクラスで人気を勝ち取るための駒になってもらう。」
アイナは、真剣な顔できっぱりと言い切った。
その言葉に一切澱みはなく、彼女が本気であることが窺い知れる。
「お前、やっぱり相当な馬鹿だな。」
「ねぇ、さっきから人のことを馬鹿馬鹿言い過ぎじゃない?」
「お前の好きにしろ。俺にして欲しいことがあれば言え。」
「あ、ありがとう。」
レインがすんなりと承諾してくれたことに驚いたアイナ。
馬鹿だの阿呆だの言われて絶対に否定されると思っていたため、つい目を丸くして見返してしまった。
すると、頭の上でフッとレインが笑ったような気配がした。見上げると、いつの間にか立ち上がっていた彼がアイナに手を差し伸べていた。
「帰るぞ。」
「あ、うん。」
アイナはその手を取ると、レインに引っ張られるようにして立ち上がった。
彼の言い方からして、また公爵家の馬車で送ってくれるつもりなのだろうと理解したアイナ。
疲れていた彼女にはその気遣いがありがたかった。
離すタイミングを失った手は繋がれたまま、馬車までの道のりを二人並んで歩いて行ったのだった。




