7、聖騎士団長、倒れる
モリーは聖騎士団の先頭に立ち、魔女と対峙していた。
魔女は呪詛を得意とする。言葉による呪詛もそうだが、向こうがこちらを認識して以降、ずっとかけてくる無言の呪詛が、どうにも重くて仕方がない。だからこそ、魔女の関心を我が身一つに集中させるのが守護者としての彼女の務めだった。
魔女が、他の聖騎士団員に注意を向けないように。――そして、時間を稼ぐために。
魔女が軽食スタンドの主人であることは、チームBに配属されていた団員数名が後ろから教えてくれた。ジョンとケインの巡回が信用出来ず、自分たちで改めて巡回した時に、しつこく声をかけられたのだ、と。
ハワード卿が予めロビンの魔法で彼らの声が魔女に届かないようにしてくれていて良かった、とモリーは思った。
「それにしても、旧大陸の何処かの宮廷の華から、鉱山の町の軽食スタンドの主人なんて、まるで娯楽小説の主人公ね。とても興味深いわ。知ってるわよ、今日も牛脂とバターでべとべとになりながら、大量にお肉を焼いていたって。だから今もここまで牛脂とバターの匂いがするのよね」
目の前の魔女が実際にかつて宮廷の華だったかどうかは知らない。だが、間違いなく旧大陸の貴族階級出身だろうとモリーは推察していた。彼女は旧大陸にいた頃に、高位貴族の婦人たちと接した経験がある。魔女の言葉には、かの高貴な婦人たちが戯れに話して見せる帝国共通語と全く同じ発音の癖があった。それは旧大陸の庶民の発音の癖とは異なるものだ。
そこで、まずは寂れた鉱山の町の軽食スタンドの主人という現在の地位を揶揄してプライドを刺激しようと考えた。
魔女の気を引けるなら、それが殺意でも敵意でも構わなかった。
「でもそれだけ牛脂とバターでべとべとになったのも無駄だったわね。サンドイッチの人気は私が作った物の方が断然上よ」
そう言い放つと、魔女の鼻息が荒くなった。同時に、モリーに向けられた呪詛の圧力が少し軽くなった。
「そんなことないわ、私の作ったサンドイッチは町一番よ!」
どうやら、魔女は自分の料理の腕に相当自信があるらしい。ならば。
「魅力的かどうかはともかく、酷い呪いが込められたサンドイッチとしては確かに町一番よね。でも、知っているかしら、その特製サンドイッチのほとんどはお前の手駒と野良犬のお腹に収まったそうよ」
モリーはせせら笑った。
「とんだ無駄骨よね、犬相手じゃ魔女の呪いは通じないもの」
魔女が叫んだ。
「まさか。私はあの副隊長とやらに『他の聖騎士団員にも食べさせなさい』と命じたはずよ!」
呪詛がまた、少し軽くなった。
魔女の言葉を、チームBの団員たちが辛辣な口調で切り捨てた。
曰く。信用ならない奴から差し出された食べ物を口にするわけがないだろう。
モリーはそれを自分の言葉に変換して魔女に浴びせた。
「信用出来ない相手から差し出された物なんて、口に出来るわけがないわ、怖いもの。いっそ気の毒に思えるわ、使えない手駒しかいないなんて。……あぁ、でも、もうその程度の手駒すらいないのよね。お前が自分で殺してヴァンパイアにしてしまったんだから」
モリーはここでふと、坑道に放置されていた死体の数々を思い出した。心臓を抜き取られた死体はヴァンパイアにはならない。それは当の魔女がよく分かっているはずだ。それでも少なからぬ人間の心臓を奪い続けていた理由は……。
「それにしても、呆れてしまうわ。大仕事をする前に、手駒を増やすより若作りを優先するなんて。それでは確かに宮廷から追われても仕方ないと思うわよ、とっても、お馬鹿な、お婆さん」
モリーが肩を竦めてみせると、魔女はついに激昂した。
「……この、小娘――」
魔女が一瞬にして爪をナイフのように鋭く伸ばし、モリーに突進した。
その爪がモリーの喉元に向けられた刹那――。
「嵐の王の短剣!」
虚空から短剣が飛び出し、魔女の脇腹に深々と刺さった。
