14、月夜の討伐
グロテスクと思われる場面などがありますのでご注意ください。
ベッキーは窓の外を眺めているふりをしながら、頭の中で新たな魔法陣を構築していた。
神性を帯びていながら堕ちた存在――。そういうモノを探知する場合、単なる魔物を探知するのとは別の魔法陣が必要になる。
ハワードがいて良かった、とベッキーは思った。シェーンは自分の過去も、それに付随する物事も、ベッキーと差し向かいでは口に出来ない。何故なら、そこにはラウルの死の影が付き纏うからだ。
しかし、シェーンはハワードには何か安心感や親しみのようなものを覚えるらしく、ぽつりぽつりと自分の話をすることがある。これまでも、胡桃のタルトが好きだとか、雨の日は嫌いだなどとハワードにぽつりと零し、一方でハワードがついモリーのことを考えてしまう、と吐露するのを静かに聞いているのを見たことがあったが、今回の件のヒントもシェーンの過去にあったとは……。
彼女は果物をつついていたロビンを呼び寄せ、ホテルの外で別行動をしている団員全員の元に新たな魔法陣と情報を送るよう頼んだ。
――マグノリア通りにて虎を発見!
町に放っていた団員の一人から報告があったのは、ハワード卿たちが夕食を終え、ちょうど出動の準備が出来たところだった。
「了解。相手は虎だ、少数での交戦は避け、マグノリア通り南端の袋小路に誘導せよ」
そう指示するハワード卿は、一振りの朱色の刀身の剣を手にしていた。
――了解。現在、十五名で、薄荷の精油の匂いと精霊笛の音を使って追い立てています!
「我々も出動するぞ」
ハワード卿以下三十数名は、月の照らす夜の町へと駆け出した。
* *
猟師連合はこの町での虎の探索及び駆除を諦めかけていた。何しろ、手掛かりが全くなかったからだ。まず、動物が当然残すはずの糞尿が全くない。猫の仲間なら爪研ぎもしそうなものだが、その痕跡すらない。
さらに、仲間に犠牲が出ていることも、彼らの士気の低下に拍車をかけた。虎を相手にするのは初めてでも、新大陸に大型の猛獣がいないわけではない。彼らはこれまで、ピューマや羆を相手に勝利を収めて来た。だが、虎の犠牲になったのは、彼らの中でも特に達人と呼ばれて来た猟師たちばかりだった。
逃げた虎を調教していたという虎使いを客人として迎え入れもしたが、それでも成果は出なかった。
これ以上仲間に犠牲が出る前にこの件から下りた方が良いのではないか。猟師たちが酒を飲みながら暗い顔でそのような相談をしていた時。
――深夜の町に、甲高い笛の音が鳴り響いた。
若い猟師が銃を持って安宿から飛び出そうとしたが、年配の猟師が急いでそれを止めた。
「馬鹿、あれが聞こえたら絶対に外に出るな。あれは、魔物退治の笛だ」
* *
虎の身体能力は成獣となった熊や象とも引けを取らないと言われている。虎の探索を担った団員たちは全員が使い魔持ちで、ささやかながら魔法を使うことも出来た。
「小妖精の閃光!」
「火蜥蜴の火箭!」
虎から距離を取ったまま、閃光魔法や精油で虎の嗅覚や視覚を鈍らせ、虎が操る亡霊たちの動きを弱い火魔法や精霊笛で抑えながら、虎を引きつけるために時々煽る。
「小妖精の火花!」
団員の一人があわや虎に飛び掛かられそうになり、慌てて別の団員が虎の鼻先に魔法を使った。
「悪い、俺はこのまま向こうまで逃げるぞ!」
飛び掛かられそうになった団員がそう叫んだ。
「逃げられるならそうしてくれ!」
別の団員がそう返した。
相手は肉食獣。こちらから袋小路に追い込むよりも、逃げる者を追わずにいられない本能を利用して誘い込む方が早い。
一人が駆け出し、他の団員たちがそれを追う虎を絶妙なタイミングで妨害しながら袋小路に誘い込んで行った。
