魅惑のチョコレートケーキ
アイナに突き刺さる視線の数々、羨望や嫉妬を優に通り越して怨恨に近い感情が向けられる。
『多勢に無勢』
そんな言葉がアイナの頭をよぎった。
「あれ?秘密にしておいた方が良かったかな?」
机に視線を落としたまま黙り込むアイナに、レインは笑顔でトドメを刺しにきた。
先ほどのアイナのもう声かけないで発言に相当腹を立てているらしい。命まで奪い取る気だ。
だが、アイナもアイナで我慢の限界を迎えていた。レインにやられっぱなしの現状に腹が立ち、一転反撃を試みる。
「まぁ、レイン・アルフォード様はご自身がされたことを皆さんに知ってほしかったんですね。自身の善行を周囲に知ってほしいだなんて…お可愛いこと。」
「確かに、人には褒められたいものだよね。ねぇ、トルシュテさん?」
「ええ、本当に…」
「ふふふ」「ははは」
意気投合したように会話をしているくせに、2人の目は全く笑っていなかった。
あまりに殺伐とした雰囲気に、話を聞いていたクラスメイト達は顔色を悪くし、現実逃避するかのように教科書を開いて視線を集中させていた。
「まぁ、なんて勤勉なクラスなのかしら。」
その後、事情を知らずに現れた先生が教科書に視線を落としている皆に対して感激の言葉を口にしていたのだった。
***
「今日は一日気を遣って疲れたぁー。たまには何か甘いものでも頼んじゃおうかな。でもここのケーキ高いんだよね…」
「なんかまたレイン様と盛り上がっていたね。ふふ、たまには良いんじゃない?」
「悩むー」
放課後のカフェテリアで、アイナはぐったりとした様子でメニューに目をやっていた。
一日中レインを目で追い、最後の最後にやり合った精神的疲労が今頃一気にやってきたのだ。
疲れたせいで甘いものを欲しているというのに、疲れ過ぎてメニューを決めると言う至極単純な作業が出来ない。そして、値段が高いことも気になる。
アイナは回転率の悪くなった頭でしばらくの間メニュー表を見つめていた。
「チョコレートケーキで良かったかな?」
「チョコか…生クリームの気分だったけど…でもここのチョコレートケーキは食べたことないからそれでもいっか…」
すっと目の前に差し出されたチョコレートケーキに、思考停止状態のアイナは思いついたまま口にした。
「ちょ、ちょっと!!!アイナっ!!」
「え?カシュアも生クリームが良かったの?」
「早くっ!早く、意識を取り戻して、前を見て!今すぐにっ!!!」
「へ…?」
なんのこっちゃと、ひどく慌てている様子のカシュアを尻目に、アイナはゆっくりとチョコレートケーキから視線を上にあげた。
お約束通り、そこには黒い笑顔でにっこりと微笑む美しいレインがいた。
「…ケーキ、買い直そうか?」
「!!」
相変わらず目が全く笑っていないレイン。
カシュアから見えない位置にいるせいで、アイナに対して全力で脅しをかけてくる。
なお、声しか情報のないカシュアにとっては、しょんぼりとしているレインという印象しかない。
「大丈夫です!テーブルまでの配送料とか手数料とか取られたら本当にお金がなくなるんで…下手したら家まで担保に……なのでこれは…手違いということで返品させてください…後生の頼みです…」
ようやく言葉の発信元を認識したアイナは、テーブルにおでこがくっつくほど頭を下げた。
そんな彼女のひれ伏す様子を見たレインは、クスッと優美な笑みをこぼす。
「これは、僕から君への気持ちだ。嫌でないのなら、受け取ってもらえると嬉しい。」
「まぁっ!!!」
レインの言葉に、なぜかカシュアが頬を赤く染めて大興奮している。
そして、早く返事をしなさいとばかりに、テーブルの下でアイナの足をガンガン蹴ってきた。
「あ、ありがたき幸せ…………」
嵌められたと思ったアイナは、目に涙を溜め震える手でチョコレートケーキの乗る皿を受け取った。
「足元のそれ、持ち帰ろう。」
「あ、ごめん!」
教室でやり合った後、アイナは肝心のコートを返すことをすっかり失念していたのだ。
そして、それをそのまま持ってきてテーブルの下に置きっぱなしにしていることも完全に頭から抜け落ちていた。
さすがに申し訳ないと思ったアイナは、慌ててテーブルの下にしゃがんで紙袋を引っ張り出す。
そして、なぜか一緒にしゃがみ込むレイン。
「俺を揶揄って楽しかったか?」
「っ…!!」
テーブルの下、レインは顔を近づけて低い声で囁いてきた。
「お前が俺に勝てると思うなよ。」
完全なる脅し文句を吐き捨てたレインは、アイナの手から紙袋を取り戻すと、彼女の手を取って立ち上がらせた。
「突然邪魔して悪かったね。ではまた明日。」
紙袋を手にしたレインは、アイナの前髪を人撫でして整えると、颯爽と去って行った。
「うわ、こっわ…………………」
「本当に…怖いくらいに罪深くて麗しい人ね。」
全く異なる理由で呆然とする二人だった。