短剣の先が肋骨の隙間から肺に到達したのだろう、魔女の口から、ごぼりと鮮血が溢れた。
――魔女の眼が、暗闇に潜んでいた、ハワード卿の姿を捉えた。
今際の無言の呪詛が、ハワード卿に集中して襲い掛かる。
モリーが止める間もなかった。ハワード卿は胸を押さえ、無言で倒れた。
してやったり、と言わぬばかりに笑む魔女の顔。
しかしその顔はすぐに苦痛に歪んだ。
魔女は数回痙攣しながら血を吐いた後、事切れた。
人間の頃から多くの悪事に手を染め、この新大陸でも人々の尊厳を踏み躙ってきた魔女の最期としては、実に呆気ないものだった。
しかし、そのようなことはモリーにはもう、どうでも良かった。
「……ハワード卿!」
彼女はまるで一般人のように取り乱していた。震える声でハワード卿に駆け寄り、その胸に耳を当てた。
「……動いて、る?」
胸の鼓動も、呼吸も規則正しいものだった。
「落ち着きなさい、モリー嬢。彼は大丈夫だ」
バリトンの声と肩に当たる肉球の感触に、モリーはゆっくりと身体を起こした。
子どもの頃から見知った猫型妖精がそこにいた。伯母の使い魔、オシアンだ。
「伯父上……」
「彼は呪詛を受けてはいないよ。我が魔法『報いの魔槍』が間に合ったからね。それより一刻も早く、この鉱山を浄めなさい。それは、君でなければ出来ないことだ」
モリーは立ち上がった。
心臓を奪われた死体は正しく弔わねばならないし、まだ鉱山に潜む悪霊も多い。放置すれば他の魔物が集まり、鉱山が魔窟化する可能性もある。
彼女は使い魔のエラを呼び出した。この小さく可愛らしいブラウニーは戦闘能力こそないが、その「清浄化する魔法」の及ぶ範囲は北部連邦第二沿海州の州都アーケイディアを覆うほどなのだ。
「エラ、この鉱山の中をお掃除して、亡くなった方々の身を綺麗にしてくれる?」
エラは右手を握り、その小さな胸を一つ叩いてみせた。
「任せなさい!」
モリーの祈りの歌が、鉱山の坑道に響き渡った。モリーの左手に嵌められた指輪の蝶がモリーの左手の甲からはみ出すほど大きくなり、その祈りの歌の及ぶ範囲を隅々まで広げていった。
護衛のためモリーに従っていた聖騎士団員は皆、本部に帰還した後で、この時のモリーの身体が光を放っていたと語るだろう。
* *
オシアンは「姪」のモリーの歌声を聴きながら、この鉱山に漂う魂の中でも最も穢れた魂を捕らえていた。
殺されたならず者や警邏隊員の魂は、煉獄で相応の責め苦を受けた後ならば、生まれ変わって真面目に暮らし、それなりの幸せを掴むことも許そう。
だが、この魔女の魂は絶対に許さない、と彼は決めていた。
「旧大陸にあっては我が同胞の尊厳と命を奪い、この新大陸にあっては我が最愛の貴婦人の命を奪おうとした。その罪は断じて許し難いぞ、魔女カトリーヌ・エリザベート・ド・モンテール」
学問を受けた人間なら、それは百年前の、旧大陸のとある大国の王が一時期寵愛した公妾の名だと分かっただろう。彼女は王の寵愛が薄れると王と新たな寵姫を暗殺しようとした。幼い猫型妖精に隷従の術をかけて影に潜ませ、王と寵姫の二人きりになった所を殺そうとしたのだ。
猫型妖精が王と寵姫を手にかける寸前、命と引き換えに術を解いたことで王と寵姫は助かった。
カトリーヌは確たる証拠はないものの動機ありとして火刑に処されるはずだった。しかし巧妙に刑吏の手から逃れたのだ。
「お前に人生を歪められ、愛する者を、命を、尊厳を奪われた者たちの恨みが変じた槍と炎に、永遠に責め苛まれるがいい」
煉獄の火で編んだ鳥籠の中の、腐臭を放つ汚泥に似た魂に向かい、オシアンはそう告げた。
カルンウェナンが「嵐の王の短剣」なのは、この世界の暴風雨が、妖精化した某ブリ◯ン人の王様が他の妖精たちを引き連れて狩りに出たせいで起こる……こともあるからです。拙作の妖精化した王様は、美味しい食べ物に目のない金髪美少女ではなく、何処かのヴァイキングの首領の先祖でもありませんので、念の為。




