もどかしい気持ち
中庭まで無言でアイナの腕を引っ張ってきたレイン。
周囲に人がいないことを確認すると、足を止めて彼女の腕から手を離した。
「いきなり何するのっ!」
「お前、どういうつもり?」
アイナの方がレインに腹を立てていたはずなのに、彼の方がその数百倍の怒りを露わにしてきた。
細められた彼の瞳にいつもの輝きや親しみはなく、冷え切った無機質の視線を投げつけてくる。
「なに…なんで貴方が怒ってるの?」
「は?別に怒ってないけど」
間髪入れずに否定してきたレイン。
明らかにキレている彼に、アイナは困惑の色を強める。
彼が何に対して怒っているのかさっぱり分からなかった。理由を書こうにも、怒っていないという相手から聞き出すのは難儀だ。
二人の間に嫌な沈黙が流れる。
この空気に耐えきれなくなったアイナが口を開こうとした瞬間、レインが先に言葉を発した。
「アイツ」
何のことか分からず一瞬思考を巡らせたアイナ。
ようやく少し前の出来事を思い出し、恐らく彼のことを指しているのだろうと予想立てた。
「ロックハートさん?彼がどうかした?」
「チッ」
何の気なしにシエンの名を口にするアイナに、レインは思わず舌打ちを返した。
「なんで怒って…」
「…随分と親しげに呼ぶんだな。」
独り言のように小さく吐き捨てられたレインの本音は、春の風が奪い去ってしまった。
「ごめん、今なんて?」
聞き取れなかったアイナはすぐに聞き返したが、レインからは溜め息しか返って来なかった。
「アイツには気をつけた方がいい。」
気を取り直したレインは、先程までの激しい怒りの感情を抑えていつもの口調で言ってきた。
「気を付けるってそんな…クラスメイトとして話しかけてくれただけで彼は何も…」
「アイツには婚約者がいる。」
「ええと、おめでとう…?」
ここまで言われてもピンと来ていないアイナに、呆れを通り越したレインが今季一番の蔑んだ目を向ける。
「婚約者がいるのに、他の異性と二人きりになろうとする奴なんて信用ならない。アイツとはもう二度と関わるな。何か言われたら俺の名前を出せ。さっきみたいにすぐ逃げていくだろ。」
言い方はともかく、懇切丁寧に説明をしてくれたレイン。
これで分かっただろと視線だけで訴えてくる。
その瞳に、アイナは大きく頷いた。
「妬いていたんだね。」
「なっ……」
珍しく慌てふためくレインに、アイナは案ずるなとばかりにさっと彼に向けて手のひらをかざす。そして、彼の全てを分かったように大仰に数度頷く。
このあたりで雲行きが怪しいことに気付いたレイン。すぐに平常心に戻った。
「何も恥ずかしくないよ。大丈夫。自分に婚約者がいないからってロックハートさんのことが羨ましかったんだよね。」
良き理解者の顔をして微笑んでくるアイナに、レインが絶対零度の視線を返す。
「この馬鹿」
「え…なんで??」
相変わらずレインの返事は端的であった。
「お前はもっと人のことを疑え。誰かれ構わず受け入れるな。人並みの猜疑心を持て。」
「か、畏まりました…」
低音ボイスの有無を言わせない物言いに、アイナはよく分からないながらも承ってしまう。これも地獄の特訓の成果だ。
「もう帰るぞ。」
「帰る、ぞ?」
「遅いから今日は俺の馬車に乗って行け。」
「いやでも反対方向だし、まだ日は出ているし、いつもこのくらいの時間でも歩いて帰ってるし…」
「黙れ。良いから早くついて来い。もたもたしてると力づくで連れて行くぞ。」
「うわ…………」
「それが嫌なら自分の足でついて来い。」
また機嫌が悪くなってきたレイン。
あの沈黙はもう嫌だと思ったアイナは、慌てて彼の後ろをついて行った。




