18、連合捜査局次長は笑う
虎の魂はそこまで語ると、許恩の方に行きたそうにした。まるで、子猫が飼い主に甘えたがるように。
「小李よ、お前は私のために、私が不甲斐ないせいで、多くの人を殺めてしまったのか……」
途方に暮れたようにそう呟く許恩。その時、その場にいた者たちの目には、虎が悄然と耳を伏せた姿が見えた気がした。
* *
おれは、嫌な臭いのする者たちや、おれを殺そうとする者たちを容赦なく咬み殺したが、悪臭のしない者たちは殺さぬように気を付けた。ユエンが怒るだろうと思ったからだ。
だから、我らとは何の関わりもないが悪臭が酷くて我慢ならない番の一組は裂き喰ろうてやったが、夜中に外に締め出されていたその番の子は、傷付けぬように背に乗せて、近くの、嫌な臭いのしない人間の家の前に置いて来た。ユエンは子どもに優しいから、そうすればきっと喜ぶと思ったのだ。
あらかた目障りな人間どもを片付け、この後は碧眼の男に止めを刺し、ユエンを連れて逃げれば良いと思った。しかし、碧眼の男がいる建物には、どういう訳か足を踏み入れることが出来ず、殺した人間どもの亡霊たちすら、中に入ろうとすれば見えない壁に阻まれてしまう。
そして、何故かユエンはおれを殺そうとした男たちと同じ臭いがする者たちの中にいるではないか。またユエンは悪い者たちに捕らえられてしまったのだろうかと思い、おれはユエンの姿を遠くから窺っていた。ただでさえおれが叢に隠れれば、勘の鈍い人間どもに見つかることはほとんどない。その上、殺した人間どもの亡霊を使って惑わしの術を使うことも出来たので、おれはこれまで誰にも見つかることはなかった。
だが今宵は、おれが身を隠せそうな場所の全てに、何やらピリピリとする妙な模様を描いた紙が置かれていた。おれは妙なことをする連中を取り除こうとして、返り討ちに遭ってしまったのだ。
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「虎の李徴よ、そなたは今宵、真の怪異となる前に討伐されて、むしろ良かったのだ。今宵は、多くの人間の血を浴びたそなたが真の怪異となるかならぬかの分水嶺であった。一度、真の怪異となれば、此処にいるユエンこと許恩のことさえ忘れ果て、その爪牙で裂き殺していただろう。しかしそうはならなかったからこそ、そなたと許恩は死後、再び生まれ変わって共に暮らすことも叶うのだ」
長身の男――オシアンがそう告げると、許恩は再び恭しく額づいた。
ここで、ベッキーか数時間ぶりに口を開いた。
「公。私には、この許恩という男には、死んだ虎に術をかけた以外の落ち度はないように思えるのだけれど」
「ふむ、姫君はそうお考えか。だが生憎、人の世界の法は厳しいのだよ。北部連邦と四十八州連合共和国には『正当なる事由なく死者蘇生の魔術を使った者は死刑とする』という法律の文言がある。また、虎が人を襲ったことは虎自身の罪とはならないが、虎の主人であるこの男には、その責任を取る必要がある。しかしながら気の毒な身の上ではあり、命を以て償わせるのは罰として重すぎるようだ」
オシアンが悩ましげにそう言った。
そこで、ハワード卿は提案した。
「連合捜査局次長のアーセン・ルブラン殿に諮るのは如何でしょうか。どうやら、件のサーカス団はエリザベスタウンでの、魔女と警邏隊と犯罪集団が組んで行っていた人身売買にも関わっていたようですし、このユエンの証言があれば、売られた被害者の行方も分かるやもしれません」
「確かに、人のことは人に聞くべきだろうね」
オシアンが頷いたので、ハワード卿はロビン・グッドフェローを呼び、アーセン・ルブラン氏と連絡を取った。
* *
連合捜査局次長の席に、銀色のコマドリが現れた。
「アーセン・ルブラン殿、お知恵をお借りしたい。これはエリザベスタウンでの事件に関わることで、貴方がたの捜査の役にも立つことと思う」
