振り回して掻き乱してくる
公爵家の馬車の中、向かい合って座る2人の間に会話は無かった。
だがそれは、先ほどのような嫌な沈黙ではない。互いの存在を認め合っているような、そんな肯定的な空気が流れている。
トルシュテ家に着く頃には黄昏時となっており、辺りはもう薄暗かった。
「馬車、乗せてくれてありがとう。じゃあまたあした…って、何やってるの?」
馬車が屋敷に到着し、礼を言って降りようとするアイナはレインに訝しむ目を向けた。
なぜなら、彼も立ち上がりアイナの後を追って馬車を降りようとしているように見えたからだ。
「は?挨拶だけど。」
「はい??」
「令嬢を邸まで送り届けたんだから、顔を出して挨拶するのが礼儀だろ。」
『こんなのでも』とでも言いたげに、レインはクイッと親指でアイナのことを指し示す。
「いやいやいやいやいや、いらないから!公爵家の貴方が現れたら皆卒倒するわ。私もまた御礼だのなんだの言われたら面倒だし……」
「そう、か…。じゃあ次は、きちんと約束を取り付けてから来る。」
「うん、是非そうしてって…なんかそれもちょっと違うような?なんか良く分からなくなってきたわ…」
ぶつぶつ言いながらも、公爵家の馬車を長居させてはまた変なことを言われてしまうと思ったアイナは、急いで外に出ることにした。
もう後を追ってこないよねと思い、チラリとレインの方を振り向くと、今までに見たことのない優しい顔で微笑んでいた。
「また明日、アイナ。」
「…あ、うん。また明日!」
突然の優しい微笑みと名前呼びに、アイナは声がひっくり返りそうになりながら返事をすると、勢いよく馬車から飛び降りた。
令嬢らしからぬ馬車の降り方に、クスクス笑っているような雰囲気を背中に感じたが、アイナは無視してそのままの勢いでで邸へと入って行った。
玄関に入りドアを閉めたアイナは、その場にへたりこんだ。
「ちょっと待ってよ…なんなの最後のあれは…」
膝を抱えてうずくまり、顔を埋めた。
これまで見たことのない甘い雰囲気のレインにも驚いていたが、それよりも、高鳴る自分の胸の鼓動に驚いていた。
***
二年生になってから一ヶ月以上が経ち、最近の教室ではデビュタントの話題で持ちきりだ。
誰に誘われただの、最高級のドレスを準備しているだの、こんなドレスを贈られただの、そんな浮足立つような会話で溢れている。
そんな令嬢らしい話とは無縁のアイナのカシュアの二人は、自席の近くで今日の日替わりランチの話をしている。
まだ朝だというのに、なんとも平穏で平凡な光景だ。
だが、そんな平和な時間を台無しにする嫌な会話が聞こえてきた。
「ジュリアンヌ様はレイン様にお誘いされたのですってね。素敵ですわ。」
「ええ、私もとても楽しみにしているの。だって、デビュタントって特別なことでしょう?それをレイン様にお誘い頂けるだなんて…」
「まぁ、お顔が赤いですわよ。お可愛らしいですわ。」
「もう、マイカったら!」
教室のど真ん中、淑女にしてはやや大きめの声で周囲に聞かせるようにわざと話した二人。
家柄的にも釣り合っているジュリアンヌとレインの組み合わせのため、やっぱりなという顔で聞いている者が多い。
「あんなの、わざわざ言わなくても良いのにね。」
「うん…でもまぁ、私には関係ないし。」
怒ったように言ってくれるカシュアに、アイナは興味が無さそうに返した。
彼に誘ってもらいたかったわけでも、期待していたわけでも何でもないはずなのに、チクっと胸を刺すような痛みがする。
アイナは無意識にスカートの裾を握り締めていた。
「おはよう。」
「レイン様、おはようございます。パートナーのお話、お誘い頂きましてありがとうございます。私、とても楽しみで…」
「ああ。君の父上からお話を頂いたからね。」
レインはそれだけ言うとさっさと席に着いてしまった。
とてもじゃないが、それは自ら誘った相手にする態度には見えなかった。
あまりに温度差のある二人にざわつく周囲だったが、レインは気にせず涼しい顔で本を読んでいる。
一方恥をかかされてしまったジュリアンヌは、顔を赤くして席に戻って行った。
「ねぇあれってもしかして、レイン様の意思ではなく家の都合とかなんじゃない?」
周囲に聞こえないよう、カシュアはアイナの耳元で話した。
「そうだとしても私には関係ないから。」
モヤモヤしている気持ちを悟られたくなかったアイナは、話を終わらせた。
これ以上この話をしたくないと理解したカシュアは、また日替わりランチの話に話題を戻したのだった。