そして、虎が誘い込まれた先には、既に剣を構えたハワード卿と、虎を逃さぬよう、大きな鉄鎖の網を構えた他の団員たちが待ち構えていた。
もはや、虎は追う側ではなくなった。
「不死鳥の可変剣」
しなやかな身体と素早さを誇る虎も、ハワード卿の繰り出す朱色の剣には苦戦した。伸縮自在、大剣に変わって虎の鋭い爪牙を防いだかと思えば、細剣のように細くなって虎の脇に刺さり、鞭となって絡み付く。
到底敵わないと察した虎が鞭を振り払って逃げようとするも、周囲にいる団員たちが鉄鎖の網を広げて妨害してくる。
必死になった虎は、鉄鎖の網を引く団員に飛び掛かったが、その鋭い牙を立てる前に、鼻先に小妖精の火花を喰らった。
悲鳴を上げて飛び退る虎。朱色に輝く剣はその隙を逃すことなく、的確に虎の心臓を貫いた。
次の瞬間、一人の男の絶叫が、袋小路に反響した。
それは「田二郎」に連れられてこの場所にやって来た、虎使いのツァン・ユエンの叫びだった。
隣の「田二郎」ことトミーが、今にも虎へ向かって駆け出そうとするユエンを抑えていた。
トミーがユエンの耳元に何事か囁いていたが、それは二人以外の誰の耳にも上手く聞き取れない外国語だった。だが、何を言っているのかは不思議と分かった。虎の側に行かせてくれと懇願しているのだ。
「――不死鳥の浄炎」
ハワード卿は一切の情けをかけることなく、仕留めた虎を速やかに灰に変えた。
* *
トミーが「田二郎」と名乗ってツァン・ユエンに接触し、行動を共にしたのには理由があった。
シェーンが、虎使いは本当に虎使いだったのかと疑惑を口にしたからだ。
「サーカスにいた時の虎の芸当の内容も聞いたのです。しかし、動物を調教して芸をさせているというには少々違和感があります。虎が筆を咥えるのはともかく、大金帝国の文字で詩を書くというのはおかしくありませんか?」
「……そうっすね。大金帝国の昔話に、ある男が皮膚を剥がされた上から熊の毛皮を貼り付けられ、詩を書く熊として見せ物にされたという話はあります。ですが、その場合は中身が人間ですから、死者の霊を従えることは出来ないはずです。……ただ、『ドウシ』と言われる者たちには、動物を思い通りに使役する術を心得た者もいるようです」
トミーはそう答えた。幼いメグの護衛として皇国のとある港町にいた頃。大金帝国の人々が集まる華夏街で、道士が術を使うのを見たことがある。その時は二本足で立つ猫に小さな剣を持たせ、剣舞をさせていたのを思い出したのだ。あれは猫型妖精などではなく、本物の猫だった。
それを見たメグが怯えたのですぐに立ち去り、以来、長いこと忘れていたのだが。
「『ドウシ』ならば魔力の質が独特なので、近付けば分かりますよ」
道士は死んだ人間や動物の魂を元の肉体に縛り、操ることが出来る。一家の後嗣が次代を遺さないまま亡くなったり、旅人などが故郷から遠く離れた地で亡くなって故郷に葬ることが出来ない時などに一時的に蘇生させる為に使われる術だが、一説には動物を使って皇族を暗殺するために編み出された術だともいう。
「……小李よ、小李よ、……私はまた、朋友を失ってしまうのか……?」
ユエンが崩折れ、震えていた。彼を慰めるようにトミーはその右腕をそっと撫で、そして眉間に皺を寄せて手首を掴むと、そのままハワード卿に報告した。
「間違いありません。彼は『ドウシ』です」
天の月は、地上のことなど何一つ知らずに皓々と輝いていた。
* *
シェーンがシャワーを浴びて戻って来ると、虎使いのユエンが、魔法円の中の一人掛けソファーに座らされていた。
「今後君をどうするかは、君次第だ」
ベッキーがユエンに向かい、厳かにそう告げた。
黄色い呪符を額に貼られたぴょんぴょんするやつと猫鬼(巫蠱の一種)を足して二で割った感じで……。