アーセン氏は、コマドリにそう言われて笑顔になった。
彼はコマドリから委細を聞くと、少し思案してから口を開いた。
「その許恩という男が操ることが出来るのは、死んだ者だけですか?」
少し間が空き、コマドリが返事をした。
「生きた人間も可能とのことです」
「ならば、司法取り引きといきましょう。デイヴィッド・コナーの生死は問いません。許恩が、証言出来る状態のコナーを連れて国境を越えてくれたなら、彼には一旦、証人保護プログラムを適用します。北部連邦の警察には、クラウンのヘンリー・ベイカーが虎を盗もうとして最終的に野営地に放火した、と証言すれば済みますよ。別に何も嘘ではありませんからね。許恩は負傷した身で虎の駆除に協力していた被害者、ニューシャーウッドでの件はそれで片付くようにしておきます。ええ、大丈夫ですよ、私は北部連邦の警察トップとは懇意ですから。そうですね、それからほとぼりが冷めたら、許恩には、猟師や団長の家族への賠償金を払う必要があるでしょうから、新たな戸籍を与えて、私の元で働いて貰うことにしますよ」
許恩が異能の持ち主ならば、喉から手が出るほどほしい、というのがアーセン氏の本音だった。しかも祖国ではない国で高等教育を受けることが出来るほどの知能と教養を持っているというのだから。
「全く、異能持ちの元留学生など、デイヴィッド・コナー如きには過ぎた宝ですよね。しかもコナーには、その宝の価値すら分からなかったというのですから」
アーセン氏は上機嫌に笑った。しかし彼の笑顔はどうしても胡散臭く見えるので、書類を届けに来た部下の一人を大いに怯えさせてしまった。
* *
こうして許恩の処遇も決まり、国境に連合捜査局からの迎えが来るまで、ひとまずは彼の身柄を客人としてベッキーと聖騎士団員が滞在するホテルに移すこととした。
オシアンは、ヒルダを一人にしておけないのでお目付け役としてエズメ・ロイド教授を付けて来たのだが、どうにも心配だからと、用が済むとすぐに帰ってしまった。
許恩はトミーと共に翌朝、猟師連合への挨拶と謝罪もあり、泊まっていた料金も払わねばならないからと、一旦安宿に帰った。
団員たちが交代で朝食を摂っている間、ベッキーが言った。
「さて、とりあえず虎の件は片付いたことだし、君とハワードと聖騎士団の皆には、何かお礼をしないとね」
ハワード卿が答えようとすると、ロビンがしゃしゃり出た。
「姐御、ハワードは今度モリーちゃんにプロポーズするんだ。それで柘榴とオレンジの花束が要るんだよ」
それを聞いたベッキーが、面白そうにハワード卿を見た。
「いつの間にか、モリーとそういうことになっていたんだね。そのくらいのお願いなら、すぐに叶えられるよ」
「いえ、お待ちください」
ハワード卿は慌ててベッキーに、他にほしい物があると言った。それは、重傷の人間を癒すことの出来る薬草だった。
「それを面識もないコナー夫人に使いたい、と?」
「ええ」
「それなら、虎討伐の前からシェーンに頼んでコナー夫婦の治療に使っているよ。ついでにデイヴィッド・コナーが回復しても逃げられないように、病院に特殊な魔法障壁も張ってあるし」
虎が病院に入れなかったのはそのせいだ、とベッキーは涼しい顔で言った。
「コナー夫婦の子に母親を返してあげたかったんだね。ハワードは優しい子だから」
ハワード卿はそれ以上何も言えなくなってしまった。コナー夫婦に対してベッキーが既に手を打っていることに思い至らなかった未熟さが恥ずかしかったのだ。
「遠慮しなくて良いよ。シェーンを変形する剣に変身させて、それを振り回すなんて、見たこともない大技で楽しませてくれたことだし」
ベッキーはそう言い、茶目っ気たっぷりに笑った。
アーセン氏は実は人材コレクター。許恩が法学を学んでいたことを知り、保護期間中に許恩が大学で学び直せるように手続きをしました。
保護期間が終わった許恩がシゴデキ部下になったので、笑いが止まらなかったようです。




