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19話 その理屈はおかしい

 手で潰された葡萄汁には皮も種も実も混ざる。

 皮に付いている酵母菌によって一次発酵されるからだ。


「さてはて、時間を速められるイドっちゃん。

これを潰し切ったら、二週間くらいかけて発酵させる訳だけど、物凄い速めさせる事が本当に出来るのかな?」

「うん、出来るよ」

「相変わらずなんでもない事のように言うわね。まあいいけど。

温度とか光とかも大切なんだけど、それは流石に調節出来ないかな。

出来ないなら、また私のウチに戻る事になるけど……そのつもりでやってる?」


 イドキの世間知らずぶりへリリーナはつい、そのように話しかけてしまう。

 当のイドキは平然と頷くのみだ。

 なにを考えているか分からない神秘的な顔とも言えるが、何も考えていないのかもしれない。


「……大丈夫。ここで出来る」


 虫の鳴くような言葉の後に、部屋の気温と明るさが一気に変わった。

 ナノマシンでワインの成分と酵母菌の分量を解析し、最も発酵に適切な温度を、自身の脳による超高速思考で割り出して、冷暖房で調節したのである。


 それを肌で感じていたリリーナは驚いた。

 温度や光を変えられるところまでは予想が付いたものの、目の前の小さな少女は適切な環境を一発で見抜いていたのだから。

 つい抱きしめたい衝動を抑えつつ、冷静な振りをした。


「へえ、ちゃんとワインの温度なんだ」

「うん。それくらいならボウルの中身を見て考えれば分かるし」

「……」


 いや、その理屈はおかしい。

 遠くではゲイルがゲラゲラと笑っていて、イドキは「あの変なおじさん、また笑ってるよ」と思う程度で特に気にはしない。


 だからなのか、リリーナは「この得体の知れないナニカ」に対して抱きしめたい衝動が何時もよりも自然に冷めていき、直ぐに熱いものが胸の奥にから吹き出した。

 一瞬でもそう考えてしまった自分を、一瞬の中でひたすら呪ったのだ。


(……これじゃ私も「アイツら」と同じだな。同じ生き物だと思っちゃいない)


 ワインが出来上がった後、ゲイルが彼女に作らせようとしているエルフの秘薬は、簡単に見えて高度な技術と経験が必要な薬である。


 つまり彼女は優れた薬師だ。


 かつて彼女がまだ石の街に居て、大錬金術師と崇められていた頃ではあるが、技術を求める見ず知らずの人間たちが、彼女を囲い込もうと群がってきた事があった。

 そうしたヒトとのしがらみが嫌で、森の中に籠って趣味に時間を費やしているのが今のリリーナだ。


 だというのに、今度は自分の心がその色に染まろうとしている。

 それがとても気味の悪いものだと思えたのだ。まるでその気味の悪いものが、はじめから自分の中に在った気がして。


 何かを作っている時は、何も考えず自分だけの世界に入れて気楽な気分になれる。

 気付けばワシワシと葡萄を潰す両手へ力が入っていた。

 いつもよりも、いっぱい力が入っていた。


「リリーナ」

「……ん、はいはい。どうしたのかしら、イドっちゃん」

「出来た?」

「もう少しってトコね」


 心中何も察せないイドキの声が耳に入って、一気に現実へ戻される。

 しかし不思議と無垢過ぎるそれに、不快感はない。


(あんたは良いね、悩みが無くて)


 作業をしつつ、この少女には発酵させる前の葡萄ジュースでも飲ませてやりたいなと思えてきた。



「はいっ!……と、言うわけで葡萄が潰れあがった訳だね」


 そう言って、リリーナは上着を開いた。

 大量の容器が、ジャラジャラと内ポケットに溜め込まれていて鱗のようになっている。


 上着は冒険者として働いている錬金術師などには一般的な造りで、珍しいものではない。

 入れられている容器の素材には割れないよう、主に金属が使われる。

 ところが、リリーナのような一流の錬金術師も「フィールドワークだ」とかいう理由で、この上着を羽織る時がある。

 彼女は、容器の一つを取り出した。


 イドキは「へぇ」と、興味深い眼でその様子を見る。


 取り出されたものはビーカーだった。

 透明ではあるが、ガラス製ではない。主に容器の素材として使われるのは金属だが、一流の錬金術師は金に糸目をつけずこうした実験装置を作る時がある。

 尚、現在彼女が手にしている物は、頑丈というだけの理由で高価な宝石を削って作り出した逸品だ。

 使うのも久しぶりなそれを見て、ポツリと呟いた。


「昔は、ビーカーに淹れたジュースなんかを飲んでみたかったっけ」


 ビーカーには先程造ったばかりの葡萄ジュースが汲まれ、流れる様にイドキへ差し出される。


「私の奢りだ、葡萄ジュースだよ」


 勧められたイドキは、小動物のような口でそれを飲む。

 飲み終えた彼女は視線を上に持っていく。


「ふぅ……。洗ってこようか?」

「いや、いいよ。私がやってくるから。水場はあっちでいいのかな」

「うん」


 ビーカーを持ったリリーナは流しへ向かう。

 歩く最中、ハッと何かに気付いて歩みを止め、後ろを振り返る。


「そういえば、味はどうだった?」

「葡萄味だった」

「……そう」


 リリーナはなんとも言えない表情で頷くばかりである。

読んで頂き、有難う御座います

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