ダンスのペアレッスン
夏休みにデビュタントのための舞踏会が開かれるため、それまでの間は毎日のようにダンスの授業が組まれている。
これまでは基本となるステップの練習だったが、今日からはペアになっての練習となる。
入学前から家庭教師をつけてダンスの練習をしてきた者がほとんどであるが、同じ歳の頃の異性と踊る経験を持つ者はほとんどいない。
皆緊張した面持ちで先生の指示を待つ。
「では早速ペア練習を始めたいのだけれど、そうね、まずは慣れている人たちにお手本を見せてもらおうかしら。」
ダンスを教える先生は、パンッと手を叩くとレインに向けてにっこりと微笑んだ。
「アルフォードさん、お願い出来るかしら?お相手は…」
「私がさせて頂きますわ。」
レインが何か言う前に、ジュリアンヌがすっと皆の前に出てきた。その一拍遅れで先生に指名されたレインも皆の前へと出る。
いつもの穏やかな表情のままジュリアンヌに向けて片手を差し出す。
彼女がその手を取ると、先生は手拍子でワルツのリズムを打ち始めた。
その音に合わせて、二人はゆっくりと基本のステップを踏む。
音楽がないにも関わらず、二人の動きは流れるように美しく、優雅であった。
レインが半歩先を動いてスマートに彼女を誘導する。そして、その導きに従ってジュリアンヌはたおやかに華奢な身体を動かして女性らしい線を描く。
そんな息の合った二人のダンスに、男女問わず見惚れていた。
「ありがとう、二人とも。お互いを尊重した素晴らしいダンスだったわ。」
先生が二人に向けて拍手をすると、クラスメイト達からも大きな拍手が送られた。
レインとジュリアンヌは息を合わせて一礼をすると、元いた位置まで戻って行った。
まただ……
アイナは胸の痛みを誤魔化すために、ぎゅっと手を握り締めた。
間違いなく美しい完璧なダンスだったのに、アイナにはそう思うことが出来なかった。二人が一緒にいる姿を見ると、どうしようもなく胸がざわつく。
「では、他の人たちもペアを組んで実際に踊ってみましょう。こういうのは場数が大事ですからね。恥ずかしがってはいけません。男性陣が積極的に声を掛けてペアになるといいわ。さぁ、女性陣も壁の華にならないよう積極的にその手を取りましょう!」
「「「「・・・・・」」」」
無茶振りが過ぎる先生の言葉に、一瞬にして場の空気が凍りついた。
いきなり女子をダンスに誘えと言われても、誰にどんなふうに声を掛ければ良いのかまるで分からない、男子たちは皆そんな苦笑いを浮かべていた。
「エリナ、君と踊る機会をどうか僕に。」
「ふふふ、ええ喜んで。」
エリナの前に跪き、わざと大仰な素振りで相手役に名乗りを上げたキース。
照れ笑いをしながらも、エリナは嬉しそうに彼の手を取った。
堂々と誘ったキースに刺激された男子たちは、近くにいた者や目が合った相手に声を掛け始めた。
これは単なる練習であり授業の一環であるため、誘われた側も断るようなことはしない。その結果、次々とペアが誕生し、先生の手拍子に乗ってダンスの輪に加わって行く。
異性と手を取り合うことに恥ずかしさを感じながらも、何だかんだと皆嬉しそうにダンスをしていた。
基本のステップをただひたすら練習していた時の授業の何倍も楽しそうだ。
だが、この練習用のフロアのとある一角だけ、ブリザードの如く冷え切った空気か吹き荒れていた。
「トルシュテさん、良かったら僕と…」
真っ直ぐにアイナのことを誘いにきたレイン。
だが、目の前にいる彼女はレインの方を見向きもしない。
「トルシュテさん…?」
一歩詰め寄り、笑顔で圧をかけて来たレイン。
ここまでされてようやく、アイナは彼のことを見上げた。
「パートナーがいるのに、他に声をかける人は信用しちゃいけないんですって。」
つんと澄ました顔で言い放ったアイナ。
その声は冷たく、目の前の相手に対する拒絶の意思が込められていた。
そんな彼女に、レインは真っ黒な笑顔を浮かべたまま、こめかみに青筋を立てている。今にも血管がぶち切れそうだ。
背後からは相変わらずブリザードが吹き荒れているが、ふんっと高飛車な態度で斜め上を見るアイナはこの危機的状況にまるで気付かない。
「先生」
レインは激しい怒りのオーラを仕舞い込むと、なぜか先生に声を掛けた。
そして、にっこりと微笑む。
「しばらくの間、トルシュテさんの相手役は僕で固定してもらえませんか?」
「え?」「はぁっ!!?」
突然の申し出に戸惑う声と、勝手なことを言う彼にキレる声がした。
後者のよく通る声のせいで、あっという間にクラスメイト達の視線が集まる。
「彼女、異性に慣れてなく、毎回人が変わると緊張してしまうため、配慮頂きたいのです。」
「そうだったのね…そういったご事情があるのなら、私がそれを止めることはしないわ。」
「ありがとうございます。なぜか僕だけは平気みたいなので、良かったです。ねぇ、トルシュテさん…?」
「っ…!!」
この状況では何も言い返すことが出来ず、アイナは唇をキツく噛み締めた。
完全にレインの作戦勝ちだ。
『お ぼ え て ろ よ』
美しい唇の動きだけで、アイナに脅しをかけてきたレイン。
そして、背筋が凍り付きそうなほどの、冷淡で美しい笑みを向けてくる。
「ひいっ」
蛇に睨まれた蛙ならぬ、レインに睨まれたアイナは小さく悲鳴を上げることしか出来なかった。




